「捕鯨国と反・捕鯨国の対立を煽ってばかりでは問題は解決しない」と語るマックニール氏(撮影/長尾迪)

和歌山県太地(たいじ)町での伝統的なイルカ漁を批判的に描き、2009年度アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した『ザ・コーヴ』。

公開当時、大きな議論を巻き起こした同作品に対する「反論」とも言える『ビハインド・ザ・コーヴ~捕鯨問題の謎に迫る~』が1月から公開されている。

長年、捕鯨問題において国際社会から孤立する日本にとって、この映画は有効な反論となり得るのか? 日本は、そして世界は捕鯨を巡る対立を乗り越えるために何をすべきなのか?

「週プレ外国人記者クラブ」第20回は先日、『ビハインド・ザ・コーヴ』の監督、八木景子氏とTV番組で共演したというアイルランド出身のジャーナリスト、デイビッド・マックニール氏に話を聞いた。

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―まずは『ビハインド・ザ・コーヴ』を観ての率直な印象を聞かせてください。

マックニール 正直な感想をいうと、少し残念な気がしましたね。僕は個人的に「反捕鯨」の立場ではないのですが、『ビハインド・ザ・コーヴ』はいわば「反・反捕鯨」がテーマというか、捕鯨問題解決への実のある提言をしているのではなく、単純に「反捕鯨」イコール「反日」と捉(とら)えるような作り方をしているのが気になりました。

―どのような部分でそう感じたのですか?

マックニール この映画が誰に向けて作られたのか、僕にはよくわからなかった。八木監督は「海外の人にイルカ漁が日本の文化だということや反捕鯨運動の不当さを理解してほしい」と話していて、映画には英語字幕も付けられています。

しかし、映画の中では「反・反捕鯨」をアピールする断片的なストーリーや場面が次々と重ねられるだけで、全体の構成を通じて捕鯨に反対する人たちを説得できるような論点をきちんと示せてはいないように思いました。

『ザ・コーヴ』に登場するイルカ保護の活動家、リック・オバリを悪党のように描き、「アメリカの大統領が政治的な理由で日本の捕鯨を潰そうとしている」とか「東京大空襲や原爆の悲劇を経験していない人には捕鯨問題の本質はわからない」などと言われても、「反・反捕鯨」の人たちからは「そうだ、そうだ!」と歓迎されるでしょうが、これでは捕鯨に反対する外国の人たちを説得もできないし、理解もされません。そもそも反捕鯨を「反日」と捉えること自体が間違っていると思います。

「調査捕鯨」だというのは明白なウソ

―ちなみに、マックニールさん自身の捕鯨に対する基本的なスタンスは?

マックニール 僕は日本近海で行なう「沿岸捕鯨」は問題ないという立場です。昔から沿岸でクジラ漁をして生活してきた人たちがいるのですから、これは日本の沿岸地域の「文化」でもある。世界には他にもそうした文化を持つ国があり、それはきちんと尊重されるべきです。ただ、同じ捕鯨でも、日本が南極海などで行なっている「遠洋捕鯨」が本当に必要なのか…という点では疑問が残ります。あれは文化ではなくて「産業」ですからね。

このスタンスは僕の母国、アイルランドが1997年のIWC(国際捕鯨委員会)で提案した妥協案、いわゆる「アイルランド提案」と基本的に同じ考え方で、僕はこれが最も現実的な解決案だと思っています。しかし、日本はこの提案を拒否し、反捕鯨国の代表格であるニュージーランドも拒否したため、20年近く経った今も状況は変わっていません。

―捕鯨をめぐる対立の大きな問題点のひとつに、クジラやイルカを食用などの「生物資源」として考える日本などの捕鯨国と、高度な知能をもった「特別な動物」として保護の対象だと考える国々との大きな認識の違いもあるような気がしますが…。

マックニール そうですね。僕自身はイルカやクジラを特別だとは考えません。イルカやクジラは高度な知性を持っているから保護すべきと言うのなら、犬や豚だってアタマはいい。また、『ザ・コーヴ』で描かれたイルカの追い込み漁が「残酷」だという批判もありますが、牛や豚の屠畜(とちく)だって、室内で行なわれているだけで動物を殺すことには変わりはありません。それなら、ガチョウに無理やりエサを流し込んで太らせるフォアグラの生産なんて残酷の極みですよ。

もちろん、種として絶滅の危機があるのなら話は別で、そうした生物を保護するべきだというのは当然ですが、少なくとも一部の反捕鯨派がクジラやイルカを「賢いから」という理由で特別視する主張は合理的ではないと思います。

一方で、捕鯨国である日本の問題は「本当に遠洋捕鯨は必要か」という議論をきちんと行なわずに保護政策を取り続けていることです。政府が遠洋捕鯨の保護に毎年、数十億円もの補助を行ない、IWCで日本の立場に理解を広めるためとしてODAの形で多額の資金を拠出し続けていることを国民の多くは知りません。しかし、長年、そうやって多額の資金を拠出し続けているにもかかわらず、IWCでの日本の立場は一向に改善されず、今も孤立したまま…。これでは税金のムダ使いです。

―ただし、南極海などで行なう日本の遠洋捕鯨はクジラの生態数調査など科学的な目的を持った「調査捕鯨」だというのが日本の公式な立場ですよね?

マックニール 日本のもうひとつの問題点はそこです。今や日本の遠洋捕鯨が純粋に科学的な目的を持った「調査捕鯨」だというのは明白なウソで、今やそれを本気で信じている国は他にありません。2014年にはオーストラリアからの訴えを受けたオランダの国際司法裁判所が、そうした日本の主張をほぼ全面的に退ける判決を下しています。

僕が以前、捕鯨を支持する日本のある大物政治家にインタビューした際にも、彼は率直に「外国が不当な形で日本の捕鯨を潰そうとするから『調査』という口実を使ってでも捕鯨産業を守る必要がある」と語っていましたからね。

対立を煽る「歴史認識」の問題と同じ

そうやって今や誰も信じていない調査捕鯨の継続を主張しても、この先IWCの中で日本の立場が改善する可能性はないでしょう。その結果、犠牲になっているのが太地町のように伝統的な沿岸捕鯨に携わっている人たちです。

ならば、多額の補助金やODA予算を使い続けるより、そのお金を沿岸捕鯨の保護に使ったほうがよいのではないかという現実的な議論があってもいいはずです。それに、資源を得るためにクジラを殺す捕鯨よりもクジラやイルカを「ホエールウォッチング」といった形で観光資源として活用したほうがお金になるとも言われています。

2011年にAP通信が行なった調査によれば、日本人の52%が捕鯨に賛成で13%が反対、35%が「どちらとも言えない」でしたが、もっと現実的な議論が行なわれれば、将来的にこの内訳が変わってくる可能性もあると思います。

―「反捕鯨」を「反日」と捉える人たちがいる背景には、日本が長年にわたって西欧諸国から「一方的な価値観を押し付けられてきた」とか「不公正な扱いを受けてきた」と感じている人たちの潜在的な不満や反発もある気がします。

マックニール そうですね。その点でいえば、西欧などの捕鯨に反対する国々にも多くの問題があると思います。例えば、僕がイギリスの新聞に寄稿した日本の捕鯨に関する原稿では、僕は文中で一度も「虐殺」という単語を書かなかったのに、実際に掲載された記事では「虐殺」という刺激的な言葉が用いられ、記事の内容も書き換えられたことがありましたが、これも全くフェアじゃない。

そうやってお互いの立場の違いを強調し、対立を煽(あお)ってばかりいては、ある意味「歴史認識」の問題などと同じで、建設的な議論も現実的な解決策も生まれません。文化的な違い、価値観の違いをきちんと尊重した上で、話し合うべき論点をしっかりと見極め、お互いが「誰」に「何」を理解してもらう必要があるのか冷静に考えることが大切だと思います。

●デイビッド・マックニールアイルランド出身。東京大学大学院に留学した後、2000年に再来日し、英紙「エコノミスト」や「インディペンデント」に寄稿している

(取材・文/川喜田 研)