益城町の倒壊した建物の前で中継するフェニックステレビ東京支局長・李ミャオ氏。4月16日から4日間、現地を取材した

4月14日に最初の地震が発生して以降、いまだ余震が続く熊本・大分の両県では、5万人近くが避難生活を強(し)いられている。

「週プレ外国人記者クラブ」第31回は、現地を取材した香港・フェニックステレビ東京支局長の李(リ・)ミャオ氏に話を聞いた。

李氏が見た被災地の実情、そして今回の震災で見えてきた地震大国・日本の新たな課題とは?

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─2011年の東日本大震災に続いて、李さんは今回の熊本地震でも被災の現場を取材されました。避難所の状況、救援活動の実状はどうでしたか?

 4月16日午前1時25分にいわゆる「本震」が起きた直後、香港の本社に連絡を取って現地取材に行くことを決めました。取材チームは私とカメラマン、そしてアシスタントの3人。16日朝の飛行機を予約しましたが、熊本空港も被害を受けて使えなくなっていたため、まず佐賀に入って、そこで食糧などを調達して陸路で熊本を目指しました。

私たちが注力して取材したのは、何よりも被災した方々がどのような状況に置かれているかということ。震源地に近い益城(ましき)町での取材を中心に考えていたのですが、道路にも被害が及んでいるという情報があったため、1日目は熊本市内を取材しました。

ご存知のように熊本城も被害を受けていましたが、市内では比較的建物の被害は少ない印象で、「やはり日本の建造物は頑丈だ」という認識を新たにしました。しかし2日目、益城町に入ってみると状況は一変。多くの建物が倒壊・半壊など大きな被害を受けていて、地震の凄まじさを改めて痛感しました。

益城町の総合体育館など大きな避難所では、比較的救援物資が豊富に揃っている印象でした。一方、それ以外の避難所──私たちが取材した熊本市内の五福小学校、桜山中学校では、救援物資が十分に行き届いていないところもあったように思います。

私たちが取材した時点では、五福小学校の校長先生は「まだ政府からの救援物資は届いていない。備蓄してあった水も半分使ってしまった」と話していました。桜山中学校にも政府からの救援物資が届いていない状況で、約1千人の避難者が市から支給された250枚の食パンを切り分けて食べていました。

中国のネットでは不謹慎な書き込みも…

地震の凄まじさを物語る、益城町の倒壊した家屋

─避難所ごとに見られる救援物資の過不足、「必要なところに必要なものを必要な分だけ」という課題は東日本大震災の時にも指摘されていましたね。

 通信手段にも震災の影響が及んでいる状況で難しい面はあると思います。ただ、ボランティアの受け入れ態勢が整うのに時間を要したことも、救援物資の不均衡に拍車をかけていた印象です。いち早く対応した菊池・宇土(うと)両市でもボランティアセンターの開設は4月18日、南阿蘇村が20日、益城町では21日になってようやく開設されました。

先ほど申し上げた益城町の避難所、特に総合体育館には救援物資が豊富に揃い、パスタやサラダのようなものまである状況でしたが、私が訪れた17、18日の時点では救援物資を仕分けするボランティアがいないため、多くがダンボールに入ったままの状態でした。せっかくの救援物資が、ボランティアがいないために放置されている状況を見ると、「日本の社会はボランティアに厳しすぎるのでは?」という疑問も感じずにはいられませんでした。

─課題がある一方で、近年では2008年の四川大地震などを経験している中国から見て、「日本から学ぶべき点」はありますか?

 いくつか挙げられますが、まず「地域の絆」というのを強く感じました。具体的に言えば、被災者同士の助け合いの姿勢。避難所で食糧を配る時には行列ができるわけですが、文句を言ったり列を乱したりする人はいませんでした。足が不自由で列に並ぶことができずに困っている女性がいたのですが、彼女のところに家族でもない男性がやってきて自分がもらった食糧を渡し、女性は涙を流して感謝していました。

こういった被災者の方々の姿を私がブログにアップすると、中国でも話題になって何千回もリツイートされて「やっぱり日本人は秩序正しい」「中国人とは違う」といった反応がありました。一部には、今回の熊本地震に接してネット上で「お祝いしよう」「日本列島はいつ沈没する?」といった不謹慎な書き込みをした人もいましたが、大多数の中国人は日本が直面した災難を悼(いた)み、その中でも秩序を失わない日本から価値のあるメッセージを受け取っていたと思います。

その他にも、避難所のトイレが清潔に保たれていた点、入り口で脱いだ大勢の靴が綺麗に並べられていた点、被災下の状況でもゴミの分別が行なわれていた点など、普段、東京で暮らしている私から見ても“日本人の秩序正しさ”を感じる光景を多く目にしました。

被災者の中には日常的に医薬の服用が必要な方も多くいたと思いますが、そういった方のために保険証の提示を求めずに医薬を配る態勢もいち早く整えられていました。こういった“震災への備え”も、中国が学ぶべき点だと思いました。

このように、避難所においても“被災者の尊厳”が守られているというのが、現地取材を通じて私が感じたことです。そして、その背景にあるのが日本人らしい秩序と震災への備えだったと思います。

取材するメディアのルール作りも必要

4月17日、益城町の総合体育館。混乱の中でも食事配給の列に整然と並ぶ被災者の方々

─近年、日本を襲った大地震を振り返ると、1995年の阪神淡路大震災の時は旧社会党・村山富市首相の時代、2011年の東日本大震災の時は旧民主党・菅直人首相。どちらも自衛隊の存在・活動にネガティブな立場でしたが、今回は自民党政権。現地取材を通じて、東日本大震災と今回の熊本地震での自衛隊の活動に違いは感じましたか?

 東日本大震災の時は被災した範囲も広く、津波による甚大な被害もあったので単純な比較はできないと思いますが、今回の取材で私が目にした自衛隊は、被災者の救助や支援といった形で大きな働きをしていた印象です。避難所の方々のために隊員たちがお風呂を用意したり、オニギリを握って配ったりといった活動を取材しましたが、被災地の救助や支援には自衛隊は必要な存在だと感じました。

─4日間の現地取材を終えて、今後、復興に向けての課題はどこにあると思いますか?

 今、言ったような「中国が日本から学ぶべき点」は東日本大震災を取材した時にも感じたことです。しかし、あれから5年以上が経過した現在でも多くの方々が仮設住宅で暮らす状況が続いています。この問題は熊本地震の復旧でも大きな課題になるのではないでしょうか。

今回の取材で小さな子供を持つ母親が「周りの迷惑になるから」と避難所の外で子供を抱いている光景を目にしました。日本には他人への迷惑を控える文化がありますが、避難所生活や、その先にある仮設住宅での生活が長期化すれば、この母子のような存在には大きな負担が及ぶのは間違いありません。また、夜中に避難所の外で繰り返しお祈りをしている高齢の女性もいました。こういった人たちへの心のケア、一刻も早く被災前と同じように安心して暮らせる環境を回復させることは、今回の熊本地震でも求められてくると思います。

また、メディアの取材にも今後は一定のルール作りが必要なのではと感じました。私たちは最小限の装備で取材していましたが、日本の民放の中継車が亀裂の入った道路を塞(ふさ)いでしまい、被災者の方の車が通行できないという状況を目にしました。他にもメディアの言動がいろいろ批判されていますよね。

批判の中には一局が代表して取材をすればいいという意見もありましたが、被災地の状況を多角的に伝えることは必要だと思うんですよ。もちろん、被災者の方々へ迷惑をかけないという自制は必須ですが、報道によってどの避難所に物資が不足しているかなどの実情が伝わるわけですから。取材する側のルール作りも今後の課題として議論が必要だと思います。

◆李(リ・)ミャオ中国吉林省出身。1997年に来日し、慶應義塾大学大学院に入学。故小島朋之教授のもとで国際関係論を学ぶ。2007年、香港に拠点を置くフェニックステレビの東京支局を立ち上げ、支局長に就任。日本の情報、特に外交・安全保障の問題を中心に精力的な報道を続ける

(取材・文/田中茂朗 写真提供/フェニックステレビ・李ミャオ)