「なぜなんだ? イギリス人!」――イギリスの「EU離脱」が決まった6月24日、英紙「ガーディアン」東京特派員、ジャスティン・マッカリー氏は自身のSNSにそう書きなぐった。
EU域内でドイツに次ぐ経済大国であるイギリスの離脱の背景には、何があったのか? そして世界に、日本に与える影響は? 「週プレ外国人記者クラブ」第38回は、自身は「残留」を支持していたマッカリー氏に話を聞いた――。
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-今回の国民投票の結果はマッカリーさんにとっても驚きだった? それとも、ある程度予測できた結果だったのでしょうか?
マッカリー 正直、最初は「残留」という結果になるだろうと予想していました。しかし、国民投票の2週間ほど前から、これはちょっとヤバいんじゃないか…と思い始めたんです。なぜかというと、残留派のキャンペーンが全然機能していない、人々を惹きつけていなかった。それに対して離脱派はどんどん勢いを増していました。
そして24日、日本時間の午前中から各地区の開票結果が出始めました。まず僕が気になったのはサンダーランドという地区。ここは元々、離脱派が多かったのですが、結果的に想像していた以上の得票差をつけて離脱派が勝利した。一方で、残留派が多数だったニューキャッスルでは、残留派は勝利したものの得票差は小さかった。
ああ、これはマズイぞ…と思っていたら、案の定、離脱派が勝ってしまったというわけです。僕は祖父がアイルランド人だから、すぐにインターネットでアイルランドに国籍を戻す方法はないかと調べましたよ…というのは冗談ですが(笑)、イギリス人の中には真剣にそういうことを考えている人もいるようです。
-なぜこんな結果になったんでしょう?
マッカリー 先ほども言ったように、残留派のキャンペーンがうまくいかなかったことが大きい。では、なぜ離脱派がこんなに力を持ったのかというと、彼らは国民投票をあまり深刻に捉(とら)えていなかったのではないかと思います。もう少しハッキリ言うと「本当に離脱できるとは思っていなかった離脱派」が結構いるのではないかと。
今回の国民投票を「政府への抗議表明」という目的で離脱に投じた人も少なからずいたのではないか。政府に文句を言うつもりで投票したら本当に離脱ということになってしまって、「こんなはずじゃなかったのに」と思っている人がいるのではないでしょうか。
-え~? 「離脱派が離脱を望んでなかった」なんてことがあるんですか?
マッカリー 離脱派の中には、離脱という決定が結果的に何をもたらすか、あまり具体的に考えていなかった人が多かったと思います。実際、離脱が決まった直後にスコットランドはイギリスからの独立を示唆(しさ)したし、北アイルランドには歴史的に別の事情がありますが、独立してEUに残ろうという動きが起きないとは限らない。
ポンドは急落するし、経済への悪影響も避けられない…すでに様々な現実的課題が浮かび上がってきていて、離脱に投じた人たちは今頃青くなっているのではと思います。
移民問題は表層的な部分。不満の根本にあるのは…
-そもそも、離脱派の論拠はなんだったのでしょうか? 報道を見ていると移民問題が大きかったようですが。
マッカリー ポーランドなどEU域内の東欧諸国から大量の労働者が入ってきたせいで仕事を奪われたとか家賃が高騰したとか、そういう不満が多いのは事実です。ただ、誤解してほしくないのはイギリス人が人種差別的になったわけではなくて、そこには別の背景があるんじゃないかと僕は分析しています。
つまり、移民問題はあくまで表層的な部分で、離脱派の根本には経済政策、社会福祉政策、賃金問題などに対する政府への不満がある。そうした様々な不満を離脱派の政治家たちが巧みに利用し、移民問題に収斂(しゅうれん)させた。シンプルなメッセージとして力を持ってしまったのではないか。
-離脱派のリーダーにはどんな人が?
マッカリー 保守党のボリス・ジョンソン元ロンドン市長が離脱キャンペーンの主役でした。実は、彼は元々、残留派だったんです。しかし今年2月に突然、離脱支持を表明し、いつの間にか離脱派の中心人物となり、国民投票に非常に大きな影響を与えました。
結果的にキャメロンが辞めてしまって、今やジョンソンは次の首相候補となっていますが、スコットランドの独立運動は再燃するし、経済的にも困難を迎えるであろう国の首相に自分がならないといけないという極めて皮肉な状況になっているわけです。国民投票直後は「やった! 俺らは独立したぞ」と喜んでいましたが、今は一歩引いているように見えるのは気のせいでしょうか。
ジョンソンら離脱派の政治家たちはこれから苦労すると思います。移民の問題を解決したとしても、庶民の根本的な不満を改善できる状況ではないことを彼らは知っているからです。彼らはウソに基づいた主張で離脱派を勝利に導きましたが、これから多くの問題を背負うのは彼ら自身です。
-それにしても、なぜキャメロンは国民投票なんかやったんですか? 別にやらなくてもよかったんでしょう…。
マッカリー 確かにやらなくてもよかったんですが、与党・保守党はイギリスがEUに加盟した時から、党内でEU派・反EU派の対立が続いていて、その対立はもはや抑えきれなくなっていた。キャメロンは国民投票をやれば残留派が勝てるという楽観的な見通しの上で、ある意味、党内の統制を図るために国民投票に踏み切った。だから、実際には保守党内の問題であったと言ってもいいかもしれない。
そういう意味では、保守党内の問題解決のために行なった国民投票が、イギリスを分裂の危機にさらすという極めて悲劇的な結果をもたらしてしまいました。
-その一方で、基本的に残留派だった野党・労働党も内部で揉(も)めているそうですね?
マッカリー 残留キャンペーンを有効に指導できなかった党首のジェレミー・コービンに対する不満が爆発していて、労働党の「影の内閣」の閣僚11人が全員辞任するという事態になっています。保守党は真っぷたつ、労働党もお家騒動…イギリスがバラバラになりかねない、極めて深刻な状況です。
安倍首相は「予言が当たった」とほくそ笑む?
-イギリスはこれからどうなっちゃうんでしょうか…?
マッカリー 離脱派は自分たちが選択した現実の重さに苦しむでしょう。ジョンソンはいつの間にか離脱派に転じて人々を駆り立てました。僕の個人的な見方ですが、ジョンソンの変節は彼の個人的な政治的野心に過ぎなかったと思います。人気を得るためにEU離脱という国の将来を左右する問題を利用し、その過程でウソもついた。これはとても悲しいことです。
-では、離脱が日本に与える影響は?
マッカリー EUの中でイギリスは一番、日本企業が進出している国です。日産はイギリスに自動車工場を持っているし、日立は鉄道の大きな工場を造ったばかりです。イギリスは英語の国ですし、ビジネスの信用性も高いので、日本にとってEUというマーケットへの便利な入り口になっています。
経団連の会長も「EU残留を望む」と繰り返し語っていましたし、日本経済への影響はもちろん大きいでしょう。2年後に離脱するという状況で、果たして日産はイギリスに工場を維持するのかどうか。
離脱決定後、ポンドは急落し、世界中で株価も落ちている。当然アベノミクスへの影響も大きいでしょう。アベノミクスの生命線である円安・株高が維持できなくなるとすれば、今後非常に深刻な影響があると考えざるを得ません。
-ちなみに、安倍首相は伊勢志摩サミットで「今の世界経済の状況はリーマンショック前に似ている」と発言し、キャメロン首相は「そんなには悪くない」と言っていましたが、皮肉にもキャメロンがリーマンショックに似た危機をもたらし、安倍首相の発言が予言のように的中してしまったという…。
マッカリー ハハハ。確かにそういう意味では、消費増税再延期の判断は正しかったと安倍首相は胸を張って言うかもしれませんね。
-「サミットで私が言った通りになった!」と胸を張るのはいいけど、円高・株安になったら、ガッツポーズしながら足元から沈んでいくような景色にも見えます。
マッカリー まったくそうですね。日本への影響でもうひとつ心配なのは、離脱が日本経済にもたらす影響によって、参院選の争点がボヤけてしまうことです。参院選はアベノミクスの成否もそうですが、憲法改正、安全保障、TPP、原発、いろんなテーマがある非常に大事な選挙のはずですが、このせいで経済危機への対応が最優先であるという構図になってしまうと、他の争点が見えにくくなってしまう。
-アベノミクスの失敗は、政策自体が悪かったのか、イギリスのEU離脱がもたらす経済危機という外的要因も加味されるのか、責任がわからなくなってしまいますよね。
マッカリー 本当にそうですね。安倍首相は、憲法改正は参院選の主要な争点ではないと言っているようですが、憲法改正は彼の悲願であり、3分の2以上の議席を獲ればそういう動きになることは間違いないわけで、このような大切な意味を持った参院選で、経済問題ばかりがクローズアップされるのだとしたら、日本にとって良いことではないですね。
●ジャスティン・マッカリー ロンドン大学東洋アフリカ研究学院で修士号を取得し、1992年に来日。英紙「ガーディアン」「オブザーバー」の日本・韓国特派員を務めるほかTVやラジオでも活躍
(取材・文/川喜田 研 撮影/長尾 迪)