今年4月、沖縄県うるま市で起きた米軍関係者による日本人女性への強姦(ごうかん)殺人事件。しかし日米の両政府は今回も「日米地位協定」の改正には一切踏み込まず、「運用の改善」で済まそうとしている。
米軍による蛮行が沖縄で繰り返されるたびに問題になる「地位協定」とはそもそもなんなのか? 他国と比べて日米の協定はいかに不平等か?
その問題点を解説した前編『どれほど特殊で不公平かを日本人は知らない? 憲法より「日米地位協定」をまず改正すべき理由』に続き、東京外国語大学大学院総合国際学研究科教授で、世界の紛争の現場に詳しい伊勢崎賢治(いせざき・けんじ)氏に聞いた。
■一度は地位協定を破棄したフィリピン
―軍関係者の犯罪に関する裁判権、捜査権と共に日米地位協定で話題になるのが「主権」に関する問題です。日本の空の大部分がいまだに米軍の管理下に置かれ、米軍ヘリが墜落事故を起こした現場には日本の警察も消防も立ち入れない。こうした状況も国際的に見ればやはり「異常」なのでしょうか?
伊勢崎 先ほども話したようにNATO地位協定は双方の「対等性」「互恵性」が基本ですから、受け入れ国の主権は最大限尊重されています。
そのため、駐留軍がやることは原則として受け入れ国の許可が必要です。例えばイタリアには現在、米軍が使用する基地や施設が大小合わせて100近くあるといわれていますが、イタリアは米軍に対して訓練などに関する詳細な計画書の提出まで求めている。
実際のオペレーションに際しては、双方の軍隊の司令官が責任を持つという仕組みがあり、両者が一体化する必要があることから、当然、イタリア軍の司令官は自由に、無条件で、すべての米軍施設に立ち入る権利が与えられています。
また、緊急の場合も含めて、すべての航空機の飛行や航空管制、物資の輸送などについても、イタリア当局への届け出や許可が必要で、駐留軍車両の排ガス規制や廃棄物の処理方法についても受け入れ国側の規制や環境基準を順守しなければなりません。
しかも、イタリアとNATOが結んだ「補足協定」には、基地を持つ地域の地方政府と駐留軍の間に正式な外交チャンネルを持つことも義務づけられている。これらを比較すれば今の日米地位協定がいかに「異常」であるかは、誰の目にも明らかでしょう。
米軍が基地使用料をフィリピンでは支払っている
―では、NATO以外の地位協定と比べると、どうでしょう。とても気になります。
伊勢崎 フィリピンとアメリカの地位協定と比較してみましょう。特に管理権の問題がわかりやすいと思います。フィリピンには独立後の50年代からクラーク海軍基地、スービック空軍基地というふたつの大きな米軍基地があったのですが、1991年にピナツボ火山が大噴火を起こし、溶岩の流出や火山灰の降灰によって基地が使えなくなってしまった。
それと同時にフィリピン国内で大きな民族運動が起きて、米軍基地をかつての植民地支配の名残(なごり)ととらえていた彼らはアメリカとの地位協定を破棄、92年にアメリカ軍はフィリピンから完全撤退します。
ところが、そうやって米軍がいなくなった隙を突いて、中国が南沙諸島を奪いに来た。そこで困ったフィリピンはアメリカとの関係を修復し、再び国内に米軍基地を受け入れて、新たな地位協定を締結したのです。
肝心の内容ですが、これまた日米地位協定とは雲泥の差があります。フィリピンに駐留する米軍に関する「管理権」は基本的にフィリピン側にあり、米軍はあくまでもお客さん扱い。国内で米軍が何をやるか、何を持ち込むかをチェックする「検閲権」もフィリピン側にあります。また、米軍は年間数百億円ともいわれる基地使用料をフィリピンに支払っていて、協定には「核の持ち込みをしない」という条項まで書いてあるのです。
原文を読むと「米軍がフィリピンの主権の下に駐留しているのだ」というニュアンスが痛いほど伝わってきます。
―なぜ、アメリカに国力ではるかに劣るはずのフィリピンがそうした地位協定を結べたのでしょうか。
伊勢崎 アメリカが出している公的な地位協定関連の報告書を読むと、フィリピンとの地位協定を復活するにあたって、自分たちがどこまで譲歩すべきかという点について、かなり真剣に議論していたことがわかります。やはり一度は「追い出された」経験があるのが大きいのでしょう。報告書を見ると、「地位協定の交渉にあたっては、相手国に対する敬意がなければならない」というようなことが書いてある。
つまり、米軍が改めて駐留するにあたって、一方的な押しつけじゃなく、これが双方のコンセンサスに基づく運用だということに配慮しないと、また同じ轍(てつ)を踏むことになる、と言っているんですね。もちろん、これは一回追い出された国が相手だから反省しているのであって、追い出すどころか、国民のほとんどが「地位協定って何?」という国が相手なら話は別です。
戦後のゆがんだ日米関係の上で既得権益を手放したくない人たち
―それは日本のことですね。
伊勢崎 自国内に外国の軍隊が駐留していれば、いろいろな事件や問題が起きるのは避けられないことだし、それは基本的にどの国も同じです。これまで紹介してきた他国の地位協定も、そうした問題に直面し、国民が自ら声を上げ、国に働きかけることで改正を実現して、現在のような形になったのだということを忘れてはいけません。
もちろん、アメリカの立場で考えれば、地位協定が自国にとって有利な状況ならばそのまま続けるのが国益に一番かなっている。しかし、受け入れ国が声を上げればアメリカは耳を傾けざるをえないというのは、他国の協定改正の歴史からも明らかです。
―日本でそうした声が上がらないのはなぜでしょうか?
伊勢崎 おそらく、右にとっても左にとっても現状維持がみんな幸せなんです。その陰で沖縄の人たちが幸せじゃないというだけの話であってね。そう考えると、在日米軍基地を沖縄に集中させるという戦略は、本土の人間の目に触れないところに問題を持っていくという意味で、見事に成功していると思います。
それに、「日米地位協定はパンドラの箱だから絶対に開けちゃいけない」みたいなことを言う人の多くが、この不平等な協定に象徴される戦後のゆがんだ日米関係の上で既得権益を抱えている人たちですからね。絶対にそれを手放したくないのでしょう。
でも、日米地位協定の問題は、決して沖縄だけの問題ではないし、単なる裁判権や捜査権の問題でもない。これはもっと大きな、日本という国の主権に関する問題であるということを他ならぬ日本人自身がまず理解する必要があると思います。
そして参院選前の今こそ、「日米地位協定を改正せよ!」と、声を上げるべき時が来ているのではないでしょうか。
●伊勢崎賢治(いせざき・けんじ) 1957年生まれ。東京外国語大学大学院総合国際学研究科教授。政府や国連から請われ、アフリカ・シエラレオネやアフガニスタンで武装解除を指揮するなど、世界の紛争の現場に詳しい。近著に『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)、『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版)など
(取材・文/川喜田 研 撮影/有高唯之)