筆者は戦闘機操縦者だったので、その深刻さはよくわかる。まさに間一髪だったといえよう。冷戦期にもなかった対象国戦闘機による攻撃行動であり、空自創設以来初めての、実戦によるドッグファイトであった。
■空自は“情報漏洩”にピリピリムード
これは6月28日、航空自衛隊OBで元空将の織田邦男(おりた・くにお)氏がニュースサイト『JB press』に発表したコラムからの引用である。
織田氏は空自内部からの情報提供をもとにこのコラムを執筆。6月17日、東シナ海上空の日本の防空識別圏(ADIZ)に侵入してきた中国軍の戦闘機から「攻撃動作」を仕掛けられた空自機が、「自己防御装置を使用しながらミサイル攻撃を回避しつつ戦域から離脱した」ことを暴露したのだ。
これまでも中国機に対する空自機のスクランブル発進は何度もあったが、それに対して中国機が「攻撃」のそぶりを見せるなど前代未聞。冒頭の引用部のとおり、これは日本の国防史における大事件といっていい。ところが……。
翌29日、日本政府の萩生田(はぎうだ)光一官房副長官は、
「空自機と中国機との近距離でのやりとりはあったのだと思うが、攻撃動作をかけられたという事実はなく、特別な行動ではない」
と、なぜか“もみ消し”に躍起。さらに、コラムを執筆した織田氏に対しても、
「国際社会に与える影響は極めて大きい。個人的には遺憾だと思っている」
と、非難するようなコメントを出したのだ。
また、この「政府見解」が発表されるのと前後して、当該戦闘機が所属する空自・那覇(なは)基地では、織田氏へ情報を提供した“漏洩(ろうえい)犯探し”が行なわれるなど不穏な空気が充満。現場の隊員たちは相当、動揺しているという。
空自OBで拓殖大学客員教授の潮匡人(うしお・まさと)氏は、こう怒りを露(あらわ)にする。
「今回の事件は、自衛隊トップまで報告がいったことからも、明らかに特異な案件だったはずです。政府は今回の事案についての危機を正しく理解していないのではないか。逆に、もし正しく認識していながら今回の措置を選んだのだとすれば、重大な罪だと思います」
日本政府が事件の存在を否定した理由については、「参院選の最中に事を荒立てたくなかったのでは」との臆測も飛び交っているが、真相は定かでない。しかし、事情はどうあれ空自パイロットの命の危機が「なかったこと」にされ、正義感から告発した空自OBが「悪者」にされたことは紛れもない事実だ。
政府が事実にフタをした
同じようなことは過去にもあった。2010年9月、海上保安庁の巡視船に中国の漁船が体当たりした事件だ。
当初、日本政府(民主党政権)は事件の詳細を公にしなかったが、それに怒った海上保安官の一色正春(いっしき・まさはる)氏が現場での映像をネット上に暴露。これで世間は大騒ぎとなり、一色氏は「情報漏洩」を問われ辞職した。
「海保と自衛隊という違いはありますが、政府が危機の存在を国民に知らせず、事実にフタをしたことは今回も同じ。しかも、今の政権を握っているのは当時、民主党政権の弱腰を厳しく批判した自民党。現場の危機感を政府と共有できない隊員たちは、怒りの矛先をどこに向けていいかわからず、深い絶望感に浸っているはずです」(潮氏)
ちなみに、中国国防省は7月4日、次のような談話を発表している。
「中国軍の『Su(スホーイ)-30』が東シナ海の(中国が設定する)防空識別圏をパトロール中、空自の『F-15J』が2機、急速に接近し、火器管制レーダーを照射した。中国機が戦術機動などの措置をとったところ、日本機は赤外線の妨害弾を投射して退避した」
中国側の行動を正当化するために「日本が先に仕掛けた」ことにしているのはマユツバだが、それ以外は織田氏のコラムの内容に極めて近い。
では6月17日、東シナ海上空で実際に何が起きていたのか? 織田氏のコラムや各所からの情報をもとに、当時の状況を推測してみた。
●中国軍のSu-30が日本のADIZ内に侵入し、さらに「一定のライン」を越えて領空に近づく。これに対し、空自F-15Jが那覇基地からスクランブル発進し、進路を変更させようと後方から接近。中国機は通常ならここで引き返すはずだが、なぜか反転し、空自機と正対して「ヘッドオン」の状態となった。
『図解 戦闘機の戦い方』(遊タイム出版)の著者で、軍事アナリストの毒島刀也(ぶすじま・とうや)氏が解説する。
「自衛隊機は短距離ミサイル2発、中距離ミサイル4発、20mmガトリング機関砲を装備。一方、中国機は少なくとも短距離ミサイル2発、中距離ミサイル2発、3mm機関砲を装備していたと思われます。これらを撃てるように両機が正対し、交差していく状態をヘッドオンといいますが、この段階では相対速度の問題で、ミサイルはなかなか命中しません。両機は敵の背後のポジションを狙って高速で旋回を始めたはずです」
●中国機と空自機は、背後のポジションを取り合うように「旋回戦」の状態に入る。しばらくすると、旋回性能の高い中国軍のSu-30が空自F-15Jの背後、ミサイルを撃てる位置につけた。両機の様子をレーダーで監視していた空自の早期警戒機E-2Cは、F-15Jに対して「後方に迫る中国機あり」と警告を伝達。そこでF-15Jは「フレア」を発し、空域から離脱した。
中国側の行動はエスカレートしていく
前出の毒島氏は、空自機の状況をこう語る。
「フレアとは、戦闘機が放出する囮(おとり)弾のこと。敵の撃った赤外線追尾のミサイルを誤誘導し、自機への命中を防ぐためのものです。実際に中国機がミサイルを発射したわけではないでしょうが、背後を取られた空自機は『このままでは危険だ、実戦になる』と判断し、空域から離脱したのだと思われます」
つまり当時、中国機は「撃てば撃墜できる」ところまで空自機を追い込んだのだ。
今回の件に限らず、最近では中国軍による日本への“圧力”が日増しに高まっている。今年4月から6月の3ヵ月間で、日本領空に近づいた中国機に対する空自機のスクランブル発進は実に199回。前年同時期から85回も増え、平均すると一日2回以上という計算になる。
中国軍の動向に詳しい軍事ジャーナリストの古是三春(ふるぜ・みつはる)氏はこう警告する。
「中国側は“ステージ”を一段階上げたと見て間違いない。実際、今年に入ってから私が面会したある中国軍関係者も、『今年は中日の衝突がある可能性を覚悟している』と話していました。衝突も辞さないようなギリギリのチキンゲームを繰り返しながら、力ずくで日本側にプレッシャーをかけ、徐々に押し込んでいくという戦略です」
中国側がその戦略の先に見据えているのは、やはり尖閣諸島。南シナ海での「人工島拠点」の構築はすでに仕上げの状態に入っており、今度は東シナ海へと駒を進めてきているのだという。
「今後は常時、中国海軍の艦艇が接続水域(領海の外側12カイリ)に入り込み、その前方では中国公船が高頻度で領海に侵入してくるでしょう。さらに、有人機や無人機でも頻繁に領空侵犯をしてくるはずです。そうなれば、物量に劣る日本側はどうしても後手後手になる。この空海一体のゴリ押しにも米軍が静観を決め込むようなら、1、2年後には“武装漁民”が尖閣・魚釣(うおつり)島に上陸してくるかもしれません」(古是氏)
つまり、今回のように日本政府が事なかれ主義の対応を見せれば、それに乗じて中国側の行動はますますエスカレートしていくのだ。
前出の毒島氏は、今後の「空戦」の可能性を指摘する。
「今回の事件では中国機は2機でしたが、すでに4機、8機という編隊も東シナ海周辺を飛び回っている。もし、この編隊が日本領空に近づくようなら当然、空自側も同数の編隊でスクランブルをかけるしかありません。4機対4機、8機対8機という形で今回のような一触即発の状態になれば、より不確定要素も大きく、最悪の事態も想定しておかねばなりません」
それでも、日本政府はこの事件を「なかったこと」としてこのまま闇に葬るつもりなのだろうか?
(取材・文/世良光弘)