「泉田知事は一貫して原発の安全性を問い続け、原子力ムラと戦ってきた。そのプレッシャーは並大抵のものではなかっただろう」と語る古賀茂明氏 「泉田知事は一貫して原発の安全性を問い続け、原子力ムラと戦ってきた。そのプレッシャーは並大抵のものではなかっただろう」と語る古賀茂明氏

政府の原発政策に対して批判的な立場を取っている泉田裕彦(いずみだ・ひろひこ)・新潟県知事が、県知事選への出馬表明を撤回した。

立候補取りやめの真の理由は、原発推進派からのプレッシャーなのか?

泉田氏とは旧知の間柄であり、『週刊プレイボーイ』でコラム「古賀政経塾!!」を連載中の経済産業省元幹部官僚・古賀茂明氏が明かす。

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先月の30日、4選を目指していた泉田裕彦新潟県知事が突如、10月に行なわれる県知事選への出馬表明を撤回した。

撤回の理由は「新潟日報が臆測記事や事実に反する報道を行なったため」(泉田知事)。

新潟日報は県が出資する海運会社のフェリー購入を巡り、多額の損失が発生したとして、泉田県政を厳しく批判してきた。新潟日報は県内の世帯普及率が6割超と圧倒的な影響力を誇る。そのため、泉田知事はこのままでは正常な選挙戦を戦うことはできないと、立候補取りやめを決断したという。

だが、本当の理由は原発推進派からのすさまじいプレッシャーにあると私はにらんでいる。

泉田知事といえば、原発の防災政策に熱心な知事として有名だ。県内に立地する柏崎刈羽原発にも「安全対策が尽くされていない」と、再稼働に前のめりな東電に注文を突きつけてきた。

その東電は新潟日報に今年だけで5回も広告を出稿した。そのうち2回は全面カラーだった。東電から新潟日報へ、かなりの額の広告宣伝費が流れているのは隠せない事実だ。

原発再稼働を目指す安倍政権にとって、再稼働反対の姿勢を貫く泉田知事は目の上のタンコブだ。東電にとってもそれは同じで、同社が策定した特別事業総合計画は柏崎刈羽原発の再稼働が前提だ。再稼働できなければ、金融機関の支援などが計画どおりに進まない恐れもある。

当然、安倍政権も東電も泉田知事の4選は歓迎できない。新潟日報の知事批判キャンペーンはそうした政権や東電の意向と、あうんの呼吸で行なわれたものではないか? そしてその思惑は当たり、泉田知事は立候補撤回へと追い込まれたのでは? 考えすぎかもしれないが、ありえない話でもないと思う。

「もう疲れた」泉田新潟県知事は私にそう言った

泉田知事が出馬撤回を表明する前、私は彼と電話でこんなやりとりを交わした。

泉田「もう疲れちゃいましたよ。古賀さん。戦ってください」

古賀「僕に(新潟知事選へ)出馬しろってこと?」

泉田「……そうですよ」

元経産官僚の泉田知事とは机を並べて仕事をした仲だ。そんな気安さもあって、冗談を言っているのだと、そのときは気にもかけなかった。出馬撤回表明はそのわずか2日後。「あの言葉は本気だったのか?」と驚いた。

泉田知事と原発の因縁は、07年7月に発生した中越沖地震にさかのぼる。柏崎刈羽原発で火災が発生し、あわや大参事という事態になった。そのとき、原発の「緊急時対策室」が損傷し、連絡が取れなくなった経験から、東電に「免震重要棟」(地震の揺れを低減する事故時の対応拠点)の建設を迫り、実現させたのが泉田知事だ。

その後、福島第一にも同じ施設が建設された。3・11の福島原発事故はその8ヵ月後だ。もしこの施設がなければ、東京を含む関東一円には人が住めなくなっていたはずだ。

その後も泉田知事は一貫して原発の安全性を問い続け、原子力ムラと戦ってきた。そのプレッシャーは並大抵のものではなかっただろう。むしろ、これまでよく耐えたと思うくらいだ。

彼が県政から撤退すれば、原発推進への大きな歯止めが失われる。なんとかして、泉田氏の後継者を探さなければならない。

●古賀茂明(こが・しげあき) 1955年生まれ、長崎県出身。経済産業省の元幹部官僚。霞が関の改革派のリーダーだったが、民主党政権と対立して2011 年退官。著書『日本中枢の崩壊』(講談社)がベストセラーに。近著に『国家の暴走』(角川oneテーマ21)