「共謀罪は戦前の悪法・治安維持法を想起させることが問題」と語る金恵京氏(撮影/細野晋司) 「共謀罪は戦前の悪法・治安維持法を想起させることが問題」と語る金恵京氏(撮影/細野晋司)

9月26日に始まった臨時国会で、政府は「テロ等組織犯罪準備罪」法案の提出を見送った。この法案は、過去に3度国会に提出されるも国民の反発で廃案になった「共謀罪」法案とほぼ同じ内容だ。

政府は今国会での提出は見送ったものの、来春の通常国会での成立を目指す姿勢は崩していない。「重大犯罪の計画を話し合うだけで罪に問える」ようにする共謀罪は、国民の生活にどのような影響を与えるのか?

「週プレ外国人記者クラブ」第49回は、テロの専門家で、様々なメディアで活躍する韓国・ソウル出身の国際法学者、金恵京(キム・ヘギョン)氏に話を聞いた――。

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─まず、「共謀罪」というのは、どのような犯罪を指すのでしょうか?

金 共謀罪では、複数の人が犯罪行為を行なうとの合意をした時点で犯罪となります。現在の日本の刑法では、実際に犯罪に着手すること(行動を起こすこと)が犯罪要件となっていますが、この基本概念が根本から変更されることになるのです。

例えば、殺人罪と殺人未遂罪では後者のほうが刑が軽くなるのが当然です。日本でも刑法43条で「犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を軽減できる」「自己の意思により犯罪を中止した時は、その刑を軽減し、または免除する」と未遂について規定されています。しかし、共謀罪が成立すれば、犯罪の実行に着手すらしていなくても、複数の人がその犯罪を行なう合意をしただけで処罰の対象になります。つまり、刑法に新たな概念が盛り込まれることになるのです。

東京オリンピックを控え、世界的なテロへの関心・危機感の高まりを背景に「テロ等組織犯罪準備罪」という名称にすることで共謀罪に対する社会的な反発を緩和できると政府は考えたのかもしれません。しかし、適用される犯罪の範囲は「法定刑が4年以上の懲役・禁錮の罪」となっていて、過去に3度廃案となっている共謀罪法案と変わりませんでした。

そのため、過去と同様に各所から反対の声が挙がり、臨時国会への提出を見送ることになったのです。もし、この法案が成立したとすれば、「法定刑が4年以上の懲役・禁錮の罪」という適用範囲に当てはまる犯罪は600以上に上ります。それらすべてに前述したような未遂罪以上の概念を盛り込む法改正が求められ、ひいては法理念の変更すらも必要になってきます。

─刑法では「教唆(きょうさ)」という罪も規定されていますね。例えば、殺し屋を雇って誰かを殺害させれば殺人教唆の罪に問われ、刑の重さは殺人罪と同じです。共謀罪は、この教唆とも違う?

 教唆というのは、実行犯に対して犯罪を強要したり示唆する罪のことです。つまり、犯罪が実際に着手されなければ、教唆の罪も成立しません。繰り返しになりますが、共謀罪は犯罪が実際に行なわれていなくても成立するのです。

メールの打ち間違いで逮捕というケースも!?

─人間はいろいろ悪いことを考えるものです。例えば、「銀行の金庫にあるおカネが自分のものになったらいいなぁ…」とか。そして、たとえ悪いことを考えても、それを実際に行動に移すかどうかがボーダーラインだと思っていたのですが、それが変わるわけですね。

 そうです。自分の発言に気をつけないと、犯罪者になってしまう可能性があります。特に、ネット社会では危険が高いといえます。例えば、メールやチャット、SNSなどでの些細な文字の打ち間違いから文章の意味が変わってしまい逮捕されるというケースも出てくるかもしれません。また、そういったネット絡みのやりとりも共謀罪の証拠として扱われることを考えれば、政府による監視が強化されるのは自然な成り行きです。

実際に、すでに共謀罪が規定されている米国では、ネット上のプライバシーが十分に守られなくなっています。米国は「自由の国」といわれていますが、9・11同時多発テロの後、様々な形で監視が行なわれていたことは、スノーデン氏をはじめとする内部告発者による証言からも明らかです。

特に、外国人や、電話・メール等の通信でテロ関連の用語を話したり書いたりする研究者は盗聴や監視の対象となりやすく、十分に自由を感じることはできないのです。私もかつて米国社会の現実について自ら経験した事例を挙げながら本を書いたことがあります(『テロ防止策の研究』〈早稲田大学出版部〉『柔らかな海峡』〈集英社インターナショナル〉等)。

─米国の例を挙げられましたが、世界的に見て共謀罪はスタンダードなのでしょうか?

金 いわゆるG7と呼ばれる国のうち、「国際組織犯罪防止条約」を締結するための前提条件となる「共謀罪」あるいは「参加罪」(行動は起こしていないものの、犯罪組織を結社する罪)という犯罪類型を国内法で広く設けていないのは日本だけです。ちなみに、米国・英国が「共謀罪」を採用しているのに対し、フランスやドイツは「参加罪」を採用しています。

ただし、日本が自国の危機に対して事前の対策を全くとっていない訳ではありません。日本では内乱罪や一部のテロ等の重大犯罪に限って、共謀罪の概念を取り入れています。また、条約署名から15年間、締結を先延ばしにしていた韓国でも各種の北朝鮮対策やテロ関連法の中では共謀罪の概念を採用していました。

確かに、日本はこれまで共謀罪を広く設定してきませんでしたが、現在、重大犯罪に限っていた概念を600以上の犯罪に拡大適用しようとしています。その点に疑問が呈されているのです。そして、共謀罪という概念が生まれた背景ですが、アメリカやイギリスでは17世紀から見られた犯罪の類型となっています。日本でも少なくとも1950年代から多くの先行研究が行なわれていますが、あくまで各国の法律を比較するためのものでした。

─ということは、今回の共謀罪法案を巡る動きは、やはり「外圧」によるもの?

 そういった側面はあるでしょう。しかし、人種差別を禁じる法律の制定を求める「人種差別撤廃条約」に対して、日本政府は国連の委員会からの勧告があっても「日本には問題となるような人種差別事案は存在しない」と主張して、明確に禁じる法律を制定していません。ヘイトスピーチが社会問題になっているにもかかわらずです。従って「グローバル・スタンダードだから、日本でも共謀罪の採用が必要」という論理をここで持ち出すのは、自らの都合に合わせた論理と見ることもできます。

共謀罪の採用は、「戦前への反省」という日本の法理念を大きく変える

―とはいっても、国際社会と協調してテロ対策を講じていくという意味では、やはり必要な法律とも考えられるのでは?

 先に挙げた「国際組織犯罪防止条約」は、そもそもマフィアなどのマネーロンダリング(資金洗浄)対策やテロ対策が念頭に置かれています。日本の現行の法律でもテロ行為を共謀の段階で処罰するものはあります(化学兵器禁止法・サリン防止法・航空機強取等処罰法など)。

そもそも、「国際組織犯罪防止条約」は国境を越える重大な組織犯罪を規制することを目的としています。そのため、条約の主旨や国際的な要請に応えるのならば、共謀罪に当たる犯罪の範囲を懲役の年数ではなく犯罪の危険度などで判別する手法も検討に値すると思います。

―なるほど…。「テロ対策」を隠れ蓑にした国民を監視する法案だという声もあります。「テロ等組織犯罪準備罪」の「等」の部分も要注意ですよね。夏の参院選で大分県警が野党支援団体の建物の敷地に隠しカメラを設置していたことが問題になりましたが、権力がこの法律を恣意的に拡大解釈すれば、このようなことが横行する可能性も…。

 十分に考えられます。共謀罪を立証するためには盗聴、監視、密告が不可欠ですから。大分の事件では県警は陳謝しましたが、共謀罪が成立したら、「犯罪捜査に必要」との論理によって監視していたという事実すら公開しない可能性もあります。

─この世に「悪法」というものが存在するとすれば、共謀罪はそれに該当しますか?

 共謀罪が悪法というよりも、それを想起させることが問題なのかもしれません。悪法は歴史上、いくつも存在していました。具体例としては、日本の戦前の「治安維持法」が挙げられます。そして治安維持法では「参加罪」が第1条に記載されていました。

戦後の日本の法体系は戦前の反省の上に立っています。共謀罪は戦前の悪法・治安維持法を想起させるものだからこそ、日弁連をはじめ多くの識者から反対の声が挙がるのです。多くの冤罪や犠牲を生んだ治安維持法を想起させる共謀罪の採用は「戦前への反省」という日本の法理念を大きく変えることになるとの見方が強いのです。

●金恵京(キム・ヘギョン) 国際法学者。韓国・ソウル出身。高校卒業後、日本に留学。明治大学卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で博士号を取得。ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学韓国研究センター客員教授、明治大学法学部助教を経て、2015年から日本大学総合科学研究所准教授。著書に『柔らかな海峡 日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル)、『無差別テロ 国際社会はどう対処すればよいか』(岩波現代全書)などがある

(取材・文/田中茂朗)