小6でデビューし、出産、離婚を経て、政治家になった今井絵理子 小6でデビューし、出産、離婚を経て、政治家になった今井絵理子

なぜ、今井絵理子は政治家を志したのか? そもそも政治に興味があったのか?

今回の出馬に冷ややかな視線や辛辣(しんらつ)な声も少なくなかった中、見事に当選を果たし、そんなことをストレートに聞いてみたい!と、ダメ元でインタビューを申し込んだところ、まさかの快諾! 驚きつつもドキドキしながら向かった参議院議員会館で、これまで知らなかったその活動の裏側を聞くことになった。

絶大な人気を誇ったSPEEDのメインボーカルとして小6から活躍、結婚と出産を経て、長男の聴覚障がいと向き合う――多様な人生経験を経た上で選択した現在の立ち位置に思うことを余すことなく聞いた。

―週プレNEWSです、よろしくお願い致します。

今井 今井絵理子です。(スッと名刺を差し出しながら)よろしくお願い致します。

―名刺!? 記者自身がSPEED時代の今井さんを取材したこともあるので、やりとりとして新鮮ですね(笑)。

今井 私もまだ新鮮です(笑)。国会で議員としての振る舞いのレクチャーを受けてますが、私は12歳から芸能界にいたので、一般的な社会人としての作法やマナーも同時にイチから覚えているところです。

―そこまで全く異なる政治の世界に飛び込んだ真意を知りたくて、今日はお話を伺えればと。早速ですが、そもそも何がキッカケとなって立候補したんですか?

今井 山東昭子議員(元女優・タレント。7回当選を果たした現役参議院議員)との出会いがキッカケです。7年ほど前に山東先生が会長を務める聴覚障がい者福祉協会の『聴覚障がい児を育てたお母さんをたたえる会』の来賓として依頼があって、それから、お話する機会が何度かあって…。

―その縁から参議院議員への立候補を誘われたんですね?

今井 はい。ただ、最初は山東先生の応援演説だと思っていたんですよ。よくよく聞いたら私自身が立候補するというお話でビックリしました。運命って面白いと思ったんですよ。このタイミングなんだ、と。

―運命やタイミングとは? 詳しく伺えますか。

今井 長男の聴覚障がいがわかってから、ずっとボランティアで特別支援学校や、ろう学校、幼児擁護施設を訪れて講演やミニライブを開催するなど関わっていく中で、NPO団体を立ち上げたいと思い始めていたんです。その根底にあったのは、聴覚障がいの息子を育てる母として、歌手としての私の発言が少しでも障がいを持つ子どもたちの育成環境がよくなることに役立てば…という思いでした。

それが、このタイミングで政治の道へつながるのかと。立候補を打診されたことには驚きがありましたけど、私が思い描いていた活動の幅を広げるには政治の道がいいのかもしれないと思ったんです。

―とはいえ、打診までは立候補の準備すらしてないですよね?

今井 はい。まず、2週間で立候補するかしないかの答えを出さないといけなかったんですよね。

私は他の方よりタフだと思いますよ

―人生の一大事なのに短い!

今井 ”SPEED”が私の人生ですから、スピード感が大事…なんて(笑)。

―なにウマいこと言っちゃってるんですか(笑)。では、障がい者福祉の充実を目指すことを決意してということで。選挙公約の「教育・福祉・環境」も腑(ふ)に落ちます。どんな思い、考えで作られたんですか?

今井 公約のベースになったのは、息子を育てている11年の中で”障がいを知らないから差別が生まれる”がわかったことです。今の教育現場は障がいがある人、ない人が明確に分けられて、交流はほとんどありません。

―通常学級でも1学年に1~2人は、なんらかのハンディキャップを持っている生徒がいる印象でしたが…。

今井 今は少なくなりました。それで障がい者を知らずに育てば、接し方がわからないから意識せずとも差別をしちゃうことになるんです。

―知らないから怖い、怖いから排除するという感じでしょうかね。

今井 そうならないために障がい者がある人とない人がもっと交流を図ってほしい。そんな理想を実現したくて作ったものです。

―子育ての中で具体的に”わかった”エピソードはあるんでしょうか?

今井 息子は一般の保育園に入園したんです。偶然、ろう者のエキスパートの職員がいたから入園できたのですが、その先生が園児に「(今井の息子の)礼夢くんは耳が聞こえないから『何か教えたい時は肩をトントン叩いて、動く時はゆっくり行動をしよう』と教えてくれたんです。先生や周りの園児の優しさ、保護者の方々の理解に支えられて過ごせた保育園時代でしたが、このようなことが普通の出来事である教育現場を作っていければと思っています。

―そういう純粋な思いも世間には伝わりづらく、立候補した当初からタレント候補特有の批判に晒(さら)されましたよね。予想はできたかとも思いますが、怖くはなかったですか?

今井 立候補してからいろいろと言われましたね(苦笑)。子どもをだしに…とまで。でも、私は芸能界で20年間過ごしていた中で厳しい意見を言われることも多かったので、他の方よりタフだと思いますよ。

当選確実になった夜に今の立場を実感

―それ以外に不安はありませんでした?

今井 私はなかったんですが、親は不安になったかもしれません。2年前から都内で一緒に住んでいるんですが、立候補してから家の前にマスコミが待っていたりして親はもちろん初めての経験。親までがインタビューを受けることも初めてでしたからね。

―反対はされなかったんですか?

今井 なかったですね。SPEEDとして小6で上京をすることも娘の夢と思い応援してくれた両親ですから。自分がその立場になって今、自分の親がどれほどの思いだったのか、わかるようになりました。

―息子さんの反応はいかがでした?

今井 息子もちょうどろう学校の生徒会の書記に立候補していたので、私が何をしているのかも理解していましたし、開票の時は一緒にTVを観ていたんですが、「当選するといいね」と言い合ってました。

―実際、政治家としての責任感はいつ生まれました?

今井 当選確実になった夜8時頃です。“国民の皆さま”という言葉を使う立場の今井絵理子になったことを実感しましたね。

―そうなったことで、生活で何か変えようとしている、もしくは変わったことなんてあります?

今井 夜中にふとコンビニへ行くことは止めています(笑)。些細なことでも、見られているし聞かれていますからね。

―でもそれはSPEED時代と変わらないのでは?

今井 またちょっと違いまして…。というのも、初登院後に「勉強をたくさんするし人の話も聞くので文具にこだわりたい」と思って、文房具店へ行ったら週刊誌に撮られたんです。私は熱心に選んでいたのに、その記事では「今井絵理子は文具の使い方がわからない」と書かれちゃってて(笑)。

―最近はひと筋縄では使い方がわからない文具もありますし…。

今井 さすがにわかりますよ~(笑)! 文房具でこれだから夜中のコンビニなんて…規則正しい生活をしなくちゃ、と思いましたね。

●後編⇒『議員になった今井絵理子の独占告白「これまでは沖縄の問題と正面から向き合う機会や時間がなかった」』

(取材・文/渡邉裕美 撮影/石川耕三)