なぜ、今井絵理子は政治家を志したのか? そもそも政治に興味があったのか?
今回の出馬に冷ややかな視線や辛辣(しんらつ)な声も少なくなかった中、見事に当選を果たし、そんなことをストレートに聞いてみたい!と、ダメ元でインタビューを申し込んだところ、まさかの快諾!
驚きつつもドキドキしながら向かった参議院議員会館で、これまで知らなかったその活動の裏側を聞くことになった。
絶大な人気を誇ったSPEEDのメインボーカルとして小6から活躍、結婚と出産を経て、長男の聴覚障がいと向き合う――多様な人生経験を経た上で選択した現在の立ち位置に思うことを、余すことなく聞いた。その後編。
政治家になる決意をした理由を語った前編に引き続き、障がい者福祉に関する政策や沖縄への思いを語ってくれた。
―当選後、現在の実感はどうでしょう?
今井 まだ強くは感じてません。納得している仕事をまだ何もしていませんから。
―納得できる仕事とは、障がい者福祉に関する政策の立案でしょうか?
今井 そうですね。選挙ひとつとっても、投票所に点字がないから視覚障がい者は自力で投票ができません。そんな現状や障がい者福祉、教育…様々なシーンで障がいを持つ人が自立できるようにするためのことを考えたいと思っています。
―現実にはいろいろな障壁もありそうですが?
今井 そのために自分は何をすべきかから勉強中です。あと、障がい者福祉に関する法律は必要としている人たちに届かなければ意味がないんですよ。そのためにはいろんな人の意見を聞いて、勉強をして、疑問をひとつひとつ解決しながら自分の答えを出して政策を考えないといけないと思っています。
―ご自身が掲げている障がい者福祉もですが、今井さんといえば出身地の沖縄の問題も避けて通れないと思います。当選直後、TVのインタビューで沖縄の問題と「これから向き合う」と言ったら、池上彰さんに「ちょっとびっくり」とリアクションされましたが…。
今井 本当のことなので仕方なかったと思います。それに、正直な話をすれば、これまで沖縄の問題と正面から向き合う機会や時間がありませんでした。
―小6で上京して、SPEED時代は睡眠時間も十分に確保できないほど忙しかったでしょうしね。
今井 言い訳になると思いますが、まず沖縄の問題を感じる前に上京しちゃいました。沖縄に住んでいた頃は歌やダンスに夢中で、自分の夢を叶えるのに精一杯。SPEEDが解散して少し落ち着いたと思ったら21歳で出産。息子の障がいと向き合うのに必死で、ずっと目の前のことに追われていました。
議員になったことで今、故郷の問題としっかり向かい合う機会をもらえたので、今後はどんな形にせよ沖縄が良くなるように働きかけたいと思っています。
なりたいのは「議員会館にいない議員」
―両親も東京で同居されているということで、沖縄へ頻繁(ひんぱん)に行く機会は?
今井 当選直後も行きましたし、月1度は帰るようにしています。上京して長いですが、沖縄は大好きですもん。三線(さんしん)の音を聞けば和(なご)むし、那覇空港に到着すると帰ってきたと思うし「平和な場所であってほしい」と思っています。
―それにしても、超絶忙しかったSPEED時代、結婚して21歳で出産し、息子さんの障がい…一般人は「大変」と思いそうですが、自分自身はこれまでの人生をどう思われてます?
今井 大変と思ったことはないです。苦労したと感じたこともないです。誰に言われたことじゃない、自分で決断したことですから。毎日が面白いです。
―息子さんの障がいのことも前向きに?
今井 もちろんショックは大きかったです。障がいを持って生まれるとは思っていませんし、五体満足が当たり前と思っていましたからね。それに、障がいを持っているにしても、なぜ音楽をやっている両親の子どもから音を奪ったのか…神様はなんて残酷なんだろうと。
―息子さんに自分たちの音楽を聞かせることができない…。
今井 妊娠中は旦那さんの歌も私の歌も聞かせて、音楽の楽しさを伝えていこうと思ったことすべてが崩れてしまいましたからね。それでも、私は母として現実を受け止めていくしかなかったんです。息子は耳からの情報がないですから、お母さんは笑っていこうと決意して日々過ごしてきました。どんな世界にいても、私はいつでも笑顔でいようと。
―こうやって理論整然と話せるようになるまで、想像を絶する葛藤があったかと思います。かなり濃い人生経験を経て、これからどんな議員になっていきたいですか?
今井 議員会館にいない議員ですね(笑)。そのくらい各地を飛び回って人と会って交流をして、自分が関わっている議員立法で成立した法案が施行されて、必要としている人に届いているところまで見届けられる。そして、全ての人たちが笑顔になってもらえる。そんな政治家になりたいと思っています。
* * *
インタビュー終了後、記者が知っているクレバーな手話通訳士の話をした。すると、「すぐに連絡をとって会いに行きたいです。ご紹介いただけますか? あと、アポの時に渡邉さんの名前を出していいですか?」と彼女。そのフットワークの軽さもだが、何より記者の名前を覚えていたことに驚いた。SPEED時代にはなかったことだ。
会った相手の名前を覚えるのは議員として基本中の基本とはいえ、時代の寵児としてもてはやされた今井絵理子が、アーティストから議員へと変化した片鱗を感じ取れるやりとりだった。
勉強をしてから議員になるのがいいのか、議員になって勉強をしながら成長をしていくのがいいのか。考えは人それぞれで賛否両論あるが、少なくとも知らないことをごまかさず、「勉強をする」と言える素直さは応援するにふさわしいのではないだろうか。
(取材・文/渡邉裕美 撮影/石川耕三)