アメリカ社会は大統領選で分断したが、韓国は朴大統領への怒りで「ひとつになっている」と語る金恵京氏(撮影/細野晋司)

米大統領選挙はドナルド・トランプ氏の勝利というまさかの結末を迎えたが、韓国の大統領スキャンダルは、まだまだ出口が見えてこない。

朴槿恵(パク・クネ)大統領の親友、崔順実(チェ・スンシル)容疑者による国政介入疑惑に始まったこの事件は、次々と新たな事実が報道され、大統領の支持率は5%にまで急落。11月12日には100万人規模の抗議集会も行なわれた。韓国国民をここまで怒らせた問題の核心はどこにあるのか?

「週プレ外国人記者クラブ」第55回は、様々なメディアで活躍するソウル出身の国際法学者、金恵京(キム・ヘギョン)氏に話を聞いた――。

***

─今回の問題は、「大統領の親友」というだけの崔順実なる女性による国政介入疑惑から始まったわけですが、韓国の国民がここまで怒る核心はどこにあるのでしょうか?

 韓国では歴代大統領による家族ぐるみの汚職がほとんど常態化していました。全斗煥(チョン・ドゥファン)あるいは盧泰愚(ノ・テウ)元大統領は数百億円規模の不正蓄財で退任後に有罪判決を受け、金泳三(キム・ヨンサム)政権では次男が利権介入と脱税で逮捕。金大中(キム・デジュン)政権では3人の息子全員が収賄で逮捕、次の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権では兄が逮捕され、大統領自身も退任後に捜査を受け、自殺という結末を迎えています。

そして、今回の朴槿恵大統領の疑惑は親族と友人の違いはあるものの、周辺の人物の蓄財や資金に関わる問題であり、一見これまでとは大きな違いがないかのように思えます。しかし、それでは史上稀(まれ)に見る低い支持率や、大規模デモの発生が説明できません。

今回、韓国人が怒っている根幹は、主権者である国民が選挙を通じて大統領に預けた権限を、大統領本人が親友の女性に私的に譲り渡したことにあるのです。

─大統領職にある人間が、閣僚や政権スタッフ以外に自分の腹心となる人物を置き、そこからのアドバイスを政権運営に活かしたという例は過去にもあります。1980年代の米国レーガン政権では、ナンシー夫人が強く信じる占星術の影響が大統領の政策決定にも影響力を持っていたと広く言われています。

 レーガン政権におけるナンシー夫人の影響力と今回の件は同質に考えることはできません。現在、次々と明るみになってきている事実を見ると、崔容疑者が行使したのは「影響力」と言えるレベルのものではないからです。

例えば、大統領が服用する医薬品、時にビタミン注射(ニンニク注射)に関わる処方すらも崔容疑者が管理し、大統領は彼女に言われるままに従っていたとも報じられています。大統領の健康情報は国家機密の中でも上位に当たるものだということを考えれば、安全保障等の面からもあまりに深刻な事態と言うほかありません。

朴大統領と崔太敏(チェ・テミン)氏の隠し子疑惑

─崔容疑者がそういった立場にあることは大統領周辺の護衛官なども認識していたはずです。問題視する声は挙がらなかったのでしょうか?

 大統領が「これでいい」と言えば、セキュリティの責任者をはじめ関係者は何も言えません。韓国の大統領が持つ権力は、それほど強大ということです。朴大統領はその権力を周辺の意見や世論に流されることなく、自らの判断で運用していくという姿勢が期待され、支持されてきました。しかし実際は、ほとんど崔容疑者の“操り人形”のような状態だったわけです。

今回、韓国国民が味わった失望感や怒りは、大統領職の強大な権限と同様に日本の人々には実感が持ちづらいかもしれません。韓国にとって「民主主義の実現」という歴史がどれほど重大な意味を持つのか、日本の人々に知っていただく必要があると思います。

韓国では1980年代の全斗煥政権まで軍事独裁の政治が続き、国民の悲願であった民主化が宣言されたのは1987年のことです。ようやく民主主義を手に入れた後も、前述のように元大統領たちの家族による汚職はあとを絶たず、健全な政治は実現できずにいました。

そこに「家族との縁を切った」「自分の判断で政策決定を行なう」と公言する朴大統領が現れ、国民は彼女を信じ、希望を託したのです。そうした期待や、自らの手で勝ちとった民主主義を傷つけられたという感情は、今回の大規模デモに象徴的に表れています。

─政治の世界ですから、「朴大統領はハメられた」という陰謀説が浮上してきてもおかしくありません。また、母親も父親も殺され、孤独な人生を歩んできた朴大統領に対する同情論もあってよさそうですが…。

 陰謀説は、まったくと言っていいほど今回の事件に関してはありません。そんなことを言う人もいないほど、今、韓国国民は問題の本質を見つめ、自らの問題として考えています。

ただ、インターネット空間を飛び交うようなゴシップとしては、崔容疑者の父親である崔太敏(チェ・テミン)氏と朴大統領の間に隠し子がいるという疑惑は韓国で広く知られています。信憑性については疑問符が付くことも多く、インターネットでこの噂を流した人物は2014年に名誉毀損で有罪判決を受け、翌2015年にもインターネット・メディアの編集長がやはり有罪判決を受けています。

─ネット上の噂に対してそこまで強硬姿勢で臨むというのは、逆に怪しい気もしますが…。

 朴大統領は以前、「そうした子供を連れてくれば、いつでもDNA検査を受ける」と発言していたので、その通りにすればいいのだろうと思います。ただ、韓国大統領の強大な権力をもってすれば都合の悪い情報をシャットアウトするのも容易(たやす)いことです。

これまでの歴代大統領もそうやって在任中はメディアの追求を各種の圧力で抑え込みながら家族が私腹を肥やし、退任後に不正行為が一気に明るみに出るという構図でした。そして、大統領の権力が強大でメディアや捜査当局の追求を抑え込むことも可能な分、在任中に行なわれる不正行為も大規模なものだったのです。

また、同情論に関しては、そもそも朴大統領は彼女の不幸な生い立ちを知る人たちからの同情票もあって選挙で勝つことができました。つまり、国民からの同情は前提であり、今回は同情の余地はなく、怒りだけが充満している状態です。

強い怒りで国民はひとつにまとまっている

─大統領の支持率は5%にまで下がり、特に若者世代の支持率は「0%」と伝えられています。ここまで国民から嫌われる女性政治家というと、先日の米大統領選でトランプ候補に敗北したヒラリー・クリントン氏と比較したくもなります。

 クリントン氏とトランプ氏の戦いは米国内のエスタブリッシュメント層と非エスタブリッシュメント層の代理戦争であり、特に非エスタブリッシュメントの白人男性がクリントン氏を激しく嫌ったという図式があります。一方で、エスタブリッシュメント層はトランプ氏が次期大統領に決まった後も全米各地で抗議デモを繰り広げ、米国では分断状態が続いていますが、現在の韓国に分断はありません。

韓国ではむしろ、「朴大統領に裏切られた!」という失望感、そして強い怒りで国民はひとつにまとまっています。韓国各地で抗議デモが続いていますが、その現場にいる警察官もデモの参加者と同じ思いを共有しており、かつてのように暴力的にデモを規制することはありません。

─客観的に見て、朴大統領の政権維持は難しい状況だと思います。日本の立場で気になるのは、2015年末に日韓両国政府の間で交わされた「慰安婦問題に関する合意」の行方です。「最終的かつ不可逆な合意」として、金先生も「意義深い前進」と評価していましたが、正式の条約を結んだわけではありません。朴政権が倒れれば、反故(ほご)になる可能性もあるのではないでしょうか?

 まず、合意後も懸案となっているソウルの日本大使館前の慰安婦像撤去については、そもそも「適切に解決されるよう努力する」との位置づけで、当初から国民や野党側の反発も多かったので、現在の状況での解決は困難と言えるでしょう。

しかし、合意そのものを反故(ほご)、あるいは変更することに対しては、韓国の外交部も極めて慎重な態度を取るでしょう。正式の条約ではありませんが、朴大統領と安倍晋三首相という両国のトップが交わした約束ですから当然、それが覆(くつがえ)る事態は避けねばなりません。もし、反故あるいは変更があるとすれば、この合意に崔容疑者が関わっていたという事実が明るみになった場合に限られるはずです。

─朴政権の行方は不透明ですが、今回の事件が韓国の未来に与える影響はどのようなものでしょうか?

 ハッキリと言えるのは「韓国は変わる」ということです。韓国国民の民主主義に対する強い思いは、先に述べた通りです。国民から直接選ばれた大統領が汚職などと関わることなく、人々が望む政治を実現していくためには、韓国社会の構造そのものを見直す必要も出てきます。容易(たやす)いことではないでしょうが、今、韓国の国民はそこに向けて一致団結しています。

●金恵京(キム・ヘギョン)国際法学者。韓国・ソウル出身。高校卒業後、日本に留学。明治大学卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で博士号を取得。ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学韓国研究センター客員教授、明治大学法学部助教を経て、2015年から日本大学総合科学研究所准教授。著書に『柔らかな海峡 日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル)、『無差別テロ 国際社会はどう対処すればよいか』(岩波現代全書)などがある

(取材・文/田中茂朗)