地球温暖化対策の新枠組み「パリ協定」の実施ルールを話し合う「COP22」が11月7日~19日、モロッコで開催された。しかし、国会でTPP批准を急ぐ日本は、パリ協定への批准が間に合わず、正式メンバーとして参加できないという失態を演じた。
米大統領選挙以前から、ドナルド・トランプもヒラリー・クリントンもTPPには反対の立場を表明していた。先行き不透明なTPPの批准を急ぐことは、温暖化対策のルール作りに関して各国の「駆け引き」が繰り広げられる会議への参加より優先すべきことだったのか?
はたして日本は、本当に「環境先進国」といえるのか? 「週プレ外国人記者クラブ」第56回は、フランス「ル・モンド」紙の東京特派員、フィリップ・メスメール氏に話を聞いた――。
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―トランプ次期大統領は、アメリカはTPPやパリ協定から「離脱する」と主張していますね。
メスメール トランプの勝利は、ヨーロッパの先進国を中心に世界中で広がりを見せている「反グローバリズム」「保護主義」「既存の経済システムへの批判」といったトレンドを反映した結果だったことを考えれば、それほど大きな驚きではなかったと思います。
パリ協定に関しては、アメリカが本当に離脱するとは限りません。トランプは“ビッグマウス”ですから、選挙期間中から暴言混じりの「公約」を口にしてきました。環境問題についても「地球温暖化などインチキだ」と否定的な発言を繰り返しています。
しかし、選挙後の彼の発言を見ると、多くの点で軌道修正が始まっています。パリ協定の話し合いでは、オバマ大統領の積極的なリーダーシップの下、アメリカが大きな役割を占めてきました。ここでアメリカが態度を急変させ、パリ協定を離脱したら、それはアメリカにとって、新たなトランプ政権にとって本当にプラスになるのか? 私は、アメリカがパリ協定を離脱することはないのでは…と見ています。
─では、同じくトランプが繰り返し離脱を訴えていたTPPについてはどうでしょう?
メスメール TPPに関しては、現在の合意内容のままで批准する可能性は低いと思います。トランプは選挙戦でもNAFTA(北米自由貿易協定)やTPPについて批判を繰り返し、その中では日本や韓国との貿易を槍玉に挙げて「アメリカの雇用が失われている」などと訴え続けてきた。これは今回の大統領選挙で決定的に大きな論点だったわけです。
TPPはアメリカ人の雇用という身近な問題に繋げて論じられたわけですから、極東の安全保障といったテーマよりも有権者の関心が大きい。そう考えると、現在のTPP合意をトランプ政権がそのまま批准することは、まずあり得ないと思います。
安倍首相のようにTPP推進を強く望む立場の人たちにとって、おそらく現時点で望める最良のシナリオは、トランプ政権が「合意内容の再交渉」を条件にTPPの枠内に留まってくれることですが、最悪の場合には批准も再交渉も拒否して、合意そのものを破棄してしまう可能性もあると思います(21日にはYouTube上で離脱を明言)。ただし、TPPの代わりに、日米FTAなど新たな二国間協定の形で、よりアメリカにとって有利な条件を求めてくる可能性はあると思います。
日本人は未だに「日本は省エネ先進国だ」と誤解している
─しかし、日本の国会ではトランプ政権誕生が決まった後も、相変わらずTPP批准について議論し続けています…。
メスメール TPPに反対する野党が頑張るのは理解できるのですが、安倍首相や自民党がなぜ批准を急ぐのか、私にはその理由が全く理解できません。もはやアメリカがTPPを批准する可能性はほとんどない以上、日本が批准したところで現実的な意味がない。TPP合意の発効には、参加12ヵ国全体のGDPの6割近くを占めるアメリカの批准が不可欠。そのことは、安倍政権も当然わかっているはずです。
それでもなお、TPP批准にこだわるのはなぜか?と問われれば、アベノミクスの「第3の矢」の重要な一部であったTPP戦略の失敗を「自分のせいではない」とアピールするため…くらいの理由しか思いつきません。つまり、第3の矢のための努力は精一杯したのだ、それでもうまくいかなかったのはアメリカの方針転換のせいだ…ということにしたいのではないでしょうか?
パリ協定を放っておいて、現実には発効の見込みが低いTPPの批准にエネルギーを費やしたのは、普通に考えれば明らかな判断ミスです。ただ、ここでひとつ言えるのは、安倍政権は基本的に環境問題への関心が低く、積極的ではないということです。
昨年の「COP21」でも、先進国中、最後まで排出ガス削減の目標を示さなかったのが日本でした。本来、3月末までに示すべき目標値を日本が示したのは6月になってからだった。それも、欧州などの2030年までに2013年比で40%削減という目標に比べると、日本の目標は26%と、極めて消極的な内容でした。
前回の「京都議定書」では、世界的な環境問題について一定のリーダーシップと存在感を示した日本ですが、今回のパリ協定締結に関しては全くと言っていいほど、議論におけるリーダーシップを発揮しようとはしませんでした。それどころか、海外に向けた石炭火力発電プラントの輸出を進めるなど、むしろ世界的なトレンドに逆行した動きさえ見せています。
─しかし、日本は他の先進国とくらべて、ずっと以前から「省エネ」に取り組んできた歴史があり、二酸化炭素排出量の削減でも成果を上げてきたという事実もあります。後から環境問題や排出ガス削減に取り組んだ他の先進国と単純に比較しても、既に大幅な削減を実現している分、「削りしろ」が少ないという不利な面もあるのでは?
メスメール 実はそこに日本人の大きな誤解があります。確かに、日本はかつて省エネルギーや二酸化炭素排出量削減の面で世界を大きくリードする存在でした。しかし、それはもはや「過去」でしかない。
フランスも含めてヨーロッパ諸国の環境政策は、今や日本のそれとは比較にならないほど積極的なものだということをほとんどの日本人は知らないのではないでしょうか。二酸化炭素排出量削減に繋がる省エネルギーには、大きく分けて「工業分野」「交通分野」「建築物」の3つの要素があります。このうち、「工業」と「交通」の面では日本の省エネは高いレベルを実現していますが、「建築物」の面では大きく立ち遅れています。
例えば、ヨーロッパでは大きなオフィスビルのほとんどが二重、三重の窓ガラスで断熱性を高めているのに、日本では東京の中心部に立つ新築のビルディングでも二重ガラスを使っていないビルは多い。それ以外にも、再生利用可能エネルギーの活用など多くの面で、日本は欧州の先進国に比べて消極的で、環境問題への意識、感心が低い。それなのに多くの日本人が未だに「日本は省エネ先進国だ」と誤解しているのです。
中国はかつてないほど環境問題に力を入れ始めている
─日本はなぜ、世界的な環境問題への取り組みに対して、以前よりも積極的ではなくなったのだと思いますか?
メスメール おそらく安倍政権が、環境問題への取り組みは経済成長と相反する「企業への負担」だと捉(とら)えているからではないでしょうか。「あえて」国際的な環境問題への取り組みから距離を取っているのでは?と感じるほどです。対照的にヨーロッパ諸国では、地球温暖化対策など環境問題への取り組みを地球規模の大切な取り組みと位置づけ、政治がリーダーシップを発揮する形で国民の理解を広め、コンセンサスを形成する努力を積み重ねています。
加えて、今回のパリ協定では欧州だけではなく、全世界の温室効果ガス排出量の約18%を占めるアメリカや20%を占める中国といった、これまで環境問題への対応には必ずしも熱心ではなかった大国が、積極的な取り組みを見せている点にも注目すべきでしょう。
特に中国はかつてないほどに環境問題への取り組みに力を入れ始めている。なぜなら、国内の環境汚染が今や深刻な内政問題へと発展しかねない状況にあり、再生可能エネルギーをビジネスとして成立させることが、内政を安定させるために不可欠な最重要課題のひとつになっているからです。
─こうした国際的な環境問題への取り組みは、各国がそれぞれ自国に有利な形でルール作りを進めようとする「駆け引き」の舞台でもあると思います。今回のようにパリ協定への批准が遅れ、具体的なルール作りに出遅れたということは、日本の「国益」を考えても大きなマイナスなのではないでしょうか?
メスメール その通りです。その意味では将来、日本の経済にとってもマイナスとなる可能性がある。ですから、国際的な環境問題への取り組みから距離を置くことは、長期的に見れば、決して日本にとって望ましいことではないはずです。
●フィリップ・メスメール 1972年生まれ、フランス・パリ出身。2002年に来日し、夕刊紙「ル・モンド」や雑誌「レクスプレス」の東京特派員として活動している
(取材・文/川喜田 研 撮影/長尾 迪)