北海道の根室で取材したというアイルランド人記者、マックニール氏は北方領土問題をどう見ているか?

プーチン大統領の来日で、前進が期待された「北方領土問題」だったが、フタを開ければ完全に空振りに終わった。安倍首相の悲願のひとつである北方領土の「返還」は、果たして可能なのだろうか? 

「週プレ外国人記者クラブ」第59回は、北方領土問題の取材のため北海道根室市を訪れたというアイルランド人ジャーナリスト、デイビッド・マックニール氏に話を聞いた――。

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─マックニールさんはプーチン大統領の来日を前に、北方領土の「対岸」とも言うべき、根室に取材に行かれたそうですね。

マックニール 根室ではかつて色丹島の住民だった方や長谷川俊輔・根室市長、元衆議院議員の鈴木宗男氏らにお会いして、北方領土問題の今についてお話を伺いました。また、根室半島の納沙布(のさっぷ)岬を訪れ、歯舞群島の貝殻島がその沖合、わずか3.7kmにあるということを自分の目で見て、改めてその「近さ」を実感しました。

私が驚いたのは、イメージしていたより北方領土は遥かに大きいということです。特に国後島と択捉島はそれぞれ沖縄本島よりも大きいことを、日本人でも知らない人は意外と多いのではないでしょうか?

そして、かつて北方領土には約1万7千人の日本人が暮らしていたということも、戦後71年を経た今では想像しにくいことかもしれません。私が根室でお話を伺った色丹島の元住民の方は島で生まれ育ち、13歳の時、島を追い出されたということでしたが、ソビエトによる占領から数年間はソビエトの施政下でロシア人と日本人が共に暮らしていた…という歴史も知りませんでした(※日本人旧島民の本土引き揚げは1946年にGHQとソ連の合意で決まり、1949年までに日本人の島民全員が引き揚げを完了)。

もうひとつ考えさせられたのは、先ほどお話した「北方領土の近さ」とも関係しているのですが、かつてはこの地域の経済を支え、特に捕鯨に関しては日本有数の規模を誇った根室沖の漁業が、今では領土問題の影響で壊滅的な状況にあるということでした。そのため根室市自体も人口がかつての半分以下に減少するなど大きく衰退しています。

私の母国アイルランドも「北アイルランド」でイギリスとの間に領土問題を抱えてきましたが、私の生まれ故郷は「イギリス領」とされた北アイルランドとの境界線に近い町で、かつては北アイルランド側との商売を中心としたマーケットシティとして栄えていた。その町がイギリスとの領土問題によって衰退してしまった歴史を知っているので、根室で聞いた状況がリアリティを持って理解できました。

日米関係の分断を図るロシア

─結局、今回の日ロ首脳会談でも領土問題に関する具体的な進展はありませんでしたが、北方領土返還の現実的な可能性について、根室ではどんな声がありましたか?

マックニール 返還の実現がとても難しいことはよくわかっているようでしたが、同時に希望も持ち続けているのだと感じました。根室市の長谷川市長はロシア国内には北方領土返還に反対する声が多いことを理解した上で、安倍首相とプーチン大統領の関係、特にプーチンに期待しているようで、ロシア国内で独裁者に近い権力を持つプーチンならば、この状況を「なんとかできるのではないか」と語っていたのが印象的でした。

ただし、現実的に考えるとロシアでの世論調査では70%を超えるロシア人が北方領土の返還に強く反対していますし、そもそもロシア側は「領土問題は存在しない」という基本的な姿勢を崩していません。また、北方四島の返還が可能だと考える人たちは、その理由としてロシアが極東地域における開発や経済発展のために日本の投資や最新の科学技術を必要としていることを挙げていますが、こうしたロシア側のニーズもやや誇張されているという印象です。

テンプル大学の政治学者ジェームズ・ブラウン教授は、北方領土問題に関する日ロ間の現状について「今、ロシア側にとって日本を畏(おそ)れる理由もなければ、領土問題で妥協する理由もない。彼らは北方領土を先の大戦で得た当然の対価だと思っているのだ」と語っていましたが、おそらくそれがプーチンの本音でしょう。しかも、最終的に北方四島を日本に返還するつもりがないのに、その可能性をかすかに期待させることで、日本側から一方的に妥協を引き出そうとしている。

安倍首相は2012年の首相就任以来、プーチン大統領との信頼関係を築くことに力を注いできましたが「クリミア問題」を巡るロシアへの経済制裁に日本が加わった2014年以来、こうした流れは大きく変わりました。プーチン大統領の側からすれば、未だにロシアへの経済制裁を続ける日本にわざわざ領土問題で譲歩する理由などどこにもない…という話でしょう。

クリミア問題だけでなく、シリア問題でもアメリカやEU諸国との対立が深まっているロシアとしては、北方領土に関する日本側の「かすかな期待」を巧みに利用しながら、日米関係の分断を図るという、したたかな戦略が見え隠れしています。

北方領土問題には米英の責任もある

─確かに現実は厳しそうですが、「四島返還は可能か否か」という問題以前に素朴な疑問があります。それは「万が一」、北方領土が返還されることになったとして、現在これらの島々に住んでいるロシア人たちの生活はどうなるのか…という点です。

北方領土には択捉、国後の二島を中心に合計1万6千人ほどのロシア人が住んでいます。これらの島々が日本の領土になった時、彼らはかつての「日本人島民」のように自分たちの故郷を追われることになるのか…。

マックニール 確かにそうですね、奇しくも1万6千人というのは、かつてこれらの島々に暮らしていた日本人の数とほぼ同じですね。また、明治政府とロシアが「樺太・千島交換条約」を結び千島諸島を日本の施政下においたのが1875年で、そこから日本の敗戦までがちょうど70年。これは戦後、ソビエトとロシアの施政下にあった年数とほぼ同じです。

─これらの島々の「主権」が日本とロシアのどちらにあるのかという議論はさておき、そこに1万6千人ものロシア人が暮らしていて、既に71年もの時間が流れている。当然、彼らには領土問題に関する直接的な責任もないし、守られるべき暮らしと人権がある。かつての日本人島民が経験したような悲劇を彼らに強(し)いることができるのか。

マックニール 色丹島の元島民の方は「日本人とロシア人が仲良く一緒に暮らせばいいじゃないか」と言っていました。先述のように、戦争が終わり、島がソビエトの施政下に入った後の数年間は日本人島民がそのまま暮らしていた。その方は当時、まだ子供だったので政治的な状況はわからなかったけれど、「ターニャというロシア人の女の子と親しくなった」という思い出を話してくれました。

この地域ではそれよりずっと以前から日本人とロシア人の交流があり、民間レベルではこの元島民の方が言うように「共に暮らしてゆく」ということは可能かもしれません。ただ、実際には「北方領土の領有権」が明確にならない限り、そうした状況が実現することはあり得ない。それが、この問題のシビアな現実であることも確かです。

─北方領土の領有権問題を生んだ責任の一端はアメリカとイギリスにもあるのではないでしょうか? というのも、1945年の終戦直前にルーズベルト、チャーチル、スターリンという米英露の3ヵ国首脳がソ連の対日参戦と日本の戦後処理について話し合った「ヤルタ会談」で、ソ連の対日参戦の条件としてルーズベルトが「千島の領有権」を認めた「ヤルタ密約」があった。戦後、その密約を米英が「認めない」と態度を翻(ひるがえ)したことが、結果的にこの問題を複雑にしているからです。

マックニール 確かにそうですね。1956年の平和条約を巡る交渉では、いったん、日ソ両国が歯舞、色丹の二島返還(※ソ連側の主張は返還ではなく「譲渡」)で合意しかけていたにもかかわらず、「二島返還での妥協は許さない」というアメリカからの圧力でこれが実現しなかったという過去もある。そのことに関しても、改めて検証する必要があるかもしれません。

●デイビッド・マックニールアイルランド出身。東京大学大学院に留学した後、2000年に再来日し、英紙「エコノミスト」や「インデペンデント」に寄稿している

(取材・文/川喜田 研 撮影/長尾 迪)