現代史を動かした闇組織の実態とは…?

北朝鮮の金正恩党委員長の異母兄・金正男(キム・ジョンナム)氏が2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で北朝鮮の工作員らしきふたり組の女に毒殺された。その命令を下したのは、ほかならぬ金正恩党委員長とみられている。

独裁的な権力を持つ政府や指導者が、その政治目的のために「暗殺集団」を組織するのは珍しいことではない。そこで、表舞台には出ず、陰で歴史を動かしてきた“実動部隊”を紹介しよう。

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麻薬犯罪者を“超法規的”に暗殺することもいとわないフィリピンのドゥテルテ大統領。その強硬な政治姿勢の根底にあるのは、実は中国の文化大革命を主導し、約7800万人を虐殺したとされる毛沢東の思想だという。共産主義の歴史に詳しいジャーナリストの古是三春(ふるぜ・みつはる)氏が解説する。

「ドゥテルテの大学時代の恩師ホセ・マリア・シソンは、毛沢東主義を掲げたフィリピン共産党の軍事部門NPA(新人民軍)の創始者。その影響下にあるドゥテルテ本人も、思想的には強烈な左派です。麻薬犯罪や腐敗官僚に対し、一貫して厳しい態度を崩さないのも、反対派を躊躇(ちゅうちょ)なく殺した毛沢東の手法と共通するものがあります」

ドゥテルテの“暗殺統治”の源流に当たる中国では、国を治める共産党の情報部門そのものが巨大な暗殺組織のようなものだ。

「かつて毛沢東の主治医を長年務めた李志綏(り・しすい)は、アメリカ移住後の1994年に『毛沢東の私生活』を著して世界中に衝撃を与えました。ところが、第2作の執筆を表明してからわずか2週間後の95年2月、米イリノイ州の自宅浴室で『心臓発作』により死亡しました。

当時、私は中国のある外交官から『神の実像を暴露した者には必ず死が訪れる』と聞かされ、ゾッとしたのをよく覚えています。同様な形で、中国の人権活動家が『失踪』したり、『交通事故』で死亡することは近年でも珍しくありません」

一方、20世紀後半の中南米では、共産・社会主義勢力を抑え込むための「暗殺集団」が派手に暴れた。しかもバックアップしていたのは、あろうことか「自由と人権」を標榜する超大国アメリカだ。

国際ジャーナリストの河合洋一郎氏が解説する。

「第2次世界大戦に勝利したアメリカは46年、パナマに『米陸軍米州学校(SOA)』を設立しました(84年に米ジョージア州フォート・ベニングに移り、『西半球安全保障協力研究所(WHISC)』と改称)。目的は、南米各国の親米勢力に拷問や暗殺などのテクニックを伝授し、左派反米政権を転覆したり、親米政権の長期化を図ること。後の南米の親米軍事政権のトップや幹部のほとんどがこの学校の卒業生で、その国々で暗躍した暗殺集団の将校も、多くがここで訓練を受けていたことが判明しています」

モサド内部でも極秘扱いの「キドン」

この「学校」が中南米の現代史に与えた影響は計り知れない。例えばグアテマラ内戦(60~96年)では年平均5千人以上の民間人が殺害され、90年代のペルーでも、「グルポ・コリナ」という反共産主義の暗殺集団がいくつもの虐殺事件を起こした。

また、アメリカ主導の大規模な殺戮事件としては、ベトナム戦争中にCIA(米中央情報局)が計画し、南ベトナム軍情報部と共に実行したベトコン狩り作戦「フェニックス・プログラム」(68~71年)も挙げられる。拷問あるいは処刑された約10万人の中にはベトコンとは関係のない民間人もかなり含まれていたという。

■モサド内部でも極秘扱いの「キドン」

冷戦期には、東欧の共産主義諸国でも秘密警察による暗殺が国境を超えて横行した。元防衛庁情報工作官の柳内伸作(やない・しんさく)氏がその一例を挙げる。

69年にブルガリアからイギリスへ亡命した作家のゲオルギー・マルコフは、ブルガリア指導層のセックスの乱れをテーマに芝居の脚本などを執筆していました。しかし78年、仕事場に向かう途中、すれ違った男の傘が右太ももに当たり、チクリと痛みを感じたといいます。

しばらくは何事もなかったのですが、帰宅後、熱が出て嘔吐を始め、4日後に病院で死亡。脚からは針の頭より小さい金属球が発見され、猛毒のリシンが検出されました。ブルガリア秘密警察の仕業であることは明らかです」

また、地域のパワーバランスが不安定な中東でも暗殺は日常茶飯事。中でも秘密のベールに包まれているのが、イスラエルの諜報機関モサドの暗殺部隊「キドン」だ。

「モサド内部でもその正体は極秘とされ、キドンのメンバーが普通のモサド職員と顔を合わせることさえない。パレスチナのイスラミック・ジハードの指導者ファトヒ・シュカキ、レバノンのシーア派武装組織ヒズボラの作戦司令官イマッド・マグニエの暗殺などが有名です」(河合氏)

そのイスラエルと敵対するイスラム大国イランでも、反体制派を一掃する大規模な暗殺作戦が行なわれた。

79年のイスラム革命でホメイニ政権が誕生すると、前政権の要人たちの多くは欧州に亡命し、新政権打倒を画策しました。これに対し、新政権側は暗殺部隊を結成して亡命イラン人を処刑し始めます。暗殺作戦は97年まで続き、約200名が殺害されたといわれます」(河合氏)

最後に、21世紀になって新たに生まれた「暗殺集団」を紹介しよう。

「2011年、ケニアはアルカイダ系イスラム過激派アル・シャバーブを潰す目的で、隣国ソマリア領内に侵攻します。しかし、これが裏目に出て、ケニア国内でアル・シャバーブの活動が活発化。現在、ケニア政府側は警察、軍、情報機関メンバーからなる暗殺集団を編成し、裁判で無罪になった者も含めて過激なイスラム教徒を片っ端から暗殺しています」(河合氏)

大国や独裁政権のあるところ、必ず暗殺組織あり。ドゥテルテの「自警団」や「DDS」は政敵潰しではなく、あくまでも治安維持を目的としている点で異色だが、これもまた歴史の新たな一ページとなるのかもしれない。

★週プレでは、フィリピンのドゥテルテ大統領「直轄暗殺集団」への接触に成功。謎に包まれた組織の正体に迫る渾身の現地ルポは明日配信予定!

(協力/世良光弘)