「今後、ネット上の怒れる民意や、クレーマー的な人たちの声が教育行政に影響していく可能性は十分あると思います」と語る辻田真佐憲氏 「今後、ネット上の怒れる民意や、クレーマー的な人たちの声が教育行政に影響していく可能性は十分あると思います」と語る辻田真佐憲氏

日本の教育が揺れている。復古的な教育方針で知られた森友学園の国有地売却問題に対する首相夫人の関与疑惑や、3月末までに歴代事務次官を含む43人が処分を受けた文科省OBの天下り問題など、何かとグレーな事件が頻発しているのだ。

明治以来、日本の教育行政は政治や世論にしばしば翻弄されてきた。その歴史を「文部省」(現・文部科学省)をキーワードに読み解いたのが『文部省の研究「理想の日本人像」を求めた百五十年』である。著者の辻田真佐憲(つじた・まさのり)氏に聞いた。

* * *

―戦前の教育勅語を絶対視し、その復活を求める保守派の声が近年強まっているように思えます。しかし、歴史的に見れば教育勅語はしばしば改訂が議論されてきたとか。

辻田 教育勅語は明治23年、列強の植民地化におびえる日本が、国民の統合を目的として定めたものです。そのため、日本が大国化した日清戦争後から早くも改訂が議論され、解釈も柔軟になされてきた。教育勅語は本来「死守すべき絶対的な方針」では決してなかったのです。

そもそも明治前半時点の“望ましい道徳を形”にした文書にすぎないのですから、現代の時代にも合いません。教育勅語の復活はナンセンスな主張です。

―戦後70年以上を経た現在、復活論が出るのはなぜですか。

辻田 具体的な中身とは関係なく、右派なら教育勅語を全肯定すべき、左派なら全否定すべきというパターン化した認識が確立している点も大きいでしょう。55年体制の時代まで、左右の対立構造は支持者獲得のための「お約束」の部分もあったのですが、近年はそれがガチンコになってしまいました。

昨今、教育勅語の復活論が力を持ったように見えるのも「右派ならこうすべき」というパターン思考が暴走した結果です。特に現在は右派が強い時代なので、いっそうこうした傾向が強まっていますよね。

森友学園は戦前なら不敬罪!

―戦前回帰的な教育方針で知られた森友学園も話題になりました。

辻田 はい。ただ、森友学園は「戦前回帰」ではなく、むしろ戦前なら不敬罪になると思います(笑)。なぜなら天皇の言葉である教育勅語は、戦前なら校長先生が威儀を正して読むもので、森友学園のように園児がガヤガヤと読むのは絶対にダメ。また御真影(天皇・皇后の写真)も覆いをかけて奉安殿などに大事に安置されていたわけで、決して野ざらしにしてはいけません。

森友学園の教育内容は、現代の右派がイメージする「戦前」のコスプレ劇です。最も愚直かつ戯画的な形で、彼らのパターン思考が反映されたのが森友学園だったと思いますね。

―保守色の強い教育方針は、国会議員もしばしば主張しています。また、愛国心や愛郷心といったテーマは、文科省が制定する道徳の教科書などを通じて近年の教育現場に落とし込まれるようになりました。

辻田 日本が以前ほど豊かではなくなり、政治家は以前のようなバラマキ政策が難しくなりました。でも、教育の分野は元手がかからず、手を出しやすい。結果、保守的な文教族(文科省とつながりが深い議員)の影響力が強まった点は指摘できます。

経済分野なら費用対効果が可視化されるため、政治家の空理空論は実現しにくいですが、教育は客観的な効果測定が難しく、話が通りやすい。愛国心・愛郷心教育自体は悪いことではありませんが、極端な意見が反映されやすい構造があります。

―教育改革の議論では「教育を変えねば日本が滅びる」といった主張も多く見られますよね。こうした「世紀末」的な煽(あお)りはなぜ登場するのでしょう。

辻田 最近始まった話でもありません。各時代ごとに「列強に植民地化されて滅びる」「冷戦下で東側陣営に取り込まれて滅びる」と、危機感を煽る主張が教育改革の動機となってきた歴史があります。

加えて戦後、文教族の政治家は政界において傍流だったため、いっそう極端な議論がなされやすく、「教育勅語の復活」のような教条的な主張が生まれやすい風土がありました。しかし、現在は彼らの影響力が高まり、従来は「ネタ」的に唱えられていた雑な主張が「ベタ」になりつつあります。

―そうした主張を受け入れる文部省(文科省)の事情は。

辻田 文部省は基本的に予算が少ない「脆弱(ぜいじゃく)な省庁」ですから、与党・自民党の政治家に公共事業を提案するようなことはできません。ゆえにこの省がアピールできる分野は、必然的に「入学式で国旗国歌を」とか「公共心の教育を」といったイデオロギー色のある政策になります。文部官僚には政治色を持つ人は少ないのですが、省庁の置かれた立場ゆえに、保守政権が生まれるたびこうした教育政策が実行に移されがちです。

教育に「介入」しているのは、安倍首相の「お友達」

―本書は、戦時中は軍部、高度成長期は財界人など、各時代の最も強い勢力が文部省に介入して「理想の日本人像」を組み替えてきた歴史を紹介しています。現在、教育に「介入」しているのはどんな人たちですか。

辻田 90年代以降は政治主導の時代なので、首相官邸の影響力が強まりました。さらに言えば首相の私的諮問機関、つまり首相の「お友達」の皆さんです。結果、現在は保守的なイデオロギーが打ち出される一方で、ワタミ元社長の渡邉美樹さんなどの財界人も「お友達」に含まれているため、グローバル人材の育成といった要素も教育方針に反映されています。

―今後、「介入」の主体はどんな勢力が考えられますか?

辻田 今後は、アメリカでトランプ大統領を当選させたようなネット上の怒れる民意や、クレーマー的な人たちの声が次の介入者となるかもしれないと思っています。望ましい事態かはさておき、下からの突き上げが教育行政に影響していく可能性は十分あります。

―時の政権や世論の趨勢(すうせい)に左右されすぎる省庁が、日本の子供の教育にあずかっているのは、なんだか不安ですね。

辻田 必ずしもそうした側面だけではありません。仮になんらかの極端な方針が決定されても、それを運用するにあたり穏健な形に調整していく仕事も、やはり文科省の役割だからです。

戦前は教育勅語が、戦後も旧教育基本法が各時代に合った形に読み替えられ、柔軟に運用されてきました。「介入」する人たちの意図はさておき、その現場での「実装」において上手な落としどころをつくっていく能力が、今後も文科省に求められていくと思っています。

(インタビュー・文/安田峰俊 撮影/高橋定敬)

●辻田真佐憲(つじた・まさのり) 1984年生まれ、大阪府出身。慶應義塾大学文学部卒業。近現代史研究者。主に政治と文化芸術の関わりについて執筆。中学時代から軍歌収集にハマり、2005年に軍歌趣味サイト『西洋軍歌蒐集館』を開設。11年には『世界軍歌全集歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』(社会評論社)を発表した。これまでの著書に『ふしぎな君が代』『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』(どちらも幻冬舎新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト・プレス)など

■『文部省の研究「理想の日本人像」を求めた百五十年』(文春新書 920円+税) 戦中は「陸軍省文部局」、戦後は「日経連教育局」と権勢に隷属する“三流官庁”として揶揄されてきた文部省(現・文部科学省)。だが、この省庁の150年は「理想の日本人」を育てるという国家的使命を実現するための、闘いの歴史だった。園児に教育勅語を暗唱させる「森友学園」が生まれた背景は? 道徳の教科書検定で「パン屋」を「和菓子屋」に変えさせたのはなぜ? その答えがわかる一冊