東京都議選での自民党の“歴史的惨敗”で、「安倍一強」と言われた政権の求心力は急激に低下している。加計学園問題や稲田防衛相の失言など相次ぐオウンゴールが大きな要因だが、その過程ではメディアによる厳しい追及も見られた。
この「安倍政権vsメディア」の戦いを、米トランプ政権と激しく対立している「ニューヨーク・タイムズ」の記者はどう見たか? 「週プレ外国人記者クラブ」第83回は、同紙の東京特派員、ジョナサン・ソーブル氏に話を聞いた――。
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―都議選とは関係ありませんが、トランプ大統領が自らツイッターにUPした、かつてプロレスに出た時の加工映像が話題になりましたね。相手の顔に「CNN」のロゴを貼りつけて、馬乗りになって殴るというものです。
ソーブル あの映像はメディアへの暴力を扇動しているように見えるし、大統領としてあり得ない行動ですが、ニューヨーク・タイムズにオピニオンライターとして寄稿しているカナダ人作家が、トランプ大統領とプロレスの関わりについて興味深い分析をしています。彼はトランプ現象を“米社会のプロレス化”と理解するべきだと言っています。プロレスの観客は「これは演技だ」とわかりながら見ている。ある意味、プロレスやリアリティ・ショーといったものは“ポスト・トゥルース”のわかりやすい例でしょう。
トランプ大統領は、そういう米社会の文化的状況を本能的なレベルで理解している人です。あの映像は「私の本質を理解しなさい」という、有権者へのアピールだったのではないでしょうか(笑)。
―本能的なレベルで状況を理解し、有権者にアピールするという点は小池百合子都知事にも共通するのではないでしょうか?
ソーブル 確かに、「都民ファーストの会」という党名はトランプ大統領が掲げる「アメリカ・ファースト」を連想させるし、小池知事にもトランプ大統領と同じポピュリスト的要素があり、メディアを利用して有権者にアピールするのも巧いですが、このふたりは基本的に違うと思います。小池知事は国会議員として当選8回のキャリアがあり、閣僚も経験しているプロの政治家です。その比較対象としてトランプ大統領を挙げるのは適切ではないと思います。
―今回の都議選における都民ファーストの会の圧勝は、日本の政治全体にはどのような意味があったと思いますか?
ソーブル 第2次安倍政権は誕生して4年半もの間、非常に高い支持率を維持してきましたが、それは有権者にとっては積極的に安倍政権を支持するというよりも、「他に選択肢がない」というのが大きな理由だったのではないでしょうか。民進党は有権者の中に民主党時代の失望が強く残っているし、今は自民党に取って代わるものとしての左派が存在していません。
都議選で都民ファーストの会は圧勝したとはいえ、政策の方向性やイデオロギーは自民党に近い。だから、今回の都議選で有権者が安倍政権に「NO」を突きつけたことは間違いありませんが、だからといって保守勢力が崩れようとしているとは言えないと思います。小池氏と彼女の新党が今後、国政に進出するとしても、そのタイミングが見えてこないし、具体的に国政にどういう影響を与えるかといったことも見えてきません。
―まさにプロレス的な見方をすると、小池知事と自民党は敵対を装っているだけかもしれません。
ソーブル 日本の右派は、自民党という大きな傘の下でいつもシャッフルしていて、その傘から出て新しい政党が生まれたり、また元の傘の下に戻ったりを繰り返してきました。今後、小池氏、あるいは都民ファーストの会も同じような動きをするかもしれません。都議選の大敗で「ポスト安倍」が注目されていますが、自民党にカリスマ性のある政治家が少ない状況では、小池氏はまだ重要な人材でしょう。
「もっと議論を」と「説明責任を果たしていない」は禁句
―今回の都議選の結果には、稲田防衛相の失言、豊田真由子衆院議員の暴行疑惑など、度重なる自民党のオウンゴールも大きな影響を与えました。その過程ではメディアによる厳しい追及もあったと思います。安倍政権とメディアの対立をどう見ていますか?
ソーブル 第2次安倍政権の発足以降、政権によるメディアへの圧力という問題が注目されるようになりました。おそらく、最初に大きく取り上げられたのは2014年12月の衆院選直前に自民党が萩生田光一筆頭副幹事長、福井照報道局長(肩書きはいずれも当時)の連名でTV各局に宛てた「要望書」でしょう。
公平中立な報道姿勢を求める内容でしたが、メディアへの圧力のようにも受け取れるものでした。さらに報道番組のキャスターやコメンテーターの降板なども相次ぎ、これもメディアへの圧力として注目を集めました。しかし、こういった政権からの圧力という構図は、世界的に見ればどこにでもある“普通のこと”です。
問題はそういった圧力に対してメディアがどう対処するかという姿勢でしょう。もし、アメリカのTV局が同じような要望書を受け取ったら、まず読んで「なるほどね」と頷(うなず)いた後でクシャクシャと丸めてゴミ箱に放り込むことでしょう。ところが日本のメディアでは、そう単純にはいかないようです。私は昨年4月、日本の「表現の自由」に関する調査のため来日した国連特別報告者のデービッド・ケイ氏と話す機会がありました。
―今年6月の国連人権理事会で訪日調査報告書を発表し、安倍政権から批判された人ですね。
ソーブル 昨年、ケイ氏はタジキスタンの調査の後に来日したのですが、彼は「タジキスタンでの調査のほうが簡単だ」と言っていました。つまり、タジキスタンでは報道の自由が全くと言っていいほど存在しない。政権にとって不利な記事を書けば、その記者や報道機関は逮捕されて処罰されることもある。政権からメディアへの圧力がはっきりと見える形になっているというわけです。それに対して日本ではそのメカニズムが見えづらく、非常にややこしいと彼は言っていて、それには私も大きく頷きました。
ケイ氏は来日した際、日本人のジャーナリスト数人に話を聞いたそうです。彼らは「自由に記事を書くことができない」と訴えたそうですが、「では、政権はどうやってメディアに圧力を加えているのか?」と突っ込んで問うと、返ってくるのは「具体的にどうというわけではないけど、空気がね」という答え。さらに「では、書いたらどうですか?」とケイ氏が言うと、「う~ん…でもね、書けないんだ」と。これは私にも非常によくわかります。
日本では“場の空気”を重んずる文化があります。しかし、その空気は権力の側だけで勝手に作れるものではなく、メディアが作るものでもあります。
―日本ではTV放送は許認可事業で、過去にはその権限を持つ総務大臣が許認可取り消しについて言及したこともあるし、その“空気”には日本の民放TV局=大手新聞社のグループ企業という構図も大きく影響していると思います。
ソーブル メディアが空気に支配されてしまうのは非常に危険な状況です。だからといって私は、日本のメディアはもっと権力と対立するべきだと言っているわけではありません。むしろ日本の新聞は、その社のイデオロギーの箱に収められていて、例えば左派の新聞ならば、安倍政権が「シロ」と言えば反射的に「クロ」と反論してしまう傾向があるように思います。アメリカの場合はトランプ政権には突っ込みどころが多いので、ネガティブな記事が多くなるのは仕方がないと思いますけど。
もうひとつ言えば、例えば朝日新聞は左寄り、読売新聞は右寄りといったイデオロギー的なスタンスは明確なのに記事のインパクトが少ないようにも思います。各紙の社説を読んでも、結びが「もっと議論が必要だ」とか「説明責任を果たしていない」といった、どちら側のスタンスでも言える内容で終わっていることが多い。はっきり言って、オピニオンとしては退屈です。
―ニューヨーク・タイムズは先日、「トランプ大統領100のウソ」を一面に掲載しましたね。「ウソをつかなかったのは別荘で休暇を取っている時か、ゴルフをしている日だ」などと皮肉も込められていて、面白い。
ソーブル 「トランプ100のウソ」では、大統領の発言を引用した後に、それがウソである根拠をひとつひとつ示しました。もし読者が「これは違う」と思えば反論できるわけです。「もっと議論を」だけでは、反論も生まれません。偉そうに言えば、もし私が日本の新聞社の編集長を務めるなら、「もっと議論を」と「説明責任を果たしていない」は禁句に指定しますね。
(取材・文/田中茂朗 撮影/保高幸子)
●ジョナサン・ソーブル 1973年生まれ、カナダ・オンタリオ州出身。トロント大学で国際関係論、ニューヨークのコロンビア大学大学院でジャーナリズムを学ぶ。ダウ・ジョーンズ通信、ロイター通信、「フィナンシャル・タイムズ」東京支局長を経て、2014年から「ニューヨーク・タイムズ」東京特派員として活動している