池上彰(いけがみ・あきら)さんの『世界を動かす巨人たち〈経済人編〉』(集英社新書)が刊行された。
読書情報誌「青春と読書」の連載をまとめたもので、〈政治家編〉に続く、歴史を動かす「個人」から現代世界を読み解くシリーズの第2弾だ。
本書に登場する経済人たちは、以下の11人。ジャック・マー(アリババ)、ルパート・マードック(メディア王)、ウォーレン・バフェット(投資家)、ビル・ゲイツ(マイクロソフト)、ジェフ・ベゾス(アマゾン)、ドナルド・トランプ(米大統領)、マーク・ザッカーバーグ(フェイスブック)、ラリー・ペイジ/セルゲイ・ミハイロビッチ・ブリン(グーグル)、コーク兄弟(大資産家)。
そこで連載を振り返りつつ、現代世界における「経済人」の役割について、池上さんにお話を伺った。
■ネットの世界はスピードが大事
─今回の顔ぶれを見ると、結果的にインターネットないしはウォール街に大きな影響力を行使する人たちが揃いました。
池上 一時代前であれば、経済人というと、フォードとか松下幸之助とかのような製造業の経営者の名前が挙がったと思います。ところが今、思いつく経済人は誰だろうと考えた場合、どうしてもネット関係の人たちの名前が多く挙がってこざるを得ないということがありますね。
例えば、第一回に取り上げたジャック・マーは、インターネット商取引サイト「アリババ」を擁して中国のネットショッピングを牛耳るまでになっていますし、フェイスブックにしてもマイクロソフトにしても、まさに彼らの出現によって私たちの暮らしは大きな変化を遂げました。現在、パソコンあるいはインターネットなしの日常というのは考えられないわけですね。日常生活だけでなく、政治的にも大きな影響を与えている。
現に、アラブの春のきっかけと拡大に貢献したのはフェイスブックですし、あるいは去年のアメリカ大統領選挙でもフェイスブックをプラットフォームにした大量のフェイク・ニュース(ウソニュース)が流され、大統領選の結果に影響したといわれています。アマゾンにしても、最初は単なる本のネット販売だと思い込んでいたのが、あっという間にあらゆる商売を飲み込んでしまうような一大産業に発展していく。
─どの人物も、経済なり情報の流れをいち早く読んで、自分の事業を設計しているのが共通しているような印象です。
池上 立ち上げるのが早ければ早いほどいい。まったく新しいマーケットに乗り出した場合は、少しでも早いほうが圧倒的に勝つわけですね。例えばフェイスブックだって、同じころにハーバード大学で同じことを考えていたグループがいたわけでしょう。ザッカーバーグは彼らの鼻を明かしたことで、フェイスブックがデファクト・スタンダード(事実上の標準)になり得たわけですね。つまり、いくら同じことを考えていたとしても、後から出たものは太刀打ちできない。一番でなければだめなんです。
とりわけネットの世界というのはそういうことですよね。ネットショッピングだって、アマゾンの後でいろいろなものが出てきましたが、どうしてもアマゾンにはかなわない。グーグルだって、他に検索エンジンはいろいろあるのだけれど、結局はグーグルに収斂していってしまう。要するに、マーケットを席捲するには、何よりもスピードが大事になってくる。
だからこそビル・ゲイツにしてもザッカーバーグにしても、ハーバード大学の卒業まで待てずに中退して、いち早く事業を立ち上げたわけですね。
ザッカーバーグがハーバード大学の卒業式で述べた祝辞
─そこでは学歴なんか関係がない。
池上 関係ないですね。ただ面白いことに、ハーバードを中退したザッカーバーグが、今年の5月26日にハーバード大学の卒業式にゲストとして呼ばれて祝辞を述べているんです。この演説がなかなか感動的で、私は東工大の授業でこの祝辞の日本語訳をプリントアウトして配りました。
最初に「ハーバード大学の卒業生の皆さん、おめでとうございます、皆さん方は私がなし得なかったことをなし遂げたんです」という。つまり、自分は中退したけど、キミたちは卒業できたから偉いという笑いを取るところから始まって、大事なことは「目的」なんだと続ける。そこで引用しているのは、ジョン・F・ケネディがNASAを訪問した時のエピソードで、箒(ほうき)を持って掃除をしていた人に、ケネディが「何をしているんですか」と聞いたら、その人が「大統領、私は人類を月に送る手伝いをしているのです」と答えたというんです。
つまり、その人は単に掃除をしているのではなく、人類を月に送り込むNASAというミッションの一員なんだという思いを持っている。そういう目的意識をきちんと持っていれば、人は生き生きと働くことができる。これが大事なんだという話をするわけです。
そして最後のほうで、ある優秀な高校生が、大学に行きたいのだけれども自分は不法移民の子どもであるから、いつ国外退去になるかわからないという不安を語っていたという話をする。つまり、トランプ批判ですよね。そして、その彼の誕生日にプレゼントをあげたいと思って、何が欲しいか訊くと、「社会正義についての本が欲しい」という。これをザッカーバーグは涙ぐみながら話すんです。
─単に金を儲けるだけではなく、確固たる理想を抱いている。
池上 本にも書きましたが、ザッカーバーグはフェイスブックの所有株の99%を慈善事業に寄附して、未来の子どもたちのために役立てることを発表しました。ビル・ゲイツも奥さんと一緒に慈善財団をつくって世界をより良いものにしようと取り組んでいる。こうした彼らの姿勢はさすがだなと思います。
安全保障をビジネスにするのは危険
■政治に影響力を持つ経済人たち
─一方、マードックやコーク兄弟は、ザッカーバーグやビル・ゲイツの理想とはある種、対極的な形で影響力を行使しています。
池上 金にものをいわせて思想を買ったり、政権を買ったりという、そういう人物が現れたわけですね。マードックは「タイムズ」や「ウォール・ストリート・ジャーナル」を買収したり、FOXニュースというニュース専門チャンネルを始めたりして、その国の政治に介入しながら自分のビジネスを拡大させていく。
ただ、マードックの場合は保守的ではあるけれども、どちらかといえばイデオロギーよりもビジネスを優先しているところがあるのですが、コーク兄弟はもう最初から政府の介入を嫌う徹底した自由主義者として登場してくる。ザッカーバーグやビル・ゲイツは自分たちの資産を慈善事業に使っていますが、コーク兄弟の場合は、慈善団体を節税と世の中を保守化させていくために利用しているわけですね。要するに金儲けをして、そのお金で自分たちが信奉しているリバタリアン(自由至上主義者)の思想を徹底させようとしている。
コーク兄弟とトランプとの関係は、現在、オバマケア代替法案などをめぐってぎくしゃくはしていますけど、先の大統領選を見れば、「ティーパーティー運動」を始めとするコーク兄弟の後押しによって共和党の勢力躍進が実現し、その共和党の候補者となったトランプが勝つという構造がつくり出されたことは間違いありません。
─そのトランプは〈政治家編〉ではなく、今度の〈経済人編〉に入っています。
池上 トランプを経済人として収めるというのは結果的にはなかなかいい選択だったと思っています。例えば、安全保障の問題を政治ではなくディール(取引)で処理してしまうという発想は、普通の政治家にはありませんからね。
南シナ海における中国の実効支配の動きに関しても、これまでアメリカの大統領は中国に対していろいろ文句をいっていたのに、トランプはぱたっといわなくなった。今回のG7では、日本が強く主張したから南シナ海問題に一応触れましたけど、基本的にはほとんど言わなくなっている。
アメリカが南シナ海を守っても、恩恵を受けるのは韓国と日本だけで、アメリカとしては中国が北朝鮮さえ抑えていてくれれば文句言わないよ、と。それどころか、習近平はすばらしいと絶賛してもいる。それもこれも、一対一のディールの発想なんですね。
安全保障をビジネスにしちゃうというのは、とんでもなく危険です。トランプはそういう商売人の発想を国際政治に持ち込んできている。ですから、彼は政治家ではなくて経済人編でいいんですね。
◆池上彰が斬りこむ! 乱世に生まれる新しい経済人たち(2)「ビル・ゲイツ、ザッカーバーグに続くのは…」
※このインタビューは「青春と読書」8月号に掲載された記事を再掲載したものです。
(取材・構成/「青春と読書」編集部 撮影/山口真由子)
●池上彰(いけがみ・あきら) ジャーナリスト、名城大学教授、東京工業大学特命教授。1950年長野県生まれ。73年、慶応義塾大学卒業後、NHK入局。94年から11年間、「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍。2005年よりフリーに。著書に『そうだったのか! 現代史』『世界を動かす巨人たち〈政治家編〉』『世界を揺るがすトランプイズム』等多数