英国王立防衛安全保障研究所。1831年に設立された防衛、安全保障に関する世界最古のシンクタンクだ。
映画『007』のジェームズ・ボンドが諜報員として所属したMI6(情報局秘密情報部)やMI5(内務省保安局)の母体となった組織ともいわれるが、日本には同研究所のアジア本部である「RUSI Japan」が置かれている。
本書『戦略の地政学』の著者・秋元千明氏は同研究所所長。世界最高レベルのシンクタンク本部から提供された膨大な情報を基に書き上げられた本書は、従来の国際情勢、地政学に関する本とは一線を画す、鋭い指摘に満ちている。
* * *
―まずは北朝鮮による相次ぐミサイル発射、核実験などの挑発行為をどう見ていらっしゃいますか?
秋元 日本人は根拠のない楽観論にすがるところがあります。日本にミサイルは撃ち込まれないだろう、まさか戦争にはならないだろうという考え方には根拠がありません。
8月29日には、19年ぶりに事前通告なしでミサイルが日本上空を通過し、「襟裳岬の東約1180kmの太平洋上に落下したと推定される」という政府発表がありました。約1200km離れていたら襟裳岬とはいえない、という声も聞こえてきましたが、北朝鮮がミサイルで日本全土どこでも攻撃できることを実証しました。襟裳岬という表現はそのことを率直に伝えていると思います。
―日本はまさに危機に直面しているということですね。
秋元 根拠のない楽観論にすがって、今そこにある危機から目をそらすべきではないんです。最悪の場合、核武装した北朝鮮の脅威に怯えながら付き合うか、戦争というリスクを冒してでも北朝鮮を排除するか。戦争になったら大変な惨禍を招きますが、北朝鮮の核武装を認めれば、将来的に東京やアメリカ西海岸が核攻撃される可能性も否定できません。そのことも考えなければなりません。
―いわば、究極の選択を迫られているわけですね。
秋元 第2次世界大戦前、イギリスはドイツにチェコ・ズデーテン地方の割譲を認めました。これでドイツは勢いづいて、第2次世界大戦に突き進んだ。ですから、イギリスの著名な歴史学者たちは、第2次世界大戦はヒトラーではなく、イギリスの外交政策の失敗によって引き起こされたと考えています。このように危機を先送りして、かえって大きな戦禍を招いてしまうことは歴史上、いくらでもあるんです。
―第1次世界大戦はバルカン半島が発火点となりました。今、朝鮮半島もかなり危うい状態にあるのではないですか。
秋元 半島というのは地政学上、覇権主義のランドパワー(内陸国家)とシーパワー(海洋国家)が対峙(たいじ)しやすい場所ですからね。朝鮮半島の南に位置する韓国には、シーパワーの連合体としてアメリカ軍と韓国軍の合同軍指令本部が置かれています。一方、北はランドパワーの中国とその緩衝地帯としての北朝鮮の領土。現在、中国と北朝鮮の関係は微妙ですが、北朝鮮は暴発しかねない状態でもあります。紛争の火種は常にくすぶっているのです。
―軍事的衝突、戦争になる可能性は高いのですか?
秋元 ミサイルの弾頭に化学兵器や核兵器を積んだら脅威は一気に高まります。北朝鮮はICBM(大陸間弾道ミサイル)に搭載可能な水爆の開発に成功したと発表しましたが、それが本当かどうかはわかりません。ただ、タイムリミットは刻一刻と迫っています。外交的解決にせよ、軍事力行使にせよ、問題解決のための時間はそう残されていません。
米の力が弱まった分、日英で補完していくべき!
―アメリカのトランプ大統領もそう考えている?
秋元 そう思っていても不思議ではありません。ただ、北朝鮮の脅威は非常に短期的な問題だと思うのです。中国の拡張主義は南シナ海、東シナ海に向いていると思われがちですが、将来的には朝鮮半島でのリスクが高まっていくはず。もし、北朝鮮が崩壊したら、韓国主導での南北統一が本筋ですが、韓国は経済的にその余裕がない。すると、国際社会の共同統治になるかもしれません。その結果、米中の対立が先鋭化していくと思います。
―日本は不安定な国際情勢の中で、どのような対応をしていくべきでしょうか?
秋元 2013年9月、オバマ大統領(当時)が「アメリカは世界の警察官ではない」と宣言しました。以来、世界情勢へのアメリカの影響力は低下しています。そういうパワーバランスの変化の中、北朝鮮のミサイル、核兵器開発、中国やロシアの拡張主義が押し進められたわけですが、日本は従来のように安全保障をアメリカ一国には頼れなくなってきた。そこで私は、イギリスと組むのが最善策だと考えています。
―8月末、イギリスのメイ首相が来日しました。
秋元 元々、日本とイギリスには多くの共通点がありますが、特に大事なのが以下の3点。「ともにアメリカの重要な戦略的パートナーであること」「ユーラシア大陸の両端に位置していること」「海洋国家であること」。現に今、日英は将来型戦闘機の共同研究、東京-ロンドン間を結ぶ北極海の海底ケーブル敷設作業など、急接近しています。
―今回の英首相訪日で、「安全保障協力に関する日英共同宣言」も発表されました。
秋元 イギリスは今、2019年をめどにEU離脱をしようとしています。そして、その後の新しい国のあり方を模索しています。EUに縛られない、かつてのような世界国家への返り咲きを視野に入れています。そのパートナーとして、日本を重視しているんです。これからは安全保障の枠組みとして、日英米の「平和と安定の正三角形」を築くべき時代に入っていると私は考えています。アメリカの力が弱まった分、日英で補完していくわけです。このことは、日本の国際社会での地位を上げることにもつながります。
―国際社会での役割をきちんと果たす義務も生じますね。
秋元 日本という国は、どういう国家であるべきかを議論しないまま、今日まできてしまった。安全保障についても、「一国平和主義」と「積極的平和主義」が併存してきましたからね。ですから、今こそ歴史をふり返り、地政学的見地から、改めて国のあり方を考えるべきなのです。
(取材・文/羽柴重文 撮影/山上徳幸)
●秋元千明(あきもと・ちあき) 1956年生まれ、東京都出身。英国王立防衛安全保障研究所アジア本部(RUSI Japan)所長。早稲田大学卒業後、NHK入局。軍事、安全保障専門の国際記者、解説委員を務める。92年からRUSI客員研究員、在外研究員を務め、2009年には日本人で唯一のRUSIアソシエイトフェローに指名された。12年にRUSI Japanの設立に伴いNHKを退職、現職に就く。現在、大阪大学大学院招聘教授、拓殖大学大学院非常勤講師も務めている。著書に『アジア震撼』(NTT出版)など
■『戦略の地政学 ランドパワーVSシーパワー』 ウェッジ 1600円+税 北朝鮮によるミサイル、核兵器の脅威、国際テロの激化、中国やロシアの拡張主義……。世界情勢が予測不能になりつつある現在、地政学が注目を浴びている。そもそも、地政学とは? アメリカ、中国、ロシアなど大国は地政学をどのように利用しているのか? 地政学から現在の世界情勢をどう読み解けばいいのか? そして、日本は世界にどう対峙すべきか? 安全保障の専門家が、今後の日本の国際的スタンスを考える!