「安倍首相のキャッチコピー『この道しかない』は、まさに株式会社のCEOの言う台詞」と語る内田樹氏

大多数の国民が森友・加計問題の説明に納得していない中での首相による強引な冒頭解散、右往左往、離合集散を繰り返す野党…今回の総選挙は一体なんのためにやるのか、辟易している有権者も少なくないだろう。

なぜ、日本の政治はここまで「劣化」したのか? 『アジア辺境論 これが日本の生きる道』(姜尚中氏との共著・集英社新書)など多くの著書がある思想家・内田樹(たつる)氏に聞いた――。

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─安倍政権が解散総選挙に踏み切ったことによって、今、日本の政治状況が激しく揺れ動いています。

内田 今回の解散総選挙そのものが「日本の政治の劣化」を象徴する出来事だと思います。7条解散というのは、法理上はどう考えても違憲ですが、慣例的には総理大臣は任意のときに衆議院を解散できるというふうに解釈されています。それでも、これまではそれなりの解散の「大義名分」が掲げられていた。今回の解散にはそれがありません。

今回の解散は100%自民党の党略によるものです。今ここでただちに民意を問わなければならないほどの国論の対立があるわけではありませんし、政権与党は両院の3分の2を制しており、支持率が低下しているとはいえ、政権基盤は安定していました。自民党内に「安倍降ろし」の動きが出てきたわけでもない。解散しなければならないような積極的な理由は何もありませんでした。それにもかかわらず首相が臨時国会冒頭での解散という暴挙に出たのは3つ理由があります。

第1は森友学園・加計学園問題を臨時国会で追及されることを嫌ったため。選挙で与党が過半数を制すれば「みそぎは済んだ」という、いつもの言い訳を使って幕引きをはかることができると読んだのです。第2の理由は、その時点では野党の選挙準備が整っていないので選挙戦を有利に運べるという読みがあったからです。第3の理由は、北朝鮮のミサイル問題で東アジアの軍事的緊張感が高まっており、安倍首相の強硬な外交姿勢が好感されて支持率復活の兆しがあったからです。

この時点で解散すれば、仮に大敗を喫しても、過半数はなんとか取れる。それを「安倍政権への国民的信認がなされた」と解釈すれば、来年の総裁選での3選と長期政権下での改憲に現実味が出てきます。そういう算盤を弾いての解散だった。

─菅官房長官が何度も繰り返したように、衆議院の解散は首相の「専権事項」なのだから、それをいつ、どう使うかは首相の判断だから「全く問題ない」ということですね。

内田 首相自身は「国難突破」解散とか言っていましたけれど、もっとずっとビジネスライクな計算づくの解散だったと思います。でも、それに対して党内からもメディアからもさしたる批判の声はなかった。「まあ、そんなものでしょう」というふうに議員たちもジャーナリストたちも平然としていた。

でも、これはおかしいと思う。それってもう完全に「サラリーマンの発想」ですから。たぶん彼らは総理大臣というのは株式会社のCEOみたいなもので、自分たちはそこで雇われている企業の従業員だと思っている。企業の従業員が会社の経営方針に口出しすることなんかありえません。トップの言うことに唯々諾々(いいだくだく)と従っていればそれなりに出世できる。

経営方針の適否を判断するのは従業員じゃなくて、マーケットなんです。経営方針が間違っていたら、収益が減って、株価が下がる。従業員が言うまでもなく、マーケットがCEOの判断の適否を判定してくれる。だから、首相が何をしようと、何を考えようと、従業員たちはそれをただぼおっと見ているだけでいい。

安倍首相は「この道しかない」というキャッチコピーを愛用しましたけれど、あれはまさに株式会社のCEOの言う台詞です。CEOに求められるのは何よりも「明確な経営戦略」であり、反対する人間は全部潰してゆく非情さだからです。「多様な意見に耳を傾ける」とか「丁寧に議論する」といったことを企業経営者はしません。経営方針のいちいちについて従業員の意見を聞く経営者なんていません。

「今の日本の政党はほとんどが『株式会社的政党』」

ここ何年か、メディアが政党を批判するときの最優先の基準は「党内での意思統一があるかどうか」です。異論が混在していて、なかなか党内の意思統一ができない政党は「ダメ」な政党だと言われて、「そんなに異論があるなら分裂してすっきりすればいいじゃないか」とさかんに煽(あお)り立てる。小異を捨てて大同についた政治組織は「野合」と罵(ののし)られる。

でも、党内の意思が統一されていて、異論が存在できない政治組織はそんなに素晴らしいものなんですか。党内での意思決定プロセスがまったく開示されないで、ただ「こう決まった」ということだけが事後的に告知されて、全員が黙ってトップの指示に従うというような政治組織がそんなに理想的なんですか。それは確かに株式会社としては理想的かも知れませんけれど、社会組織として理想的なものだと僕は少しも思わない。

株式会社と政党は別ものです。なぜなら、あらゆる政治組織は、その運動が未来において実現しようとしている社会制度の「ひながた」だからです。政党は彼らが実現しようとしている社会の「先取りされた形」です。強権的で非民主的な政党が実現する社会は強権的で非民主的な社会になる。少数派を暴力的に排除する政党が実現する社会は少数派を暴力的に排除する社会になる。当然のことです。

株式会社の「社風」が気に入らなければ従業員は転職すればいい。でも、自分の属する国民国家の「気風」が気に入らないからと言って、簡単に「転国家」することはできない。だから、僕たちはその政党がどういう社会を実現するつもりなのかを、その政党の今の組織のありようから類推する。

今の日本の政党はほとんどが「株式会社的政党」です。だから、社会そのものが「株式会社」のようにすでに構造化されている。

―そういう考え方がもう、あまねくこの国に染みわたっている…と。

内田 そうです。ほとんどすべての社会制度が「株式会社に準拠して制度設計される」ように命じられている。本来、行政とか司法とか医療とか教育というのは、営利事業のように運営されてはならないのです。そういう制度は専門家が専門的知見に基づいて専門的に管理運営するものであって、政治イデオロギーともマーケットともかかわりなく安定的・定常的に管理運営されていなければならない。

でも、それがわからないで、「行政の仕組みが民間のようではない」ということが批判として成立してしまっている。医療も教育もそうです。共同体を持続させるために定常的に管理されなければいけない制度なのに、「金儲け」のために存在する株式会社のように制度改革することを強要されている。

でも、そういう制度は採算が合わないからとか、費用対効果が悪いからとか、生産性が低いからといって「止める」わけにはゆかないものなんです。株式会社なら儲からなければ倒産する。それで済む。株券が紙くずになるだけで終わりです。それ以上の責任は誰も負わない。株式会社というのはそういう世にも珍しい「有限責任体」なんです。

でも、それ以外の「ふつうの組織」は家族も自治体も国家も、基本的には「無限責任体」です。重要な決断において過(あやま)つと、取り返しのつかない負債を背負いこむことになる。それが未来の世代にまで続く。現に日本は戦争に負けて、国民が死に、国土を失い、国家主権を失い、国富を失った。そして、今も国内に外国軍が駐留しており、隣国に謝罪し続けている。そして、この状態は半永久的に続きます。「倒産したからチャラね」というわけにはゆかない。国政を株式会社経営と「同じようなものだ」と信じている人はあまりに歴史を知らなすぎる。

「党執行部と議員は芸能事務所とタレントの関係」

─今回の解散総選挙は「政治」と民間の「会社経営」の違いを理解できず、サラリーマン感覚で捉(とら)えることが国民の間で広く一般化してしまった「日本社会の劣化」が引き起こした結果だということですね。もうひとつ注目したいのは、解散総選挙の決断に対して、石破茂氏など一部からは「解散の大義が見えない」といった声があったとはいえ、自民党内から強い異論が出なかったことです。

内田 「派閥」という形で昔の自民党はそれなりの多様性を保持していましたけれど、それが失われた。政党としての厚みや奥行きがもう失われた。かつての「角福戦争」では15年間にわたって自民党内で田中派・福田派が血で血を洗う党内抗争を展開していたわけですけれど、自民党はその時期に最強の政党だった。

―その意味では、「異なる意見を聞き」「話し合い」「一定の合意を形成する」という自民党の「インナー民主主義」みたいなものが存在していたわけですね。

内田 派閥抗争の中で、仲介をしたり、合意形成をはかったり、あるいは漁夫の利を狙ったり…と様々な動きをしている中で「政党政治家としての成熟」が果たされたということでしょう。

でも、小選挙区制に変わってからは党執行部が候補者の選定権限を独占するようになった。党営選挙ですから、地盤も組織も何もない人間でも、執行部の気に入れば指名されて議員になれる。彼らは自力で議員になったわけじゃない。党丸抱えでなったわけですから、執行部に逆らうことができない。今の党執行部と議員の関係はもう芸能事務所とタレントの関係と変わりません。

─いわゆる「タレント議員」ならぬ、「議員タレント」ですか?

内田 自民党だけじゃなく、希望の党も、維新もそうでしょう。どこも芸能プロダクションとタレントの関係をモデルにして政党を設計している。だから、そういう「議員タレント」たちは自分の意見をメディアに対して述べることが許されない。党規約が存在しない政党さえある。党代表や党の公約がどうやって決まるのか、それさえ開示されていない。

そして、そういう政党のあり方を「変だ」と思う人が党内にいない。でも、それは彼らが政党を株式会社であり、自分たちは就活して面接を通って、そこに就職した従業員だと思っているのだとすれば少しも不思議はありません。日本の政治の劣化は、ひと言でいえば「政党の株式会社化・政治家のサラリーマン化」のことなんです。

(取材・文/川喜田 研 撮影/松本亮太)

●内田 樹(うちだ・たつる)1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授。思想家。著書に『日本辺境論』(新潮新書)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、共著に『一神教と国家』『荒天の武学』(集英社新書)他多数。

●『アジア辺境論 これが日本の生きる道』(姜尚中と共著 集英社新書 740円+税)