『週刊プレイボーイ』本誌で「モーリー・ロバートソンの挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、日本の芸人と政治の融合への期待について語る!
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最近、バラエティやワイドショーなど様々な番組の出演オファーをいただくようになりました。その現場で知ったことは、芸人さんたちのポテンシャルの高さ――特に、情動に訴えかける高い次元のコミュニケーションに長(た)けた方が非常に多いという事実です。
例えば、関西の某人気番組に出演したときのこと。司会の大物芸人さんの、視聴者への情緒的なコネクトの巧みさには圧倒されました。話術、切り返し、間のとり方...どれをとっても、お受験的な意味での似非(えせ)インテリとは違う、ホンモノの一流。彼らには社会を動かすパワーがある、とさえ感じるほどです。
しかし、今の日本では、その力が政治議論に持ちうるインパクトがフルに生かされていないような気がしてなりません。
古今東西、コメディや笑いは政治的に「言ってはいけないこと」をネタにしてきました。古くはシェイクスピアがそうですし、日本でも落語などには確かにそういう側面があったはずです。今でも欧米では笑いと政治に垣根はなく、コメディアンが政治や社会を風刺する発言、コントをすることは当たり前です。
例えば、ユダヤ系イギリス人の人気コメディアン、サシャ・バロン・コーエン。「ゲイのファッション評論家」や「カザフスタン人ジャーナリスト」など政治的にスレスレなキャラを演じますが、どれも表層的な"イジリ"ではなく、問題の本質をとらえつつ笑いに昇華する天才です。
また、アメリカの強烈な社会風刺アニメ『サウスパーク』も毎回のようにタブーに果敢に切り込み、視聴者を笑わせながらも社会問題を考えさせる内容になっている。ハイクオリティな笑いと政治が陸続きです。
芸人さんに期待したいのは、もっと高い次元のアウトプット
一方、日本ではいつ頃からか、笑いが"お笑い"として自己完結的となり、政治や社会のタブーを笑う文化が沈んでいった。今や「お笑いに政治を持ち込むな」という不文律があるかのようです(実際、多くのテレビ視聴者には芸人、というより芸能人全般の政治的発言を忌み嫌う傾向があるように感じられます)。
もちろん、それでも情報番組のスタジオやTwitterなどで政治に言及する芸人さんは少なからずいます。ただ、残念ながらその多くが表層的すぎる。自分自身でその結論を出すための"思考の登山"をしておらず、リフトで運ばれて頂上に落とされているだけだから、ガチンコの議論に耐えうる内容になっていないのです。直近に出会った専門家やジャーナリストに吹き込まれたとおりに発信し、結果的に"拡声器"として利用されているケースも目立ちます。
社会風刺コント、政治家イジリなんてイージーじゃないかーーそういう意見もあるでしょう。しかし、僕が日本の(驚くほどコミュニケーションのレベルが高い)芸人さんに期待したいのは、もっと高い次元のアウトプットです。
「安倍のバカヤロー」などと安易な(しかし一部には確実にウケる)権力批判に流れるのではなく、コメディアン自身が政治や社会問題を芯から理解して、それを笑いに転換するようなコントを。そして政界の左右両陣営やその応援団を俯瞰(ふかん)しながらも、情動に訴える感動的なアウトプットを。その能力を有する芸人さんが、日本にはたくさんいるのですから。
●Morley Robertson(モーリー・ロバートソン) 1963年生まれ、米ニューヨーク出身。国際ジャーナリストとしてテレビ・ラジオの多くの報道番組や情報番組、インターネットメディアなどに出演するほか、ミュージシャン・DJとしてもイベント出演多数。レギュラーは『ニュースザップ』(BSスカパー!)、『Morley Robertson Show』(block.fm)など