「東日本大震災から7年」か、それとも「東京オリンピックまで2年」か…2018年3月現在、日本人の眼差しはどちらに向いているのだろう?
毎年3月になると、様々なメディアが「震災の記憶」を振り返る特集を組む。そこには、未来へ向けてひたむきに頑張る被災地の人々の姿が映し出される。しかし現実には、7万人超もの人たちが避難生活を送り、福島第一原発事故の収束は未だ目処が立っていない。
7年が経った今、我々日本人が本当に目を向けるべきはどこなのか? 「週プレ外国人記者クラブ」第109回は、震災発生直後から原発事故の取材を続けてきたスイス出身のジャーナリスト、ミゲル・クインタナ氏に聞いた――。
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─3.11から7年が過ぎ、人々からあの震災と原発事故の記憶が少しずつ薄れているように感じます。歴史的に多くの自然災害に見舞われてきた日本人は、苦難を乗り越え前向きに生きる強さを持っている反面、過去の悲劇やそこから得た教訓を忘れてしまうことが多いようにも思えます。
クインタナ 私は、日本人が過去のことを忘れやすいとは思いません。辛い過去の記憶ばかり振り返るのではなく、前を向いて生きようという姿勢はどの国にもあるからです。ただ、福島の原発事故に関しては「過去を忘れて前向きになる」のではなく、「過去を忘れさせられて…」と言ったほうが正しいかもしれません。
歳月を経るにしたがって、前向きに復興を伝える明るいニュースが増えてきた。もちろんそれは悪いことではないけれど、深刻な放射能汚染により故郷への帰還が絶望的な人や、福島県内外の避難先で新たな生活基盤を築けず、将来への希望を見出せていない人はまだまだたくさんいる。
避難者たちの多くは今も答えのない中で生きている。福島第一原発から約230km離れた東京を含め、被災地から遠く離れた地域に住む人たちはその人たちの存在を忘れていないか。メディアはその人たちのことを十分に報じられているか。私は、原発事故は「過去の話」などとは到底思えません。
─あの原発事故の「教訓」は日本社会で本当に活かされていると思いますか?
クインタナ 震災から2年後、2013年7月に原発の安全規制に関する「新基準」が決定しました。それは一応、事故の教訓を活かしたものということになっている。新基準では、巨大津波に備えた防潮堤の設置や非常用発電機の設置など様々な規制が義務付けられましたが「新基準を守れば、再び3.11のような大災害が起きても原発は絶対安全だ」とは誰も保証できません。
電力事業者は、原子力規制委員会が新基準に適合していると認めれば原発を再稼働できるということになっている。しかし規制委は「再稼働してもいい」と許可を出すわけではなく、あくまで「新基準を満たしているかどうか」を判断しているに過ぎない。そして国は「電力事業者の原発再稼働を認めるかどうかは原子力規制委員会の判断による」と言う。
再稼動は誰が決めるのか、再び事故が起こった場合は誰が最終的な責任を取るのか…その議論があやふやなまま「美しい無責任の三角形」が形成されているように見えます。
原発事故の本当の教訓は、それまで「絶対に安全」と言われ続けてきた原発で「想定外」の災害によって事故が起きたことです。ならば、「想定外」とされていたワーストケースシナリオ、つまりメルトダウンを想定して原発のあり方を考えるべきでしょう。もちろん日本は民主主義国家として、国民のコンセンサスを得た上で再稼動に向かうのであれば、それは誰にも否定できません。しかし、日本は地震、火山といった自然災害のリスクを多く抱えていて、それでも原発を再稼働すべきなのか、国民は直接問われていません。
コントロールされていた放射線量のデータ
―クインタナさんは震災直後から福島の取材を重ねてきました。当時の取材で最も印象に残っていることはなんでしょう?
クインタナ 震災後の現地取材で衝撃を受けたことがあります。政府は各地にモニタリングポストを設置し放射線量を公表していましたが、現地の住民から「あれは飾りだけで信用できない」と直接伺いました。「設置した時から週に1回、周りを除染している」と言われたのです。取材のため持参していたガイガーカウンターで設置場所の放射線量を測って、数十メートル離れてみると線量は予想通り増えていきました。
私が言いたいのは「データをコントロールすれば、議論をコントロールできる」ということです。先日、国会で問題になった裁量労働制に関するデータもそうですが、改ざんまで至らなくても「望ましいデータ」を抽出して議論を作っていくという手法は福島でも見られました。
データと直接関連するもうひとつの問題として「基準」の問題があります。「直ちに影響はない」とされる年間被ばく量をはじめ、原発事故直後の「警戒区域」の指定など、誰が何を基準に定義したのか、これは極めて重要なポイントです。政府ではなく、利害関係のない第三者による設定プロセスでないと不信感や不安を招くことは間違いないと思います。
―そして現在も、未だ高い放射線量が検出されて、故郷への帰還が絶望的な避難者も多い。
クインタナ 取材した飯舘村の高齢者は仮設住宅に住み続けて、体力も衰え、精神的なストレスも蓄積していました。その人たちに対して政府は「一刻も早く帰還できるように全力を尽くす」と淡い希望を持たせるのではなく、「あなたは家に帰れない可能性が高い」とハッキリ伝えるべきだったと思う。
除染作業が始まる前のことですが、取材した飯舘村の農家たちはコミュニティ意識がとても強くて、自分たちはバラバラになりたくない、コミュニティとして残りたいと言っていました。たとえ地域の居住区を除染しても、山林が多いからあまり意味がない。仮に山の木をすべて伐採しても、それは他の自然災害の原因となってしまう。
だから、除染作業の予算のほんの一部でもいただければ、北海道とか秋田とか土地が余っているところにコミュニティごと移住したい、とにかく農業をやらせてほしい…と。そういった農家の人たちのリアルな声は伝わっているのでしょうか。
―現実として何十年経っても帰還できない地域はあるが、政府はそう言い切らない。しかしそこを明確にしてくれないと、避難者たちはリアルな将来を設計できない。7年経っても、宙ぶらりんな状態に置かれた人たちがたくさんいるということですね。
クインタナ 避難区域の指示解除が進むにつれて、区域外に避難している人たちへの経済的支援も打ち切られる。避難者の立場から考えると、帰宅するかどうかは放射線量の問題の上に家計の面でも自由な選択肢とは言えない。そういった人たちの声を世界に伝える大きなきっかけが3月16日にあります。ジュネーブで行なわれる国連人権理事会で、福島から母子で県外に避難している女性が原発事故被害者の実情を訴えることになっているのです。
その声が、どれだけ全国の人たちに届くか…あの事故から7年が経ち、数万人もの人たちが未だに苦しんでいる。その人たちが何を必要としているのか。東京に住む我々や他の地域の人たちが、その声にどう感じ、どう向き合うか…そこからも大切な教訓が得られると確信しています。
(取材・文・撮影/川喜田 研)
●ミゲル・クインタナ 1976年生まれ、スイス出身。2002年、文部科学省の国費留学生として来日し東京大学で日本史を研究。福島第一原発事故による環境や地域社会への影響について各国の様々なメディアに寄稿。現在、英語チャンネル「NHKワールド」に勤務しながら独自の取材を続けている