3月11日、安倍首相は政府主催の東日本大震災の追悼式で「原子力災害被災地域における帰還に向けた生活環境の整備、産業・生業の再生支援など、復興を加速してまいります」とアピールした。
しかし、政府の思惑通りには避難住民の帰還は進んでいない。あれから7年、「復興」の名の下に前向きな話題が増えてきた2018年の日本社会の姿を、海外のジャーナリストはどう見ているのか?
「週プレ外国人記者クラブ」第110回は、震災発生直後から福島への取材を重ねてきたアイルランド出身のジャーナリスト、デイヴィッド・マクニール氏に話を聞いた──。
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─3.11から「もう7年」なのか「まだ7年」なのか、捉(とら)え方にもよりますが、年々、あの悲劇を検証する報道よりも、復興の成果を前向きに明るく伝える報道が増えてきているようにも見えます。
マクニール そうですね。ただ、多くの日本人が「過去ばかり見ないで未来に向かおう」と思っているとか、震災の記憶を忘れかけているというよりも、政治や産業界、メディアも含めた日本社会全体が「あの震災を過去のものにして、我々は前向きに進まねばならない」という一種のプレッシャーに覆われているようにも感じます。
そして、そうしたプレッシャーを最も強く感じるのが、福島の原発事故によって強制避難させられた地域住民の「帰還政策」を巡る状況です。私は2011年以降、2度の原発敷地内の取材を含めこれまでに17回、福島を取材していますが、昨年、避難指示が解除された飯舘村を訪れた時にもそのことを強く感じました。
人口約6500人の住民のうち 、その時点で村に戻っていたのは200人以下でした。しかも、その多くがお年寄りです。しかし、政府は「除染が終わり、放射線量が下がっているから大丈夫」と、住民の帰還を進めたいようです。
昨年9月から10月にかけて環境保護団体のグリーンピースは、飯舘村と浪江町の避難指示解除区域、浪江町の帰還困難区域の民家や森、道路などで放射線量を測定しました。飯舘村の民家6軒のうち4軒で政府が除染基準とする毎時0.23マイクロシーベルトの3倍もの空間放射線量が計測されています。
浪江町の避難指示解除区域でも、市街地の小学校の向かいの森では平均値で毎時2マイクロシーベルト、最大で毎時5マイクロシーベルトという、非常に高線量のホットスポットが確認されています。これでは、国連人権理事会が日本政府に勧告している「住民の健康への権利を尊重し、許容放射線量を年間1ミリシーベルトに戻すこと」を満たすことはできません。
取材した飯館村の住民の方も「村が元のように戻ることはないだろう」と話されていましたが、原発事故で避難を強いられた多くの住民は、生活を再建するには決して十分とはいえない保証金だけを受け取り、今もあちこちで離れ離れになって暮らしています。また、政府がいくら「除染したから安全だ」と言っても、本当は故郷に帰りたくても不安で帰れない、子供を持つ親たちの気持ちもよくわかります。
皮肉なのは、数兆円規模と言われる「除染事業」や福島第一原発の「事故処理事業」を、原発事故を起こした当事者の一部でもある原発業界やゼネコンが受注しているという点です。つまり、「汚した人」が「掃除」を請け負って、それが大きなビジネスになっている。
そもそも原発事故で根こそぎ失われた地域社会は除染だけで再生できるはずがないのに、大量の予算を投じて除染して住民に帰還を促すことで、この問題をできるだけ早く「終わったこと」にしたい…という思惑が透けて見える。原発事故の直接の被害者である住民の人たちが、そうした「早く過去のことにしたい」という雰囲気に支配されたり、圧力を感じたりするというのは、実に理不尽なことだと思います。
原発再稼動・推進が規定路線になっている?
─あの事故を早く「過去のもの」にして前を向きたい…というプレッシャーは、各地で議論になっている「原発再稼働」の問題にも通じますね。
マクニール そうですね。政府は電力全体における原発依存度を20~22%にするという方針を示しています。現在、稼働中の原発は先日再稼動した大飯原発3号機を含めて6基で、今年末までにはさらに数基の原発が再稼働を目指していますが、それでも電力の原発依存度はほんのわずかです。政府が目標とする原発依存度を達成する見込みはないと思います。原子炉の老朽化は進んでいるし、多くの訴訟も抱えているし、何よりも市民からの反対が大きい。
にも関わらず、今後も積極的に原発を再稼働・推進することがいつの間にか既定路線になっている。しかも、原発の海外輸出にも積極的で、中でもイギリスへの輸出計画は非常に重要な位置を占めている。輸出を成功させるためにも、政府は原発事故による住民被害をできるだけ早く「解決済み」ということにしたいのでしょう。
しかし、現実には廃炉作業を含めて事故の収束への見通しも立っておらず、福島県内外に避難している住民たちの生活は今も多くの問題を抱えたままです。
─3.11から得たはずの教訓は、そのような「大きな力」に押し流されていくのでしょうか? 日本社会はあの震災と原発事故を経てもなお、変われないのでしょうか?
マクニール 私はそこまで悲観はしていません。むしろ、3.11は確実に日本社会に変化をもたらしたと思うし、今もその変化は続いていると感じています。
例えば、日本がドイツのようにいきなり「脱原発」に踏み切ることはできないかもしれませんが、3.11以前に日本政府が考えていたような「原発依存度50%」というエネルギー政策に戻ることは現実的に考えてあり得ない。太陽光や風力、地熱、水力など自然エネルギー、再生可能エネルギーへの期待度も高まっています。
また、原発事故とその後の再稼働を巡る政府の姿勢への批判がきっかけとなり、70年代以降、日本から姿を消していた市民レベルの政治運動が再び沸き起こったことも、3.11がもたらした日本社会のポジティブな変化だと思います。それは原発の問題に限らず、津波被害を受けた地域でその効果が疑問視されているのに巨額の予算を投じて進む「巨大防潮堤建設」への反対運動にも繋がっていますし、安保法制や共謀罪など様々な政治的問題でも普通の市民が少しずつ政治に対して声を上げるようになってきました。
より大きな視点でい言えば、3.11をきっかけに多くの日本人が従来の「経済成長を前提とした」国の在り方や、ひとりひとりの生き方を見直し、新しいライフスタイルや国家の姿を模索し始めているように感じます。そうした人々の内面の変化がこれからの日本社会にいい影響を与えていけば、将来、3.11が日本という国にとってのポジティブな転換点として記憶されるようになるかもしれません。
(取材・文/川喜田 研 撮影/長尾 迪)
●デイヴィッド・マクニール アイルランド出身。東京大学大学院に留学した後、2000年に再来日し、英紙「エコノミスト」や「インデペンデント」に寄稿している。著書に『雨ニモマケズ 外国人記者が伝えた東日本大震災』(えにし書房刊 ルーシー・バーミンガムとの共著)がある