「お笑いに政治を持ち込むな」という空気は確かにあるが「だからといって何も言えないわけじゃない」と語るパックン

昨年12月の『THE MANZAI』でお笑いコンビのウーマンラッシュアワーが、原発問題や沖縄の米軍基地問題などを風刺した漫才を披露し大きな話題になったことは記憶に新しい。

それ以前には脳科学者の茂木健一郎氏が、権力を批判しない日本のお笑い芸人は「終わっている」などとツイートし炎上したこともあった。確かに、欧米ではコメディアンによる政治・社会風刺は広く浸透しているが、日本ではウーマンラッシュアワーのような存在は稀有(けう)である。

一体、この違いはなんなのか? 政治にも精通するコメディアンであり、アメリカと日本、ふたつの社会で生きてきたマルチタレント、「パックンマックン」のパックンことパトリック・ハーラン氏がズバリ、解説!

***

―ウーマンラッシュアワーの漫才は大きな話題を呼びましたが、パックンはあのネタをどう見ましたか?

パックン 漫才として綺麗にまとまっていると感じました。オチは少し読めていたけど、畳み込み方やテンポも良くて本当によく練られた漫才だなぁと感心しましたね。

まずは「自虐」から入ったのがよかった。自分たちの所属事務所(よしもと)をネタにして「芸人がこれだけ不祥事を起こしている」とか「芸人の問題にコメントしているのも芸人」とか、自分(村本大輔)は何も問題を起こしていないのに「嫌われている芸人No.1」に選ばれたとか…。

この「自虐」っていうのはお笑いの基礎なんです。人を突き落とす前に、まず自分を突き落とす。「俺も人のこと言えないけどさ…」と自分のポジションを明確にすることで、決して上から目線じゃないことをアピールする。これはお笑いだけじゃなく、日常のコミュニケーション全般にも使えるので、皆さんもこの「自虐のパワー」を覚えておくといいですよ、と自虐を推しながら、偉そうなことを言っている僕もどうかと思いますけど…。

ウーマンさんは自虐をかました上で、村本さんの地元である福井県おおい町の原発ネタに移り、小池都政や沖縄の米軍基地、北朝鮮などの諸問題にツッコミを入れていきました。確かに賛否両論はありましたが、そこまで騒がれるほどの政府批判をしていたわけではなかった気もします。

─それではなぜ厳しい批判の声があったのでしょう?

パックン 芸歴17年であっても、彼らは若手の芸人とされていることも関係しているかもしれません。あれと同じことをいわゆる大御所芸人が言ったら、純粋に「よく言った!」と賞賛されたかもしれない。

大御所なら許されるのに、若い芸人が政治的発言をすると厳しく批判される。それを見て僕は「村本にはまだそこまで言う資格がない」と世間が見ているのかもしれないと思いました。でも、そういった見方はお笑いには相応(ふさわ)しくない。

裏は違うとしても、舞台に出たらお笑いは先輩・後輩の上下関係とか社会的地位とか関係ない世界のはず。面白いネタ、鋭いネタをやって笑いを取ったモン勝ち…というのが本来あるべき姿じゃないでしょうか。アメリカでは、どこの馬の骨ともわからぬ芸人が政治批判のネタをやっても、自虐を入れつつ面白ければ許容されやすい。

日本の漫才は基本的にボケとツッコミのかけあいですが、アメリカで主流なスタンドアップコメディはお客さんとのやりとりでもある。飛んできた野次にうまく切り返せなかったら、そのコメディショーから再びお呼びがかかることは難しくなります。

ウーマンさんは最後のオチでお客さんを指差して「おまえらのことだ!」と言った。仮に、それに対してお客さんからツッコミがあったとして、答えられなかったら最悪だけど、彼らはトーク術も知識もあるから大丈夫だと思います。とにかく、芸歴の長さを基準に政治的なネタの発信資格をジャッジするというのは違うと思います。

アメリカの政治は昔から「ネタの宝庫」

―日本の芸能界、特にお笑い界って上下関係が厳しくて、しかもそれが視聴者からも見え見えじゃないですか。

パックン 確かにね。そういう「お笑い界のヒエラルキー」をお客さんもよく知っているので「大御所ならまだしも、あいつはまだ若手なのに生意気なこと言っている」みたいに批判する人が出てくるのかも。

─いずれにしても、日本では政治風刺がお笑いになることは少ない。アメリカのお笑いにおいて政治ネタが盛んな理由ってなんなのでしょう?

パックン アメリカの政治は昔から「ネタの宝庫」です。トランプ政権になってからは特にすごいけど、毎日のように政治家が面白いことを言ってくれるから、ヘタすると政治がお笑いの最大のライバルになりそうなくらい!

ツッコミどころ満載の失言もたくさんあって、例えばクリントン政権の副大統領だったアル・ゴアがNASAの集会で「そろそろ人類も太陽系に進出すべきだ」って発言した。「地球も太陽系の中なんですけど?」みたいなね。

ヨーロッパにおける風刺の歴史は古くて、紀元前まで遡(さかのぼ)ります。ギリシア神話に出てくる半人半獣の精霊「サテュロス」は、酒と女が大好きな不道徳で反社会的なキャラクターで、古代ギリシアの演劇では実在の権力者を揶揄(やゆ)する時の比喩に使われたりしていました。このサテュロスは英語で風刺を意味する「Satire(サタイア)」の語源になったと言われています。

また、「Jester(ジェスター)=宮廷道化師」といって、シェークスピアの『リア王』にも出てきますが、この王様お抱えの道化師は「王様にツッコミを入れることが許される」存在として重宝されていた。このように風刺が権力への不満に対するガス抜きとなって社会のバランスを取るという役割を果たしてきました。エンターテインメントの根底にはそれがあるんですね。

―日本の伝統的な庶民の娯楽にも、こっそり権力への皮肉が込められているものもありますよね。

パックン そうですね。有名な「鳥獣戯画」は動物を擬人化して社会を風刺しているし、歌舞伎や狂言、落語にもたくさんありますよね。僕が好きな古典落語のひとつに「禁酒番屋」という演目があります。

殿様が禁酒令を出したけど、侍たちは隠れて飲んでいた。そこで、屋敷の門に番屋を設けて、出入りの商人が持ち込む品物まで厳しくチェックした。困ったのは酒屋です。侍たちからの注文は断れないので、品物を偽って持ち込もうとしますが、それを見破った門番にことごとく飲まれてしまう。頭にきた酒屋は小便を持ち込み、それを飲んだ門番が「ぬる燗だな」と言う、すごく下世話な噺(はなし)なんですけど、ここにも権力を揶揄する面白さがある。

僕は空気を読んで発言しています!

―確かにそういった伝統はあるけど、現代のお笑いに権力批判が少ないというのは事実ですよね。そこで聞きたいんですけど、パックンは芸人であると同時にコメンテーターとして政治に対しても率直で的確な発言をしています。権力批判があまり好まれない日本において芸人であることとコメンテーターであること、このバランスを取るのってそれなりに苦労も多いんじゃないですか?

パックン よくぞ言ってくれました! 僕は芸人であり、コメンテーターでもあり、ふたりの子供のパパでもあり、自宅の35年ローンも抱えていて、所属しているのは弱小事務所で、何より「アメリカ人の芸人」というマイノリティーでもあります。

ですから、僕は空気を読んで発言しています! 間違っても「歯に衣着せぬ」発言はしていない。「絹」じゃなくて「コットン」くらいは着せていますけど。

僕はアメリカのお笑いを見ながら育って、大学ではコメディの台本を書いたりもしていました。アメリカのコメディでは権力を風刺するネタが当たり前にあるので、日本に来てコンビを組んで漫才を始めた時には正直、フラストレーションを感じました。

実際、マックンとふたりで風刺ネタをやったこともあったんですが難しかった。「鉄火丼」を「テポドン」と読み間違えるメニューネタとか挑戦的なこともやったんです。「狂牛丼」もありましたが、狂牛病で困っている酪農家さんもいたし、これはさすがに怒られましたね。「おさかな天国」という歌が流行った時、生放送で魚にかけたダジャレを言ったらクレームがきて翌日、番組で謝罪したこともありました。

マネージャーからは「あなたが言いたいことを言うのは自由だけど覚悟してね。私では最後まで守ってあげられないよ」と脅されて(!?)いるし、業界から消えたら何もできない。

ただ、ここは強調しておきたいんですが、だからといって「何も言えない」というわけじゃない。オブラートに包みながらも自分の言いたいことは言っているつもりです。そのコツを掴めば、割と言いたいことは言えるんです。

そもそもお笑いって、常識とか世の中を縛り付けているルールからハミ出すことで人々を楽しませたり、「気づき」を提供したりする役割もあるじゃないですか。

「お笑いに政治を持ち込むな」という空気に縛られるんじゃなく、そこからハミ出すことも大事だったりするわけです。そう考えると、ウーマンラッシュアワーさんがあの漫才をやって、それが「お笑いと政治」を巡る議論に繋がっていることはとても健全なことだと思います。

●後編⇒“黒塗り”を笑ってはいけないのはなぜ? パックンが解説「この問題では僕は敢えて偽善者になります!」

(取材・文/川喜田 研 撮影/保高幸子)

●パトリック・ハーラン1970年生まれ、米国コロラド州出身。ハーバード大学卒業後、1993年に来日。吉田眞とのお笑いコンビ「パックンマックン」で頭角を現す。最新刊『世界と渡り合うためのひとり外交術』(毎日新聞出版)など著書多数。BS-TBS『外国人記者は見た+日本inザ・ワールド』(毎週日曜夜10時~)のMCを務めている