日報問題が連日報道され、再び批判の矢面に。そして地元・福井の県連も絶賛大炎上中というダブルパンチ。

“政界のともちん”こと、稲田朋美元防衛大臣の復活に赤信号!?

昨年7月、防衛省の南スーダンPKO日報問題で大臣辞職に追い込まれたのは記憶に新しいが、そこは安倍首相の秘蔵っ子。昨年10月の衆院選で2位に5万票の大差をつけ圧勝すると、虎視眈々(こしたんたん)と再起プランを練っていた。

全国紙政治部記者が言う。

「再起の足場は、自民党の衆参46人の右派議員が集まる『伝統と創造の会』。事務局長は、文部科学省に前川喜平前次官が名古屋市内の公立中学校で行なった公開授業の内容をチェックすることを強引にねじ込んだ赤池誠章参院議員が務めています」

稲田氏はこの会の会長として、安倍首相が力を入れる「明治150年記念事業」や「明治の日」制定に取り組みながら、マイナスイメージの払拭(ふっしょく)に専念していたという。

「議員会館に行くと、『明治の日制定議員懇談会』の会場予約者名など、電子掲示板で稲田さんの名前をよく見かけるんです。しかも、そうした懇談のテーマは安倍首相肝煎りのものがほとんど。いずれ官邸のサポートを受けて復活すると、多くの関係者が思っていたはずです」(政治部記者)

ところがここにきて、ともちんの目の前にふたつの暗雲が…。

ひとつは地元・福井県でのトラブルだ。稲田氏は3月に行なわれた自民党福井県連会長選の手続きに異を唱え、選挙の仕切り直しを求めたが、これに対して地元の自民市議19人のうち4名が「要求を撤回しなければ集団離党も辞さず」と、反旗を翻したのだ。

「その中には、福井1区で稲田さんの選挙を支える福井市支部幹事長などの有力者もいたため、稲田さんは要求の撤回に追い込まれてしまったんです。しかも、それでも事態を収拾できず、直後の県連総会では『次の選挙では稲田を公認すべきでない!』と罵声(ばせい)を浴びる始末。“福井県政の女王”というイメージが一気に色あせてしまいました」(政治部記者)

ふたつ目は防衛省のイラク日報問題。昨年2月20日、当時防衛大臣だった稲田氏が「見つけることができなかった」と答弁していた自衛隊イラク派遣時の日報が、その約1ヵ月後に防衛省内で存在を把握されていたにもかかわらず、今年4月まで隠蔽(いんぺい)されていたことが判明したのだ。

日報隠蔽問題に詳しいジャーナリストの布施祐仁氏がこうあきれる。

「稲田さんは『(大臣在籍当時に)イラク日報を探すよう指示した』と責任を回避するような発言をしていますが、これはおかしい。稲田さんがシビリアンコントロール(文民統制)を発揮して南スーダン日報の隠蔽を止めていれば、その後に出てきたイラク日報も隠蔽されることはなかったのです。

というのも、イラク日報を防衛省が隠蔽したのは、その前に稲田さんが行なった『南スーダン日報はない』という虚偽答弁を維持するためでした。なぜなら、10年前のイラク日報が保管されているとなれば、1年前の南スーダン日報がないのはどう考えてもおかしいからです。シビリアンコントロールを発揮できなかった稲田さんの責任は重い。政治家としての資質にも疑問符がつきます」

ダブルパンチで再び政治的窮地に追い込まれたともちん。復活の日は遠い。

(写真/時事通信社)