南スーダンPKO(国連平和維持活動)に続き、イラク派遣でも「存在しない」と言われてきた自衛隊の日報が見つかった。政府と防衛省の底なしの「隠蔽体質」が露呈される中、気鋭のジャーナリストふたりによる調査報道ノンフィクション『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』が注目を集めている。
著者は、この問題について防衛省にいち早く情報公開請求を行なった布施祐仁(ゆうじん)氏と、朝日新聞のアフリカ特派員として現地潜入取材を重ねてきた三浦英之氏。
なぜ、南スーダンの日報は隠されたのか、首都ジュバで何が起きていたのか、そしてイラク派遣日報隠蔽との共通点は…? 先日、ゲストMCとして東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者を迎えた両氏のトークイベントが開催された。問題の本質に迫るトークをピックアップして公開するーー。
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望月 布施さん、三浦さんの共著『日報隠蔽』は、南スーダンでの自衛隊PKOに関して、本の帯にもある通り「結局すべてがウソなんじゃないかーー」と言わざるを得ない実態を暴いたノンフィクションです。南スーダンに続いて、イラク派遣でも「存在しない」と言われてきた日報が出てきた。自衛隊や政府の隠蔽体質に私たちは気づかぬうちに取り囲まれているのではないか…そんな印象を受けて慄然(りつぜん)としています。
布施 イラクの日報に関しては完全にデジャビュ(既視感)というか「また同じことが…」という感想しかありません。実はイラクに派遣された部隊の報告書についても、私は約10年前から情報公開請求をしてきましたが、日報が開示されたことはありませんでした。『日報隠蔽』で書いた南スーダンの日報と同じように隠蔽されてきたと思わざるを得ません。
最終的に「やっぱり、ありました」と公表するに至る経緯も南スーダンの時とそっくりです。イラクのケースでも、今年1月12日の時点で陸上自衛隊の研究本部で見つかり(※その後、昨年3月の時点で見つかっていたことが判明)、その事実が統合幕僚監部に報告されたのが2月27日。約1ヵ月半かかっています。
その後、小野寺防衛大臣に報告されるまでに、さらに約1ヵ月を要するわけですが、統合幕僚監部というのは自衛隊の最高司令部です。意思疎通の関係・体制がこんな状態で有事の際にどうなるのか、まさに国家の安全保障に関わる深刻な事態ですが、これもデジャビュ…南スーダンのケースと同じです。
望月 南スーダン日報隠蔽の概要とともに、布施さんと三浦さんが共著という形で『日本隠蔽』を発表された経緯について聞かせてください。
布施 南スーダンへの自衛隊派遣が開始されたのは2011年11月。私は、2015年秋からこの南スーダンPKO問題を追い始めました。契機となったのは、同年9月に成立した安保関連法です。
それまで、日本の自衛隊は1992年にPKO法が制定されて以降、カンボジアをはじめ世界各地に派遣され続けてきた。そして、憲法9条との整合性から派遣先での自衛隊の武器使用は正当防衛と緊急避難の場合に限られてきましたが、安保関連法の成立によって、いわゆる“駆けつけ警護”などの任務を遂行するための武器使用も認められるようになったわけです。
しかし南スーダンの状況は、そもそもPKOを目的に自衛隊を派遣できるほど安定しているのか。“駆けつけ警護”が可能になったとしても、自衛隊のPKO活動は派遣先で武力紛争が発生していないことを前提に続けられてきたわけです。そうでなければ、憲法9条によって武力行使が禁じられている自衛隊を派遣できるわけがない。
例えば、イラクでのPKOについて、当時の小泉純一郎首相と野党議員の間で次のような国会答弁がありました。当時、イラクは米軍を中心とする多国籍軍と占領に抵抗する武装勢力との苛烈な戦闘が続いていましたが、政府は「イラクといっても全土で戦闘が行なわれているわけではなく、非戦闘地域もあって、そこなら自衛隊を派遣できる」という理屈でPKOに参加していました。
野党議員が「では、具体的にどこが非戦闘地域なのですか?」と首相に質問。それに対して小泉首相は「自衛隊のいるところが非戦闘地域だ」と答えた。あまりにも無責任で、首相による答弁として史上最悪だと思います。
自衛隊が活動する南スーダンの首都ジュバでは、すでに2013年12月に1回目の大規模な戦闘が起きていました。自衛隊をPKOのために派遣するだけでも大いに疑問が持たれる地域で、安保関連法の成立によって“駆けつけ警護”という戦闘になるリスクの高い新たな任務が自衛隊に付与されようとしていた。そこで、自衛隊PKOの実態をつかむため、防衛省に関連文書の開示を請求したのです。
「自己防衛のためなら撃て」自衛隊の隊長が内実を暴露
三浦 自衛隊が南スーダンに派遣されて以降、大規模な戦闘は2回起きています。事実上、これらは石油利権を巡る大統領派と副大統領派の内戦です。最初が今、布施さんが言われた2013年12月。この時点で、私はまだアフリカ特派員ではありませんでしたが、布施さんと同じ疑問を抱いた。「国を二分するような戦闘が起きているのに、そこに自衛隊を派遣して大丈夫なのか?」と。
そこで上司に「アフリカに行かせてくれ」と談判して、南スーダンに入りました。そして現地での取材中、派遣されていた自衛隊の隊長が「三浦さん、実はひとつだけお伝えしておきたいことがあります」と言って内実を暴露してくれたのです。2013年12月の戦闘が起きた後(14年1月)に隊員たちに下した命令の内容でした。
自衛隊は南スーダンに戦闘部隊としてではなく“復興支援”“国づくり”を目的に派遣されていたわけですが、14年1月にも近くで小規模な撃ち合いがあった。その隊長は任務にあたる隊員全員に対して「防弾チョッキを着用して、実弾を装填した武器を携行するように」、また「自己防衛のためなら撃て」と命じたというのです。
その時に書いた記事は朝日新聞の1面で報道されましたが、現地で取材して得た情報は日本国内の報道とはかけ離れたものでした。戦闘のない安全な地域に国づくりのために派遣されているはずの自衛隊が、実弾を装填した武器を携行しなければ身の安全を確保できないような事態に直面していたのです。
もうひとつ、この隊長の話を聞いた時に思ったことがあります。それは「なぜ、こんな重大な話をメディアの人間に伝えるのか?」という素朴な疑問です。つまり、私が報道した事実は当然、防衛省の内部にも上がっていたはずで、その報告が防衛省内部で止められ表沙汰にならないので、隊長はメディアに託したのではないか…。
こういった疑念は、東京にいて防衛省に対して情報開示請求を行なっている布施さんのアプローチと重なるものでした。そして、ツイッターを通じて布施さんに東京と南スーダンの2点から真実に迫ろうと呼びかけたのです。
布施 情報公開法を使って私が最初に入手したのは、2013年12月の大規模な戦闘の時に現地にいた部隊の「教訓要報」という文書でした。戦闘に関する詳しいレポート状況が載っていて、それだけでも現地で自衛隊がいかに緊迫した状況に直面していたか、私には驚きだったし、誰が読んでも「南スーダンで内戦が勃発した」と思える内容でした。
しかし、それでも2013年12月25日の会見で菅官房長官は「南スーダンの情勢は予断を許さない状況だが、自衛隊の活動するジュバは平穏であると報告を受けている」と言っていて、明らかにおかしいと思いました。
そして2016年7月、2回目の大規模な戦闘が勃発します。「教訓要報」というのは南スーダンから派遣部隊が帰国した数ヵ月後に作成される“まとめ”の文書ですから、2回目の大規模な戦闘に直面した第10次派遣部隊の「教訓要報」が作成されるのは2017年の春頃になります。第11次派遣部隊が現地に送られるのは、それより前の11月で、“駆けつけ警護”という新たな任務を付与される可能性がある。第10次派遣隊の「教訓要報」を待ってはいられませんでした。
そこで、まず「現地の派遣部隊とそれを指揮する日本の中央即応集団司令部との間でやり取りしたすべての文書」、さらに「南スーダン派遣施設隊が作成した日報」にターゲットを絞りながら防衛省に開示請求を続けました。そして2016年12月9日、開示請求に対する決定通知書が防衛省から届きましたが、そこには「日報はすでに廃棄したため、文書不存在につき不開示としました」と記されていたわけです。
隠蔽された日報には、自衛隊宿営地の近くで繰り広げられた激しい戦闘の状況が記されていました。だからこそ、隠された。10月には稲田防衛大臣が南スーダンの首都・ジュバを視察していましたが、わずか7時間の滞在後、記者団に「落ち着いていると目で見ることができた。有意義だった」と語るなど、すべてが新任務の付与を前提として動いていたのです。
森友、加計の両疑惑とも共通する問題
三浦 2016年7月の戦闘で激しい銃撃戦の舞台となった通称・トルコビルは自衛隊宿営地のすぐ隣です。また、この戦闘の最中には国連ハウスから1kmほどの距離にあるタイレンホテルで政府軍兵士による集団レイプ事件も起きています。被害に遭ったのは、欧米から子どもたちや食糧の支援のために来ていたNGOの女性たちです。
私が現地で取材した限りでは、首都・ジュバで悪事を働いているのは南スーダンの政府軍、つまり大統領派の兵士たちです。そして日本政府は、この政府軍に頼み込むようにして現地の情報を得ている。「ジュバが比較的安定している」とか「平穏だ」といった政府関係者の発言の背景にはこういった実情もある。一方で自衛隊の現地部隊からの日報は、貴重な情報であるはずなのに「廃棄して存在しない」と言い続けていたわけです。
望月 まさに、結局すべてがウソなんじゃないか、と。
布施 イラクの日報問題については冒頭で南スーダンのケースとの類似性を述べましたが、官僚の隠蔽体質は森友学園、加計学園の両疑惑とも共通する問題です。南スーダンの日報は結局、責任の全てを押しつけられそうになった陸上自衛隊の反発もあって存在を認めることとなりましたが、構図としては全責任を佐川元理財局長に負わせようとしている森友問題と同じでしょう。
また、隠蔽は本当に官僚たちだけで行ない、政府は全く関与していなかったのか。安倍首相は南スーダン日報問題に関して、事実と完全に異なる国会答弁をしています。当時は報告を受けていなかった、自分は知らなかったと言っていますが、首相答弁というのは自衛隊に関するものだからといって防衛省だけで作れるものではありません。
事実と異なれば、首相の責任が問われる。当然、首相官邸との協議を経るわけで、常識的に考えれば、その時点で報告を受けていた可能性が高い。逆に、事実確認もきちんとせずに事実と異なる答弁書を了承していたとしたら、それこそ問題です。
望月 森友問題でも首相の答弁をチェックしていたのは、首相夫人付き職員だった谷査恵子氏の直接的上司だった今井尚哉首相筆頭秘書官です。事前に摺(す)り合わせがあった可能性は否定できませんね。
三浦 今回、朝日新聞の記者である私とフリーランスの布施さんが組んで1冊の本を書いたというのは非常に珍しいケースですよね。東京と南スーダンからフリーランスのジャーナリストと大手メディアの社員が問題の核心にどのように迫っていったか、是非お読みいただければと思います。
(構成/田中茂朗 撮影/田中 亘)
『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』 集英社 1700円+税