南北軍事境界線から南に7kmの場所に位置する観光地・臨津閣の敷地内にある平和の鐘。

4月27日に行なわれた南北首脳会談は、韓国でどのように受け止められているのだろうか。

3年前に韓国国内を自転車で1周し、旅行記を上梓した文筆家の前川仁之氏が現地に赴き、北朝鮮に対する韓国人の本音に迫る。

■南北分断の最前線で

南北首脳会談が行なわれた3日後。韓国・仁川(インチョン)国際空港から、朝一番のバスでムンサンに向かった。「統一を準備する希望都市」を謳う坡州(パジュ)市北部のこの町から5キロほど北西にゆくと、検問所がある統一(トンイル)大橋に至る。首脳会談が行なわれた板門店(パンムンジョム)へは一本道で10キロ程度だが、ここから先は特別な許可がなければ入れない。ちなみにこの統一大橋がかかる川の名は我が国でもよく知られている。臨津江(イムジンガン)という。

いわば分断の最前線であり、それに因んだ観光地もある。統一大橋のすぐ下流域にひろがる臨津閣(イムジンガク)公園だ。小さな遊園地もあるが、戦災に遭った世界各地の石(広島のもある)を集めた展示や、北朝鮮方面を見晴るかす展望台等を備えた、平和と統一を祈念する公園である。

首脳会談の当日には大勢の人が集まり、公園内に設置されたディスプレイを見て歓声をあげる姿が日本でも報じられた。3年前に私が寄った時と、今度の会談を受けて変わったところがないか見ておきたい。

変化はすぐに見つかった。来園者が南北統一への願いを短冊に託して残してゆく橋があるのだが、そこに「南北頂上会談大歓迎/私たちはひとつだ」と大書された巨大な横断幕が掲げられていたのだ。

白地の布の中央には青く朝鮮半島が描かれている。日本の報道でも目にする「統一旗」と同じデザインだ。そして色とりどりの寄せ書きが躍っている。日付は4月27日、会談の当日から始まっている。つまりこれらは雪どけの最前線で発せられた声だ。

いくつか拾っておこう。

「平和のはじまりを韓半島(ハンバンド、朝鮮半島のこと)から」

「最も遅れた統一を、最も素敵な統一に」

「離散家族再会」

「文在寅(ムン・ジェイン)大好きです」などという率直なメッセージもある。

「列車に乗って平壌(ピョンヤン)へ行きましょう」ほか、鉄道に関するメッセージが散見されるのは、この地が南北を結ぶ(はずの)京義(キョンウィ)線に沿っているからだろう。

統一を望む声が多いのはもちろんだ。私も一筆残した。ハングルで「統一」と。ところがそう書いた後、この一語を無邪気に発しづらくなっていったのだ。

「この調子で一気に統一を」と意気込む人は皆無

■統一が遠のいた?

臨津閣の展望台に来ていた韓国人男性のグループに話を聞いた。

「会談をテレビで見ていて、金正恩(キム・ジョンウン)が境界線をまたいでこっちに来た瞬間は涙が出てしまいました。北韓(プッカン、北朝鮮のこと)の指導者がこっちに来るのは初めてですからね」

40代後半のサン氏は笑顔でそう語る。2000年の金大中(キム・デジュン)、07年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)と、過去2回の南北首脳会談はいずれも、韓国の大統領が平壌へ出向く形で実現された。今回は金正恩が形の上だけでも韓国を訪れたのであり、「劇」的な意義は大きい。

今後の南北関係について訊ねると、サン氏は「統一とまではいかなくとも、休戦状態が終わり、日本や中国と同じように自由に行き来できる関係になってほしいです」と希望を明かす。

統一とまではいかなくとも。その後もこれと似たようなブレーキの利いた表現が多くの人の口から発せられた。逆に「この調子で一気に統一を」と意気込む人は皆無だった。

白けているわけではない。多くの人は南北会談を、喜びをもって迎えている。彼ら彼女らが現時点で何よりも望むのは、統一のはるか手前、休戦状態にある朝鮮戦争の終結なのだ。

人々の反応を私なりに解釈すると、南北対話の道を拓いた金大中・韓国第15代大統領が提示した、段階的統一の展望が再び(初めて?)現実味を伴って感じられるようになったということだ。金大中は18年前に、統一の好例としてよく比較されるドイツとの違いを強調し、こう語っている。

「われわれの経済は北韓を丸ごと抱える能力はありません。われわれは戦争も経験し、極度の武装対立の中にいます。東ドイツはワイマール共和国の時代に満開した民主主義の経験がありました。しかし、北の住民は自由に対するいかなる経験もないばかりか、長い間の孤立で北以外の外部世界をまったく知りません。こうした諸問題をそのままにして統一を急ぐということは、現実的に無理なのです。

したがって最も現実的で合理的な政策は、直ちに統一を追究するよりは、韓半島になおも残っている相互脅威を解消して、南と北が和解、協力しながら共存共栄を追究することです。統一はその次の問題です」(ベルリン自由大学での演説より)

では相手方の金正恩を韓国の人々はどう思っているのだろうか。

臨津江の対岸に北朝鮮の集落が望める烏頭山統一展望台。

今の時点では希望なんて持てやしないよ

■金正恩を信じられるか

ムンサンの町に戻るタクシーの運転手は「歴史的な会談」を冷めた目で見ていた。

「今の時点では希望なんて持てやしないよ。金正恩は嘘ばっかりつくからねえ。前の代から、北韓はずっとそうだ」

ごもっとも。しかもこの人はムンサン在住とのこと。すぐ北隣の漣川(ヨンチョン)郡は3年前の夏に北朝鮮から突如砲撃を受けている。北の脅威が核やミサイルだけではない地域となると、不信感も根強くなるのかもしれない。

「金正恩氏はこっちに来て、30分の時差を直す気になったなんてことを言ってましたね」

「ああ、そう。彼がそんなことをねえ。はっはっは」

「これも嘘かもしれませんが」

滞在中に出会った人で、はっきりと金正恩をくさしたのはこの運転手氏ひとりだけだった。

かと言って、北の指導者への評価が劇的に変わったわけでもなさそうだ。その後、ソウル市内で、そして臨津江の対岸に北朝鮮の集落が望める烏頭山(オドゥサン)統一展望台で話を聞いたが、若い女性などは特に、質問が金正恩の人物に及ぶと困惑したような笑みを浮かべてこう言うのだ。

「これまではまったく信頼できない、悪い人だと思っていましたし、今でもよくわかりませんが…信じたいです」

その戸惑いが生々しく、つられてこっちも「ええ、僕も信じたいです」と応じていた。

一方で、「北韓を旅行したいと思いますか?」という問いには多くの人が喜んで「行きたいです」と答えてくれた。互いに行き来できる関係への期待感が、表情ににじみ出ている。

韓国の人々のこの気持ちが、現時点では指導者らの手による“春”から、真の“春”を育てていくのだ。

* * *

5月2日早朝、空港に向かうバス車内のテレビニュースで、南北双方が軍事境界線付近の宣伝用拡声器を撤去し始めたと報じられていた。帰国後間もない5日、北朝鮮は30分の時差を修正した。細かいところでは有言実行が見られる金正恩。「信じたい」という人々、南の同胞たちの情をないがしろにせぬよう願う。

(取材・文/前川仁之)