「天安門事件の武力鎮圧に容認的―経済大国になった自国に対してそんな態度を取る中国人は少なくないのです」と語る安田峰俊氏 「天安門事件の武力鎮圧に容認的―経済大国になった自国に対してそんな態度を取る中国人は少なくないのです」と語る安田峰俊氏

1989年6月4日に中国・北京で発生した「天安門事件」。

政治改革を求めて天安門広場を占拠した数万人の学生を排除するため、人民解放軍が銃を乱射するなどして武力鎮圧を行なったもので、無関係な市民を含めた死者数は約1万人に上るとの説もある。このことは中国政府にとって今なお最大の“タブー”であり、公に語られることはまずない。

中国人の間では時に「八九六四」と暗号のような4ケタの数字で表現されるこの事件について、ルポライターの安田峰俊氏が当事者60人以上にインタビューを敢行した『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(そのうち本書に登場するのは20人余り)。中国現代史に刻まれた大事件に、新たな光を当てた。

* * *

―なぜ今、29年前の事件を掘り起こそうと思ったんですか?

安田 実は天安門事件の報道って、最近10年でかなり増えているんです。90年から2017年までの28年間、日本の主要各紙の天安門関連記事の数を調べてみました。すると、90年代末頃に報道がいったん下火になったのですが、07年頃から急に扱いが大きくなった。例えば朝日新聞で、天安門の報道が歴史上一番多かった年は14年なんです(笑)。

―なんで最近になって注目されるようになったのですか?

安田 日中関係の悪化が背景にあります。過去の記事をひとつひとつ調べると、反日デモとか尖閣とかの、中国ムカつくわー、という事件が起きた翌年には、天安門事件を扱う記事の面積が増えがちなのです。

あと、10年ほど前から、中国報道に携わる日本人記者の数が増えた。結果、全体的に中国関係の記事の扱いが大きくなったのも要因でしょう。

―近年の新聞記事では、天安門事件はどのように報じられているんですか?

安田 報道量が多い割に、事件を振り返るだけの紋切り型の記事が多いですね。本書の冒頭に登場する在日中国人の民主活動家の表現を借りるなら「天安門事件でこんなひどい目に遭った、こんなひどい光景を見た、中国共産党がどれだけ冷酷だったか」といった「同じような話を聞いて、同じような記事を書くだけ」。そして最後は「中国の民主化は遠い」というお決まりの言葉で締めるという、ワンパターンな記事になりがちです。

―そこに違和感があったわけですね?

安田 はい。新聞記事に毎年書かれているような話に、いまいちリアリティを感じられなかった。ある種の神話化された、頭の中だけの世界になってしまっていると感じました。もっとナマの声を取材して、手て垢(あか)のついてない話を持ってきてはっきり見せたかった。それがこの本を書いた一番の動機ですね。

―本書には20人余りの当事者たちが登場しますね。

安田 1章に出てくるおじさんは天安門事件だけでなく、70年代以降の中国の民主化運動にほぼすべて参加して現場を見ています。2章の警察学校に在籍していた学生の「最初は全然緊張感なくて、武装警察と学生たちが遊んでいるような雰囲気だった」という話や「当時はケンタッキーのフライドチキンに憧れていた」という話も味がありますよね。

それから「東ドイツやソ連の崩壊を見て、考えを変えた。武力鎮圧は正しいことだった」と言う人もいた。ナマの中国人の話は、どれもリアルで興味が尽きませんでした。

ネットで目覚めた「持たざる者たち」

―私は3章の「持たざる者たち」が一番印象に残りました。

安田 3章に登場するのは、お金も学歴もない、中国のどこにでもいる「しょうもないおっさん」たちです。元自転車修理工のおっさんは訳もわからずデモに参加し、事件後もノンポリだったのに、00年代に入ってから「ネットで真実に目覚めた」。やがて反体制的な言動を理由に警察から電気ショックの拷問(ごうもん)を受け、タイ・バンコクに逃亡して極貧生活を送っていました。

もう一人の登場人物であるタクシー運転手のおっさんも、やはりネットで目覚めたタイプ。民主化を求めてはいても、どこか危うさを感じます。

―デモを主導したエリート学生たちとは、社会的な階層が異なる人たちというわけですね?

安田 はい。書き上げて改めて思ったのが、天安門事件って、本当にインテリだけの運動だったんだなあ、ということ。『三国志』でいう、諸葛亮(孔明)みたいに戦場でも鎧(よろい)を着ずに、難しい策とかを論じている人たちだけの運動なんです。都市のうわずみの知識人階級は騒いでいたけれど、一般庶民はよくわかっていなかった。3章に出てきたおっさんみたいな人たちは、まさに「お祭り騒ぎをしているから行ってみたけど、なんかよくわかんねえ」だったのですよね。

―マスコミの報道ほど、単純な構図ではなかった?

安田 天安門事件は「正義と悪の戦い」に見られがちです。事実、丸腰の市民を銃で撃った中国当局は「悪」に違いない。でも、デモを起こした側が正義だったかというと、実はそうとも限らない。デモ学生たちは庶民と距離を置いていたし、社会のこともわかっていなかったのだろうと感じます。

―副題にもなっている「『天安門事件』は再び起きるか」という問いにはどう考えますか?

安田 起きないでしょう。最終章に出てくるのは、まさにそういう話です。当時エリートだった学生たちは、今はほとんどが社会的に成功している。金持ちは体制に文句を言いません。対してその下の世代は、中国の経済発展や北京五輪の成功など「強い中国」を見て育っていますから、やはり政府に反抗しない。現代の中国の体制には問題がありますが、文句を言わなければそれなりに幸せに生きられる国でもある。

現在の中国人の多くは、結果的に「強い中国」をもたらした天安門事件の武力鎮圧に、ある程度は容認的な人が少なくありません。人権の制限や監視社会についても、同じ理由から容認的な人が多いのです。

―民主化と引き換えに、豊かで強い祖国を手に入れたということですね。

安田 はい。結果、中国は日本を上回る大国になりました。でも、そんな中国の姿を、われわれ日本人はもろ手を挙げて称賛する気にはなれません。心の中に何かイガイガしたものを感じるわけです。このヤな感じというものこそ、日本と中国、あるいは民主主義社会と中国社会を分ける決定的な違いなのでしょう。われわれ日本人が守るべき価値でもあると思いますね。

(取材・文/西谷 格 撮影/五十嵐和博)

●安田峰俊(やすだ・みねとし) 1982年生まれ、滋賀県出身。ルポライター。立命館大学人文科学研究所客員研究員。立命館大学文学部卒。広島大学大学院文学研究科修士課程修了。中国のネット掲示板を日本語に翻訳するブログを見いだされて著述業に。アジア、特に中華圏の社会・政治・文化について執筆。著書に『和僑 農民、やくざ、風俗嬢。中国の夕闇に住む日本人』『境界の民 難民、遺民、抵抗者。国と国の境界線に立つ人々』(KADOKAWA)、『野心 郭台銘伝』(プレジテンド社)など

■『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA 1700円+税) 1989年6月4日、天安門広場に集まった“民主化への夢”は、武力弾圧の前に砕け散った。あの「天安門事件」から約30年。中国で「八九六四」はタブーとなった。「六四」「八九六四」は検索NGワードな上、6月4日前後にはスマホ決済でこの数字の金額が送金できない。では、理想に燃えた若者たちの今は? 経営者になった者、日本に亡命した者、今も変革を諦めない者……“ないことにされた”人たちが語る、一筋縄ではいかない天安門事件の物語