2003年以降、衆参すべての国政選挙に出馬するなど、立候補は生涯で17回。没収された供託金は総額4000万円以上。又吉氏は本気で当選を目指し続けていた

自称したのは「唯一神」。記者の取材に何度も「私以外に神はいません!」と力強く語り続けた政治活動家・又吉イエス氏(本名・又吉光雄)が7月20日に亡くなった。享年74。逝去から3日後の7月23日、又吉氏が代表を務めていた政治団体・世界経済共同体党の公式サイトに「左腎がんのため逝去」との文言が掲載されたのだ。

「唯一神・又吉イエス」氏といえば、まず思い出されるのが、政見放送やポスター、街頭演説で繰り広げられた対立候補への過激な言動だ。

又吉氏はカメラや聴衆の前に立つと、独特の節回しの甲高い声で対立候補の実名を挙げ、「腹を切って死ぬべきである!」「地獄の火の中に投げ込むものである!」などと厳しい口調で訴え続けてきた。

沖縄県宜野湾(ぎのわん)市の出身。中央大学商学部を卒業後、東京での会社員生活を経て地元の沖縄に戻り、学習塾の経営、牧師などを経て、1997年の宜野湾市長選に初めて立候補。政治キャリアのスタートは、得票数516票での落選という残念な結果に終わった。

それでも又吉氏は諦めなかった。初選挙の後は、2度の県知事選を含め沖縄県内の選挙に6回挑戦。いずれも落選して供託金を没収されると、2003年からは政治活動の拠点を東京へと移した。

そして同年以降に行なわれた国政選挙では、衆院選(東京1区)、参院選(東京都選挙区)に欠かさず立候補。生涯通算17回もの選挙に挑戦したが、一度も当選することなくこの世を去った。

世の中には又吉氏を「単なる選挙好き」と見る向きもある。しかし、04年から又吉氏を取材してきた記者は同意できない。主張に賛同するかどうかは別にして、又吉氏は本気で当選を目指し続けていた。

事実、最後の選挙となった昨年10月の総選挙で、又吉氏はこんな言葉を残している。

「『金が第一・金がすべて』の利益至上主義経済と、『自己中心・好き勝手・やりたい放題』を止めることができない民主主義。唯一神・又吉イエスはそんな世の中に対して怒っています。これが選挙に出続ける原動力です」

しかし、結果は理想とは程遠い17戦0勝。毎回高額な供託金を没収され、総額は4000万円を超えていた。

「毎回大変ですよ!」

そう語る又吉氏に原資を問うと、明快な答えが返ってきた。なんと、又吉氏が沖縄の米軍普天間(ふてんま)基地内に所有している土地から得た補償金収入を活動費に充てていたのだ。

「地代をためて供託金を出すんですが、余裕など全然ない。しかし、これが私の務めですので、これからも選挙は全部出続けたい。当選を目的として、いまだ落選をしているということです」

志半ばで亡くなった又吉氏。しかし、04年頃からは、ネットを通じて集まった若者たちがボランティアで選挙を手伝うという現象も巻き起こした。あるボランティアの若者は、かつて記者にこう語った。

「最初はネタ的な面白さ半分でしたが、唯一神の選挙ボランティアを通じて選挙の面白さや大切さを知りました」

選挙に興味のなかった若者たちに気づきを与えた功績は大きい。そして、氏が遺した数々の言葉は、若者たち一人びとりの心に深く刻まれた。唯一神・又吉イエス氏のご冥福を心からお祈り申し上げます。