『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、「巨大なアメリカと、それに追従する(あるいは、せざるをえない)日本の親米勢力」というタイプの言説に、疑問を投げかける。
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今年11月に沖縄県知事選が予定されています。おそらくこれから、米軍基地の是非をめぐって「対米従属はもうやめろ」というタイプの議論が世にあふれることでしょう。日本はいつまで"アメリカの犬"でいるつもりだ。安倍政権も官僚も恥ずかしくないのか。卑屈な日本人よ、今こそ目を覚ませ――。
この手の小気味よいオピニオンは、まるで強力な磁石が砂の中の砂鉄を吸い取るように、一定の顧客をつかんでいます。それを唱える人も、聞く人も「言葉に酔える」という意味では、実に麻薬的な言説であるといえるでしょう(左右は反転しますが、近年の「日本すごい!」ブームに酔いしれている人々と根は同じだと思います)。
もちろんこうした言説の中に、現実と重なる部分が少なくないのも事実です。ただ、それを唱える多くの知識人や言論人は、"対米従属後の世界"について具体的な言及をしない。
例えば、彼らのいう「対米従属」を捨てた先には、独力で中国と対峙(たいじ)するためにどうするかという課題が出てくるはずですが、なぜかそこには着地しない。
結局、自分たちが望む理想というものが幻想にすぎず、構造的に実現不可能だということにはうすうす勘づいているがゆえに、"屈辱"というポルノグラフィに酔い、情緒的に為政者や役人を腐しているだけなのだと思います。
自分たちは正しいことを言っているのに、それを実現できないのは政治家や官僚が悪いのである――現実的な対案もないこのような言い分は、議論というよりファンタジーの部類です。
韓国政府(というより社会全体)が、都合が悪くなると反日ナショナリズムを叫び、北朝鮮との平和統一を声高に叫んだり、トランプ大統領を生んだアメリカの新極右政治勢力"Alt-Right(オルトライト)"が、ジャーナリズムのふりをしたフェイクニュースまがいのイデオロギー宣伝で団結したりしていることを考えると、これは日本固有の現象ではなく、ユニバーサルな大衆扇動の手法なのかもしれません。
はっきり言ってしまえば、一点突破の論法で世界を斬ろうとする言説に未来はありません。麻薬的な言葉に酔うことなく、多面的に政治や社会の問題をとらえて多様性を尊重しつつ建設的な意見を交わし、「なぜ今、こうなっているのか」をまず立ち止まって考えることが基本です。
「日本は世界の笑いものだ」とか、逆に「世界が日本を尊敬している」などと言い募るのは、世界の中で日本だけが"特別な存在"であるとの前提に立っている点において、トランプ支持者が世界を見る目線と変わりません。
ただ、アメリカにおけるトランプ的なものの台頭は、何十年もかけて米社会があらゆる多様性に関する議論を進めてきた後に残った"最後のあだ花"といったところ。
それに対して日本はかつて、「敗戦からの立ち直り」だけを至上命令にして多様性を置き去りにし、社会の価値観を単一化してきた経緯があります。「日本は世界の笑いもの」といった言い方の中にある「日本」という言葉にも、国民が一丸となって同じものを目指し、連帯責任を負うという東アジア型の全体主義が見え隠れします。
このような思考回路から抜け出し、建設的な議論を生み出すためには、まさにカオスを飲み干すような多様な視点を持つ必要があるでしょう。
●モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。日テレ系情報番組『スッキリ』の木曜コメンテーター。ほかに『教えて!ニュースライブ 正義のミカタ』(朝日放送)、『報道ランナー』(関西テレビ)などレギュラー多数。