「2020年は金委員長がぶち上げた『経済発展5ヵ年戦略』を総括する年。アベノミクスならぬ『ジョンウノミクス』のような経済成果を上げたいと焦っているはず」と語る文聖姫氏

2月中にも2度目の米朝首脳会談が開かれることが確実となった。

もしこの会談で、金正恩(キム・ジョンウン)委員長が具体的な非核化プランを打ち出せば、トランプ大統領は見返りとして対北制裁の一部解除などに踏み切る可能性が高い。

米朝首脳会談の後には金正恩委員長のソウル訪問、中国の習近平主席の平壌(ピョンヤン)訪問、さらにはプーチン・金正恩によるロ朝首脳会談などが控えている。朝鮮半島はまさに怒涛(どとう)の外交ゲームに突入することになる。

ただ、その外交ゲームに悲しいかな日本の姿が見えない。北東アジアに新しい国際秩序が形成されようとしている時期に、日本は蚊帳の外に置かれているのが実情だ。

その外交孤立を打開するには、日本も対北朝鮮外交を進めるしかない。そのためには北朝鮮が何を考え、何を欲しているのかを知る必要があるだろう。とはいえ、日本では北朝鮮の情報はあまりにも少ない。

そんなとき、これほど有用な本はない。2度の平壌特派員経験を含め、これまでに15回も北朝鮮を訪問した文聖姫(ムン・ソンヒ)氏による『麦酒(ビール)とテポドン』(平凡社新書)だ。

とかく軍事解説に偏りがちな北朝鮮の現状を豊富な経済データを駆使し、市場経済化のフェイズから読み解く。その狙いを「経済を知ることで、北朝鮮の等身大の姿、そして政治指導者の本音が見えてくる」と、著者は説明する。

* * *

──なぜ、市場経済化のシンボルとして、ビール(麦酒)を選んだんですか?

 訪朝するたびに、ビールをめぐる現地の光景が変化していたからです。正直、1990年代までの北朝鮮のビールは泡立ちが悪く、それほどおいしいものではありませんでした。それが2000年代に大同江(テドンガン)ビールが登場し、劇的においしくなった。

同時に平壌市内に「慶興館」という1000人収容の巨大ビアホールなどがオープンし、市民が仕事帰りに一杯飲んで帰宅するというシーンも見られるようになったのです。

しかも、北朝鮮はこの大同江ビールを一大輸出品に育てようと、外国人観光客を招待してビールの祭典を開くなどの動きも見せました。輸出は貿易を通じて外国に門戸を開くということ。閉鎖的とされる北朝鮮にもこうした市場経済化や改革開放の波が押し寄せていることを伝えたくて、そのシンボルとしてビールを取り上げたんです。

──ビールは1杯、いくらくらいなんですか?

 2011年当時は1杯0.5ドルでした。北朝鮮ウォンに換算すると、だいたい1000ウォンくらい。市民の名目給与額は月3000~5000ウォンくらいですから、かなり高額です。

ただ、多くの人々が勤務先である国営企業や農場以外で自分のビジネスをしていて、その稼ぎが20万ウォンくらいになる。つまり、市場経済が進んで人々の収入が増えた結果、1杯の値段が公的な月収の3分の1から5分の1もするビールを飲めるようになったというわけなんです。

──北朝鮮が標榜(ひょうぼう)する社会主義の計画経済下ではありえない光景が出現している?

 ええ。市民は自分のビジネスで儲けたお金で携帯電話やパソコンも買っています。また、毎食ケータリングで食事を済ませるなど、「トンジュ」(金主)と呼ばれる新興富裕層も出てきています。

こうした傾向は金正恩委員長が指導者になってからさらに顕著となり、今では企業の独立採算制や「圃田担当責任制」と呼ばれる個人経営に近い農業が当たり前になっています。そのうち、北朝鮮でも中国の万元戸のようなリッチな農家が出現するかもしれません。

──北朝鮮の市場経済化はもう誰にも止められない?

 もう戻れません。そして、金正恩委員長はそのことをよく理解している。経済で成果を出さないと指導者としての地位が揺らぎ、体制を維持できないとよくわかっているんです。

だから、国内に24ヵ所も経済特区をつくったり、核武力開発と経済発展を同時に進める「併進路線」から、経済建設に総力を注ぐ「経済路線」への転換を宣言したりしている。

2020年は第7回党大会で金委員長がぶち上げた「経済発展5ヵ年戦略」を総括する年となる。それまでにアベノミクスならぬ「ジョンウノミクス」のような具体的な経済成果を上げたいと、金委員長は焦っているはずです。

──ただ、核開発があだとなって国際社会から経済制裁を受け、北朝鮮経済は停滞しています。

 北朝鮮は最後のギリギリまで核の放棄はしないでしょうが、非核化しない限り、制裁解除されないということもよくわかっています。いくらおいしい大同江ビールを量産しても輸出できず、外貨も稼げないんです。

それでは豊かになりたいという国民の願望を満足させられず、体制も危うくなります。核武力開発をやめて「経済路線」に転換するという金委員長の方針は本物で、決して米朝交渉を進めるためのポーズではないと私は考えています。

──非核化は可能でしょうか?

 北朝鮮が望むゴールは、経済制裁の解除です。そのゴールへの道筋をしっかり国際社会が提示できれば、北朝鮮が暴発することはない。これまでの言動を見る限り、金正恩委員長は合理的な行動をする指導者です。体制保証と経済発展が担保されれば、非核化へと動く可能性は十分あるでしょう。

──北朝鮮の核問題を論議する6ヵ国協議のメンバーで、日本だけが蚊帳の外に置かれています。打開策はありますか?

 日本は金正恩委員長が望む制裁解除というゴールから逆算して、北朝鮮の本意と行動様式を予測することです。02年9月の日朝平壌宣言はいまだ有効というのが、日朝双方の共通見解です。

宣言には日朝の経済支援の枠組みがしっかりと定められています。そのことは金正恩委員長も念頭に置いており、いつまでも北朝鮮が日本を無視することはない。必ず対話には応じるはずです。

ただ、対話の入り口で拉致問題を解決しろと迫ると、北朝鮮も身動きができなくなる。経済協力を交渉の入り口にして、出口で拉致問題の完全解決を図るという柔軟な工夫も必要かもしれません。

──大同江ビールが日本で飲める日が来ますか?

 その日が来るためにも、北朝鮮には核ミサイルを開発するより、世界にビールを輸出して繁栄する改革・開放の道を選んでほしい──。心からそう願っています。

●文 聖姫(MUN SONGHUI)
1961年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科、韓国朝鮮文化研究専攻博士課程修了。博士(文学)。専門は北朝鮮の政治・経済と市民社会。朝鮮新報記者を経て現在は『週刊金曜日』編集部在籍。共著に『朝鮮労働党の権力後継』(アジア経済研究所)、共訳に『北朝鮮 おどろきの大転換』(河出書房新社)がある

■『麦酒(ビール)とテポドン 経済から読み解く北朝鮮』
(平凡社新書 840円+税)
朝鮮新報記者、研究者としてこれまで15度も訪朝し、市民からの聞き取り、農民市場、工場・企業の調査を行なってきた著者。市場経済の波が押し寄せる北朝鮮の本当の姿を明らかにする経済ルポ。市民が楽しめるビアホールが出現し、ビール好きの著者が太鼓判を押す「大同江ビール」は、北朝鮮の改革・開放のシンボルになるか

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