世界第2位の経済大国に成長し、スマホアプリによるキャッシュレス化、さまざまな分野でのAIの活用といった「デジタル技術の社会実装」で、今や世界をリードする存在となった中国。
その一方で、街には大量の監視カメラが設置され、また、スマホを通じて膨大な個人情報が国や大企業に集約される「監視社会化」も急速に進んでいる。
テクノロジーがもたらす利便性の向上と、権力によるデータ支配がもたらす監視社会が同時に進む現代中国。その実像に迫るのが、『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)だ。著者のひとり、ジャーナリストの高口康太氏に話を聞いた。
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――まず、本書のタイトルに戸惑いました。「幸福な監視国家」とは、どういう意味なのでしょう。
高口 共産党の一党支配が続く中国では、経済発展の裏側で言論の自由が認められず、デジタル技術によって監視社会が強化され人権やプライバシーが侵害されている......という感じで、日本では今の中国がディストピア的な視点で語られたり、報じられたりすることが多いと思います。
しかし、実際には多くの中国人が、そうした現状に不満を抱いておらず、それどころか肯定的に見ています。それを本書では「幸福な監視国家」という言葉で表現しています。
――中国では「監視社会化」は受け入れられている?
高口 中国国民にとっては監視社会の負の側面よりも、IT化やデジタル化がもたらす利益のほうが大きかったということだと思います。
僕はもともと中国の近現代史を研究していたのですが、初めて中国に行った1997年はもちろん、留学していた2004年から08年当時と比べても、中国社会が短期間に遂げた急激な変化には驚かされます。
20年前の中国はいろんな意味で「疲れる社会」で、問題が山積みの「超イケてない社会」でした。ところが、特に21世紀に入ってからはデジタル技術の積極的な導入によって、社会的な課題を次々に克服して、以前とは見違えるほどに便利で安全な洗練された社会へと変貌を遂げました。
――それと同時に監視社会化も急速に進んでいると。
高口 例えば、街中に監視カメラが設置され、その数は2020年には4億台に達するともいわれています。また、公的な手続きから日々の買い物まで、徹底したデジタル化によって、膨大な量の個人情報が集約され、それらを基に作られた「信用スコア」が政府や企業によって活用されています。
その一方で、監視カメラ網によって治安が劇的に良くなったり、交通事故や渋滞が減少しました。デジタル化、IT化によって利便性が格段に向上したのです。実利を重視する多くの中国人にとって、便利さと引き換えに個人情報を差し出すという、一種のトレードオフが成立しているといえるでしょう。
――監視されているのは息苦しいとか、国や企業に個人情報が悪用されないか心配だという声はないのでしょうか?
高口 日本に比べると弱いです。もちろん現実にはそういう恐ろしさはあって、例えば僕は中国の言論弾圧について取材した本も書いていますから、当局のチェック対象になっていてもおかしくないと思います。
それでも、中国国民の多くは監視されることを受け入れているし、あるいは慣れてしまっている。政府や大企業が「こうあるべき」と考える価値観や社会の方向性と、自分たちの暮らしや考え方が大きく乖離(かいり)していない限り、監視国家のもたらすマイナス面よりも、メリットのほうが大きいのでしょう。
――政府や権力にとって「いい子」でいる限り、監視されても実害は少ないと。
高口 逆に、政府の価値観と対立する「聞き分けの悪い子」に対しては、監視国家・中国のネガティブな側面が顔を出し、深刻な人権侵害や抑圧の道具として牙をむきます。
その代表的なものが、新疆(しんきょう)ウイグル自治区で起きているウイグル族への弾圧や、チベット族への迫害、あるいは香港で起きている対立です。
特にイスラム教徒が多く暮らす新疆ウイグル自治区で起きている事態は深刻で、「反テロ闘争」の名の下、各地に「再教育キャンプ」と呼ばれる収容所が建設され、一説には100万人を超える人たちが収容されているともいわれています。
そして中国当局はスマホのアプリを使って、ウイグル住民の家族構成、銀行口座、海外渡航歴、交友関係、信仰などの個人情報を収集し、それを身分証とリンクさせ、治安維持の目的に使っているといわれています。さらに、健康診断時に住民のDNAなどの生体情報を収集しているという話もある。
もちろん、そこにあるのは「幸福な監視国家」ではなく、イギリスの作家、ジョージ・オーウェルが『一九八四年』という小説で描いたディストピアに近いわけで、国民の大半が「幸福な監視国家」をテクノロジーが実現したユートピアだと受け止めているなら、残り数パーセントを徹底的に叩いても構わないというのが、今の中国の姿だと言えるかもしれません。
実際、中国本土の人たちの多くはウイグルや香港で起きていることに驚くほど冷淡です。香港の問題についても、中国政府の強硬な対応を支持する声が多いというのが実情です。
――ちなみに、日本では「中国のようなデジタル監視社会になったら怖い」という声もある一方で、「IT化、デジタル化、AIの分野で中国に追いつかないとマズイぞ!」という焦りもあるように感じます。
高口 強調したいのは、「幸福な監視国家」の現実は決して中国固有の問題ではなく、今日本でも進みつつある変化の先にあるものだということです。
先日、学生の個人情報を基に、AIを使って算出した内定辞退率を企業に提供していた「リクナビ」のような問題でも起きない限り、なかなか意識しませんが、日本でもデジタル技術による社会の変化は急速に進んでいますし、その過程で利便性と引き換えに個人情報がどんどん吸い上げられている。
今後もさらなるテクノロジーの進歩や社会への実装が進むなかで、情報の集積がもたらす「監視社会化」と、どのように折り合いをつけるのか? その問いと向き合うためのヒントが、現在の中国にあると思います。
●梶谷 懐(かじたに・かい)
1970年生まれ、大阪府出身。神戸大学大学院経済学研究科教授。神戸大学経済学部卒業後、中国人民大学に留学(財政金融学院)、2001年に神戸大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学)。2014年より現職。著書に『中国経済講義』(中公新書)など
●高口康太(たかぐち・こうた)
1976年生まれ、千葉県出身。ジャーナリスト。中国経済、中国企業、在日中国人社会を中心に『週刊東洋経済』『Wedge』『ニューズウィーク日本版』『NewsPicks』などに寄稿。ニュースサイト『KINBRICKS NOW』を運営。著書に『現代中国経営者列伝』(星海社新書)、編著に『中国S級B級論』(さくら舎)など。写真は高口氏
■『幸福な監視国家・中国』
(NHK出版新書 850円+税)
今や中国は世界一のスマホアプリ大国といわれ、メッセージアプリや配車アプリなどのサービスを使うには携帯電話認証が必要だ。その番号は身分証やパスポートとひもづけられていて、企業はユーザーの個人情報を把握でき、政府にも筒抜けだという。また、地下鉄の駅ではX線による空港並みのセキュリティチェック、街の至る所には監視カメラが設置されるなど、中国の監視社会は急速に進んでいる。しかし中国人の多くがそうした社会を肯定的に受け止めているという。「幸福な監視国家」の実態とは