2019年10月上旬、アフガニスタンのガニ大統領(右)から名誉市民権の授与を受ける中村氏(アフガニスタン大使館HPより) 2019年10月上旬、アフガニスタンのガニ大統領(右)から名誉市民権の授与を受ける中村氏(アフガニスタン大使館HPより)

昨年12月4日、アフガニスタン東部のナンガルハル州ジャララバードで、武装した集団に銃撃され死亡した医師の中村哲(てつ)氏(享年73)。

国際NGO「ペシャワール会」の代表として、アフガニスタンで長年にわたり医療支援や用水路整備などの灌漑(かんがい)事業を続けてきた中村氏の訃報(ふほう)は、日本はもとより、アフガニスタンでも大きく報じられ、現地の人々に大きな衝撃と悲しみをもって迎えられた。

人生をかけて、アフガニスタンのために尽くしてきた中村氏は、なぜ凶弾に倒れることになったのか?

日本政府特別顧問として、アフガニスタンの武装解除を指揮するなど、長年、世界各地の紛争地で平和構築や人道支援に携わってきた、東京外国語大学教授の伊勢﨑賢治氏が事件後初めて語る、中村氏殺害の背景と今回の悲劇から本当に学ぶべきこととは。

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──中村医師が亡くなられてから今日まで、この件に関するメディアの取材依頼をすべて断っていたそうですね。

伊勢﨑 まず、とてもショックでした。中村さんとは現地で一度お目にかかったことしかないのですが、同じ「アフガニスタンのため」に働いた人間として、中村さんと、中村さんがこれまでやってこられたことに対して、畏敬の念を抱いていました。

当然ですが、人道支援に関わる者の"殉職"はあってはなりません。その起きてはいけないことが、なぜ起きたのか? 少し落ち着いて考える必要があると思いました。

さらにショックだったのは、僕の「悪い予感」が最悪の形で現実となってしまったからです。もちろん、大前提としてアフガニスタンの治安が悪化しているのは事実ですが、それだけではない。

実は今回の殺害事件が起きる前から、中村さんへの危険が高まっていると感じていました。その矢先の出来事だったため、どうにもやり切れない気持ちでいっぱいだったのです。

──「悪い予感」とは、何か兆候があったのですか?

伊勢﨑 僕が驚いたのは、事件からさかのぼること約2ヵ月の10月上旬、長年の活動が認められ、中村さんが「アフガニスタン政府から名誉市民権を与えられた」というニュースを見たときでした。

中村さんの事件後、日本のテレビなど大手メディアは「中村さんがいかにアフガニスタンのために貢献していたのか」を伝えようと、アフガニスタンのアシュラフ・ガニ大統領から中村さんが名誉市民権を授与されたときの様子を報じていましたよね。

でも僕は、10月のニュースの時点で「中村さんが危ない、これではテロの標的になりかねない......」と思っていたんです。これは僕のアフガン人の友人も同じ意見でした。

伊勢﨑賢治氏 伊勢﨑賢治氏

■混迷のアフガン大統領選。その複雑な裏事情とは

──アフガニスタンへの貢献を認められ、現職の大統領から表彰されることがなぜリスクにつながるのでしょう?

伊勢﨑 現地の大統領に表彰されたと聞くと、日本の人は単純に「ああ、国中から感謝されているんだ」と思うかもしれませんが、アフガニスタンのような紛争国では、その大統領という権力を誰が握るかで、夥(おびただ)しい血が流れてきたのです。

安倍政権が授ける国民栄誉賞を辞退するセレブへの賛否で、「政治利用」が日本でも話題になりますが、アフガニスタンのそれは生死を分ける問題です。

しかも昨年9月に投票が行なわれたものの、不正投票の問題などで、いまだに結果が明らかにならないまま混乱が続いている大統領選挙の最中なのです。中村さんがガニ政権と一体化しているイメージが国内で報道されれば、敵対する勢力にとって格好のターゲットです。

政治からの「中立性」、少なくともそれを装うことは、NGOにとって保安上の鉄則のはずです。

そのことを誰よりも理解しておられる中村さんが「なぜ?」というのが、僕の最大の驚きであり、同時に「悪い予感」の理由だったのです。

──すると、中村さん襲撃犯はガニ大統領と敵対する勢力ということですか?

伊勢﨑 それはわかりません。ただ、現職のガニ大統領を快く思わないすべての勢力に動機があるということです。

ガニ大統領は、いわゆる軍閥(地方を支配する武装勢力)出身ではなく、アメリカの大学で教鞭(きょうべん)を執ったこともあるインテリで、僕のアフガニスタン時代には財務大臣で、一緒に仕事をした仲です。

ところが、彼が前回の2014年の大統領選挙に立候補する際に「後ろ盾」として副大統領に指名したのが、元軍閥の親玉で、虐殺で悪名高いラシッド・ドスタム将軍でした。ちなみにドスタムは今年の大統領選挙で、ガニから対立候補のアブドラ・アブドラ行政長官の支援に鞍替(くらが)えしています。

一方、ペシャワール会が活動するジャララバード周辺は、僕が武装解除し損ねた悪質な軍閥の親玉、グルブッディーン・ヘクマティヤールがタリバンとつるんで恐怖支配した地域で、2016年にガニ大統領と和解し政界復帰して、今回の大統領選に出馬したのですが、これを恨む勢力も当然あります。

中村さんの殺害事件への関与を否定しているタリバンは、アフガン政府そのものの存在を認めておらず各地でテロを起こしていますし、イスラム国(IS)も勢力を拡大しています。

このようにアフガニスタンが複雑に入り組んだ状況にあるなかで、安易に犯人捜しはできませんが、「ガニ大統領とのツーショット」が注目を集めることは、確実に中村さんの「リスク」を高めることにつながると思ったのです。

■「丸腰が一番安全」。中途半端な武装警護の謎

伊勢﨑 僕が抱いたもうひとつの違和感は、襲撃された中村さんが武装警護をつけていたことです。それも非常に中途半端な、ほとんど実効性のない警護です。

NGOはどこまで武装できるか?

これは大変難しい問題で、世界のNGOの中でも個人差がありますが、国境なき医師団などは、徹底した「丸腰」で、それが醸し出す「中立性」を武装に代わる手段とします。

中村さんも、「丸腰のボランティア」を標榜(ひょうぼう)されていたはずなのに、なぜ今回は武装警護をつけていたのか。

しかも、その警護があまりにもお粗末で、本来は警護対象者の乗る車両を警護車両が前後で挟むのに、中村さんの車両が先頭を走っていて、その車両は防弾仕様でもなければ、中村さん自身は防弾チョッキも着けていなかった。

これでは警護対象者を守れません。結果的に、中村さんだけでなく5人の現地人も巻き添えになってしまった。

現地スタッフの運転するオートバイの後ろに現地衣装でちょこっと座り移動するのが一番安全だと知り尽くしていたのが中村さんのはずです。

僕自身、アフリカのシエラレネオでの国際NGO時代に、経験豊富なインド人の先輩同僚にキツく言われたのは、「活動国が政情不安になったら、外国人スタッフが退避し、事業を現地スタッフだけの遠隔操作モードに切り替えるのは、保身のためではない。

そういうときほど外国人は高価値ターゲット(High-Value Target)になり、現地スタッフと関係住民を巻き添えにする。結果、事業存続も危ぶまれる。決してヒーローになってはいけない(Don't be a Hero)」でした。

しかし、そうしているうちに、シエラレオネは1991年に内戦に突入し、国連をはじめすべての援助団体が撤退するなか、僕は最後まで現地に残り、現地スタッフの部下ふたりを殉職させてしまったというつらい思い出があるだけに複雑な気持ちです。

■同じ悲劇を繰り返さない。それが最大の教訓のはず

──そうした疑問の答えは見えたのでしょうか?

伊勢﨑 残念ながら、まだ明確な答えを見いだせていません。ただ、僕も中村さんと同じ年齢に近づいているので、彼が自分の亡き後の活動継続を見据えて、いろいろと思い悩まれていたことは想像できます。

長年、活動資金を寄付で賄ってきたペシャワール会も、最近はJICA(国際協力機構)の公的資金の援助を受け入れていたと聞きます。

公的資金が入っている以上、日本政府としては、中村さんを「邦人保護」しなければならなくなります。僕の時代もそうでしたが、現場の日本大使館には、そんなことできません。保護はおろか、大使館を一歩出るのにも東京の本省にギャーギャー言われるのですから。

だからアフガニスタン当局に対して、名誉市民にもなったことですし「中村さんに警護をつけるように」と要請しても不思議ではありません。ふたつの政府の事情の板挟みになり、中村さんは従来のスタイルを変えざるをえなかったのかもしれません。

いずれにせよ、中村さんの死を悼(いた)み、その遺志を引き継ぐのは大切ですが、それを「命を賭してアフガニスタンに尽くした日本人」という美談で終わらせるのではなく、なぜ殉職を防げなかったのかをしっかりと考える必要がある。後に続く人たちのために。

そうじゃないと、人道援助がまるで「特攻隊」のようなものになってしまいます。

悼みつつも、中村さんの殉職を教訓にしなければならないのです。

──中村さんの事件後の日本社会の反応に関しても、違和感があるそうですが。

伊勢﨑 中村さんの業績をたたえ、その死を惜しむ報道が多いのは当然だと思いますが、問題は「その先」です。感情論ばかりに終始して、先ほどの「人道援助の殉職を繰り返さないために何をすべきか」という大切な議論が一向に深まらない点がひとつです。

それに加えて気になるのは、「右」も「左」も中村さんの死を憲法9条に絡めて、自分たちに都合のいい文脈で利用しようとしている点です。

──利用するとは?

伊勢﨑 生前の中村さんは、憲法9条の下で戦後一度も銃を撃たなかった日本の国際的なイメージが、われわれの活動を支えてきたと話されていました。

僕自身、かつてはこうした日本に対する「美しい誤解」に守られて紛争国で働いていた経験がありますから、その意味はよく理解できます。

しかし、その「誤解」ですら、小泉政権時に日本がイラクに自衛隊を派遣し、「アメリカと共にイスラムの土地を汚す者」となった時点で消失し、その後、インド洋に補給艦を送り、旧民主党政権になってもアフリカのジブチに自衛隊の海外基地を造る過程で、今や完全に効力を失っています。

──つまり、中村さんの事件は、彼を守ってきた「憲法9条の美しい誤解」が失われたなかで起きたことだと。

伊勢﨑 いわゆる護憲派の「左」の人たちは、今も「美しい誤解」が通用すると考えていて、「今こそ中村さんの遺志を継ぎ、憲法9条の理想を」と訴えます。しかし、9条下でも、そして護憲派が権力の中にいた旧民主党政権下でも、イスラムの地を汚すことを止められなかったという現実から、もう逃げてはなりません。

一方、中村さんの事件を口実に「人道援助に当たる邦人の保護に自衛隊の活用を」と訴える「右」の人や、閣議決定だけでホルムズ海峡に自衛隊を派遣するのは論外です。

僕は今から12年前の2007年、対テロ国際協力とイラク人道支援に関する参考人として国会に呼ばれ、自衛隊の海外派遣によって「憲法9条の美しい誤解」が失われること、その最大の被害者が「海外で人道支援に携わる日本人」であることを証言しました。

ペシャワール会の現地スタッフだった伊藤和也さんが、アフガニスタンのジャハラバード近郊で拉致、殺害されたのは、その翌年の2008年のことでした。あれから11年、伊藤さんの、そして中村さんの死を無駄にしないためにも、われわれは今度こそ、この教訓を未来に生かす義務があるはずです。

●伊勢﨑賢治(いせざき・けんじ)
東京外国語大学大学院教授。インド国立ボンベイ大学大学院に留学中、現地スラム街の住民運動に関わる。国連職員としてシエラレオネでの武装解除、日本政府特別顧問としてアフガニスタンでの武装解除を担当した