年末年始に世界を驚かせた、日本に関わる最大のニュースといえば、日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告の「逃亡劇」だろう。1月8日、逃亡先のレバノンで行なった記者会見でゴーン被告が「自分は日本の非人道的な司法制度の被害者だ」と訴えたことで、日本の刑事司法のあり方が世界から注目を集めている。
長年、日本で活動する海外メディアの特派員は、この問題をどう見ているのか? 前編のフランス紙『ル・モンド』特派員に続き、今回はイギリス紙『ガーディアン』のジャスティン・マッカリー氏に聞く――。
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──マッカリーさんはゴーン被告の記者会見をどう見ましたか?
マッカリー 長かったですよね。まるで独演会のような会見で、逮捕以来、ゴーンが抱いてきた怒りやフラストレーションを一気に解放したんだな、と感じました。2点、非常にガッカリしたことがあります。ひとつは、ゴーンが日本からどのように脱出したのか、その詳細を具体的に何も語らなかったこと。おそらく、脱出に関わった人たちを巻き込みたくなかったのだと思います。
もっと残念だったのは、彼が「自分を陰謀に陥れた」と示唆していた日本政府高官の名前を明らかにしなかった点です。これも、この問題を日本とレバノンの外交問題に発展させたくないという意図があっての判断なのでしょうが、「陰謀」の具体的な証拠を示さない限り、本当に陰謀が存在したのかは永遠にわからない。
──イギリスのメディアや社会はゴーン被告の会見をどのように受け止めたのでしょう?
マッカリー イギリスのすべてのメディアをチェックしたわけではないので、あくまでも個人的な感覚ですが、あの会見を受けてイギリスでも「日本の刑事司法のあり方」に大きな注目が集まっていることは間違いないと思います。その意味ではゴーンに対して同情的な声もありますし、そうでない声もある。
日本の刑事司法の問題は、私も何年も前から感じていることです。今回のように企業トップの「経済犯」の容疑者が長期間拘留され、検察による取り調べに弁護士の同席も許されない日本の刑事司法の現状は、民主的な政治体制を持つ他の先進国と比べ、人権上、多くの問題点を抱えているのは事実だと思います。
その点では、ゴーンが日本の刑事司法制度における自分の「被疑者」としての扱いに強い怒りとフラストレーションを感じたことは理解できる。海外の世論やメディアの中には、「自分は日本の刑事司法の被害者だ」というゴーンの主張を支持し、事件そのものについても彼は無罪だと捉えている人たちもいます。しかし、会見でゴーンが述べたのはすべて「彼の立場からの言い分」でしかなく、無実の証明にはならない。日本の刑事司法の問題点と、一連のゴーン事件そのものは切り離して考えるべきです。
また、ゴーンは会見で、彼にかけられた主な嫌疑のひとつである「報酬を巡る問題」について反論を述べていましたが、「日産の資金の一部を自分の息子の投資会社に還流させていた」という疑惑などについては多くを語りませんでした。それらの疑惑はすべて日産や日本政府による陰謀で、逮捕は不当だというのであれば、それが真実か否かは、やはり法廷の場で明らかにされるべきだったと思います。
──国際世論からの批判が高まりつつあるという日本の刑事司法のあり方は、今回の事件で変わるのでしょうか?
マッカリー それはわかりませんが、ゴーン事件のずっと前から国際的な批判があったにもかかわらず、日本政府は積極的に対応してきませんでした。特に死刑制度の問題に関しては、今や「死刑廃止」は世界的な流れであり、いわゆる「大国」で未だに死刑制度を維持しているのは日本、アメリカ、中国、インドといった、ごく一部に限られます。しかし、日本の世論調査などを見ると、死刑制度の維持に賛成する意見が支配的です。
今回の逃亡劇で、海外に逃亡した容疑者の「相互引き渡し」に関する条約を日本と締結している国が極めて少ないことが話題になりました。おそらく、その大きな理由のひとつは日本が死刑制度を維持しているからでしょう。例えば、EUは加盟国の条件として「死刑制度の廃止」を定めており、死刑制度の存在する日本に容疑者を引き渡すことは、この原則と相いれないわけです。逆に、被疑者が死刑判決を受ける可能性がないのであれば、他の国々は日本への容疑者の引き渡しに応じるべきだという意見もあります。
ちなみに私は昨年、法務省が主催した海外報道陣向けのメディアツアーに参加して、ゴーンが拘留されていた東京・小菅の拘置所を見学しました。法務省としてはゴーンの批判に反論するため、日本の刑務所がいかに清潔で、食事もちゃんとしていて、一日30分は運動場で外の空気に触れることもできる、イギリスやアメリカのように刑務所内での暴力に晒される危険もない......ということをアピールしたかったのだと思います。実際、小菅の刑務所は牢屋としては「悪くない」という印象でした。
しかし、問題はそこではない。日本の司法も、「推定無罪」の原則(※「何人(なんびと)も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という、近代法の基本原則)を共有しているはずです。国際世論はこれに基づき、被疑者が長期間にわたり拘留され、弁護士の立ち合いもなく検察の取り調べを受け、拘置所で孤独な状況に耐え続けなければならないという、日本の刑事司法のあり方を批判しているわけです。
「推定無罪の原則」に基づけば、被告人には「自らの無罪を証明する義務」はない。にもかかわらず、法務省の記者会見で、弁護士の資格も持つ森まさこ法務大臣はゴーンの会見について「彼は自分が無実だというなら、日本の法廷で証明すべきだ」と、誤った発言をしてしまった。これは決して単なる「言い間違え」ではなく、ある意味、そうした日本の刑事司法に関する意識や問題点を象徴するような出来事だったと思います。
──では、ゴーン被告が保釈された身でありながら、「入出国管理」という主権国家の基本的な要素を犯して、不正に海外に逃亡したことについてはどう思いますか?
マッカリー ゴーンはこのまま日本で裁判を受ければ、それが何年続くかわからない、自分の年齢を考えれば、最悪の場合、日本の獄中で死ぬこともあり得ると考えて、今回の逃亡劇に及んだのかもしれません。彼にはそれを可能にするお金やコネクションがあったのでしょう。ただ、裁判から逃げたことによって、今後、彼がどのような主張を展開しても、一連の疑惑やその背景が法廷で明らかになる可能性はほとんどなく、真相は永遠に闇の中です。そうやって、永遠に「疑惑」と共に生きていくことが、ビジネスの世界であれほどの成功を収めた彼にとって本当に良いことなのか? おそらく、この先、彼自身もその問いと向き合い続けることになるのではないでしょうか。
●ジャスティン・マッカリー
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院で修士号を取得し、1992年に来日。英紙『ガーディアン』『オブザーバー』の日本・韓国特派員を務めるほか、テレビやラジオ番組でも活躍