日本人で唯一「国際独立選挙監視団」のメンバーとして、世界が注目した香港の区議会選挙ウォッチした伊勢﨑賢治氏

昨年2月に提出された「逃亡犯条例改正案」をきっかけに、市民・学生による「民主化要求デモ」が続く香港。昨年夏以降は暴力的な衝突がエスカレートし、民主派の市民と香港政府の対立は深刻化している。

そんななか、11月25日に行なわれた香港の区議会選挙に、日本人として唯一「国際独立選挙監視団」のメンバーとして参加したのが、アフガニスタンなど世界各地の紛争地域での平和構築活動に携わってきた経験を持つ、東京外国語大学の伊勢﨑賢治教授だ。

混乱が続く香港で今、何が起きているのか? そして香港の未来はどこに向かうのか? 伊勢﨑氏を直撃した。

■外国から来た監視団が見ているぞとアピール

──伊勢﨑さんが選挙監視団に加わることになった経緯から教えてください。

伊勢﨑 突然、それも選挙の数日前に現地からオファーがあったんです。「重要な意味を持つ今回の区議選を公正に行なうために、国際的な独立選挙監視団を組織するので参加してほしい」と。

ちなみに「国際独立選挙監視団」といっても、国連のミッションではなく、香港の学生を中心とした若者がクラウドファンディングで立ち上げた民間の選挙監視活動なのですが、イギリス、アメリカ、カナダなど10ヵ国から招聘(しょうへい)された19人のメンバーは、各国の国会議員や政党、NGOのリーダーなど、いずれも人権活動や選挙監視の経験を持つそうそうたる顔ぶれです。

これほど本格的な活動をほぼ学生だけで組織し、完璧に運営してしまうなんて日本ではちょっと想像できないし、現地スタッフの英語も完璧で、日本語ペラペラの学生も多く、香港の若い人たちは本当にすごいなと思いましたね。

「国際独立選挙監視団」は伊勢﨑氏を含む19人のメンバーで構成。各国の国会議員や政党、NGOのリーダーなどそうそうたる顔ぶれ

──選挙監視活動とは具体的に何をするのですか?

伊勢﨑 選挙が公正に行なわれているか、組織的な不正行為が行なわれていないかを監視し、第三者の立場で報告をまとめるのが主な仕事です。

とはいえ、われわれが投票所の中に入ることはできませんし、投票所は全部で600ヵ所ありますから19人で回り切れるはずもありません。

それでも現地スタッフの学生とチームを組み、それぞれ3から5ヵ所ぐらいの投票所を外からウオッチしたり、投票を終えた有権者に話を聞いたりしながら「外国から来た選挙監視団が見ているぞ」という存在感をアピールすることで、組織的な選挙不正に対する一定の抑止効果はあったのではないかと思います。

僕は3ヵ所の投票所を回って、2014年に行なわれた反政府デモ「雨傘革命」のリーダーだった民主活動家の黄之鋒(こうしほう)君が応援している選挙区では彼と話ができました。

伊勢﨑氏は2014年に行なわれた反政府デモ「雨傘革命」のリーダーだった、民主活動家の黄之鋒(英語名:ジョシュア・ウォン)氏(右)と一緒に香港島の3ヵ所を回った(撮影/堀 潤)

──結果は、民主派が8割を超える議席を獲得する圧勝でしたが、今回の選挙は比較的、公正に行なわれたと考えていいのでしょうか?

伊勢﨑 そうとも言い切れません。一部の投票所では武装警官が公然と投票所内に入り込んでいたし、投票所の行列のさばき方にも一定のルールがない。不正な二重投票を防ぐ仕組みが十分ではないなど香港の選挙制度自体の不備も目立ちます。投票を終えた人に、誰かがお米の入った袋を配っていたのも目にしましたしね(笑)。

それにもかかわらず、今回の選挙で民主派を支持する香港市民の民意が示せたのは、香港返還以来の選挙では最高の71%という高い投票率があったからだと思います。

──ただ、抗議デモは選挙後も続いており、林鄭月娥(りんていげつが)行政長官率いる香港政府も、市民の要求に応じる気配は見せていません。香港では今、何が起きているのでしょうか。

伊勢﨑 端的に言えば、「一国二制度」という建前を超えて香港への影響力を強める中国政府とそれに忖度(そんたく)し続ける香港政府に対して、「香港の民主主義を守れ!」という想像を絶する規模の市民運動が起きているのだと思います。

6月のデモに参加した人数は主催者発表で200万人ですから、香港の全人口700万人の実に4分の1を超える人たちが、街に出て政府に民主化を要求している。これはもう「内戦」が起きても不思議じゃないスケールです。

僕はインドのムンバイでスラム街の住民たちの抗議活動を率いた経験があるので「住民を組織化する大変さ」が肌感覚でわかるのですが、これほど大規模なデモを人為的に組織して持続力を維持するのは不可能だと断言できます。もちろん「背後からCIAが操っている」なんていうのも絶対にありえません。

今起きている香港の民主化運動には明確なリーダーや組織は存在せず、学生や若者たちが特定の思想にハマっているわけでもない。彼らはSNSでつながり、「香港の民主主義と自由」を守るという、その一点だけで巨大な運動のうねりをつくり出しています。

「逃亡犯条例改正案」をきっかけに、市民・学生による「民主化要求デモ」が半年以上にわたって続く香港(撮影/堀 潤)人口の4分の1以上がデモに参加する異常事態だ(撮影/堀 潤)

■警察を軍事化して市民を暴力で抑え込む

──一方で警察と激しく衝突するなど、暴力的な抵抗を見せる一部の学生たちには批判的な声もあるようですが。

伊勢﨑 そうした批判をする人たちは、今の香港で起きている、もうひとつの重大な問題を見逃している。それは「警察の軍事化」です。

香港の憲法に当たる基本法には「非常事態条項」があるのですが、香港政府はまだ非常事態を宣言していません。つまり、今の香港は法律上、「平時」なんですね。

ところが、香港の警察は法律で定められたガイドラインを著しく超えた暴力で、民主化デモを違法に取り締まっている。デモ参加者への実弾発砲は問題外ですが、特に悪質さが目立つのがルールを逸脱した「ノンリーサルウェポン」と呼ばれる非致死性武器の使用です。

催涙弾や催涙スプレー、ビーンバッグ弾というプラスチック製の散弾を使用するショットガンなどでデモ隊に先制攻撃を加えたり、頭部を狙ったりといった、違法かつ危険な使用法で市民の側には多くの負傷者が出続けています。

「ノンリーサルウェポン」と呼ばれる非致死性武器を、ルールを逸脱してデモ隊に使用するなど、香港警察の軍事化は明らか(撮影/堀 潤)

──つまり平時にもかかわらず軍事化した警察が、ルールを無視して「半殺しの武器」を市民に対し使っていると。

伊勢﨑 そのとおりです。表向き一国二制度の建前があるので、中国は安易に人民解放軍を香港に投入するわけにはいかない。そこで現地の警察を軍事化して、市民を暴力で抑え込む。これは今、インド政府がカシミールで行なっているのと同じ手口で(インド政府は昨年8月に自治権を撤廃したカシミールを政府の直轄地にした)、非常に悪質な人権侵害です。

普通、そうした当局の暴力で自分がボコボコにされたり、仲間を傷つけられたりした人たちが、怒りや復讐(ふくしゅう)心から「制御不能な暴力」に走るケースが多いのですが、香港の学生たちは違います。

香港理工大学に立てこもった学生と武装警察の間で、あれほど激しい衝突が起きたにもかかわらず、ひとたび区議会選挙となれば、彼らは抵抗を鎮静化して「公正な選挙の実現」のために最善を尽くした。

われわれのような選挙監視団を招聘したのもその一部ですし、何より驚いたのはデモで民主派の抗議の意思を示すシンボル、「黒い服」を着た若者を投票所ではほとんど見かけなかったことです。

彼らは自分たちと意見が異なる「親中派」の市民に対しても、投票時によけいな圧力を与えないよう、自主的に服装まで配慮している。僕はそんな人たちを、決して「暴徒」とは呼びません。

学生を拘束しようとする香港警察を、たまたま通りかかった伊勢﨑氏が撮影。選挙監視団のメンバーたちとその様子を見つめていたら拘束を解いたという

■中国とどう付き合う? 香港は小さな「実験室」

──アメリカは「香港人権法」を成立させるなど、この問題で中国政府を牽制(けんせい)していますが、香港の未来はこの先どこへ向かうのでしょう?

伊勢﨑 その答えはおそらく誰にもわかりません。ただし、それを決めるのは香港市民であるべきだと思います。

その上でわれわれが理解する必要があるのは「今、香港で起きていること」は、「この先中国という国と自由主義世界がどう付き合うのか?」という問いに対する一種の答えになりうる、つまり「実験室」でもあるという点です。

将来の「台湾統合」も視野に入れる習近平政権は今、香港の一国二制度という特殊な条件のなかで、「自分たちのやり方をどこまで押しつけられるのか」を試している。

当然、今回の大規模デモや区議選での親中派惨敗という失敗から、彼らも学習したはずで、それは香港だけでなく、ほかの国々との付き合い方にも影響を与えるでしょう。

「中国という大国」が存在し続ける以上、日本を含めた世界はいや応なしに中国と付き合い続ける必要がある。そう考えると「今、香港で起きていること」というのは、われわれにとっても、決してひとごとではないのです。

●伊勢﨑賢治(いせざき・けんじ)
1957年生まれ。東京外国語大学大学院教授。インド国立ボンベイ大学大学院に留学中、現地スラム街の住民運動に関わる。国連職員として、シエラレオネなどで武装解除を指揮