紆余曲折の末、2021年7月への延期が決まった東京オリンピック・パラリンピック。だが、新型コロナウイルスの感染が広がるなかで、「予定どおりの開催」に固執し続けた日本政府や大会組織委員会、ⅠOC(国際オリンピック委員会)に違和感を抱いた人も多いのではないだろうか。
「平和の祭典」「スポーツの祭典」という表の顔の裏側で、「巨大なスポーツビジネス」という別の顔を拡大してきた現代のオリンピック。その実像に迫るのが、ジャーナリスト、後藤逸郎(ごとう・いつろう)氏の著書『オリンピック・マネー 誰も知らない東京五輪の裏側』だ。
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――IOCの知られざる実態から東京五輪招致につながる政治的背景まで、丹念な取材が印象的です。「オリンピックと金」に興味を持たれた理由は?
後藤 新国立競技場の建設に伴い、住民が立ち退きを余儀なくされた都営霞ヶ丘アパートの取り壊し現場を2016年に取材したのがきっかけです。
東京都は「8万人収容の巨大スタジアム建設」という国策を理由にアパートの取り壊しを決め、約300世帯いた住民の移転を求めたのですが、移転を拒む数世帯を残したまま都側は取り壊しに着手し、地上げ屋まがいのイヤがらせを行なっていたことを知って驚きました。
その後、取材を続けるなかで、東京五輪という「錦の御旗」が一部の政治家や行政によって神宮外苑の再開発をめぐる「道具」になっているとわかり、オリンピックやⅠOCへの興味につながったのです。
――世界最大級のNGO(非政府組織)であり、NPO(非営利団体)のIOCが抱える傘下の複雑な組織にも驚きました。
後藤 スイスのローザンヌに本部を置くⅠOCは非営利団体ですから「オリンピックの開催という設立目的に使う」という条件に限り、収益を上げることが許されており、委員もかつては無報酬でした。
現在は、バッハ会長の報酬が年間22万5000ユーロ(約2900万円/2015年公表)となっていますが、組織の規模を考えれば必ずしも高額ではありません。
ただし、表向きは無報酬だったサマランチ元会長やロゲ前会長の時代から、高級ホテルのスイートルームが住居として与えられるなど、ⅠOC役員にはさまざまな特権が与えられてきました。
――いわゆる「五輪貴族」といわれるヤツですね。
後藤 また、ⅠOCの傘下には「オリンピック財団」など、数多くの関連NPOや民間の関連企業が存在し、バッハ会長以下、ⅠOCの役員たちが役職を兼務している実態が取材を通じて見えてきました。
例えば、東京五輪招致に関する贈賄の疑いでフランス司法当局の捜査対象となり、昨年6月にJOC(日本オリンピック委員会)会長やⅠOC委員を引責辞任した竹田恆和(つねかず)氏は、今年3月までオリンピックの放映権料やスポンサー契約などを扱うⅠOC関連企業のひとつ、「ⅠOCテレビジョン・アンド・マーケティング・サービス」の社長を務めていたのです。
こうしたⅠOCの複雑な組織の仕組みがオリンピックをめぐる不透明な金の流れの背景にあり、それが「世界最大級の非営利組織」と「世界最大級のスポーツ興行主」というⅠOCの二面性を支えているのだと思います。
――オリンピックはいつから「巨大な利権ビジネス」へと変質したのでしょう?
後藤 大きな転機はオリンピックの商業価値を大きく高めた1984年のロサンゼルス五輪でしょう。ただしこのときの主役はⅠOCではなく、ロサンゼルスの大会組織委員会で、テレビ放映権料の引き上げや一業種一社に限定したスポンサーマーケティング手法などで、巨額の利益を生み出しました。
ⅠOCはその後、このビジネスモデルを自分たちで独占し、オリンピックの規模を拡大しながら、テレビ放映権料とスポンサー料を中心に収入を膨らませてきた。最新データ(2013~16年)によると、総収入は4年間で57億ドル(約6156億円)にも上ります。
世界的な新型コロナ流行のなかでも、東京五輪の延期や中止についてⅠOCの反応が鈍かったり、その過程で「アメリカのテレビ局の意向」が重視されたりするのも、ⅠOCが自らつくり上げてきた「巨大なビジネス」に縛られ、身動きができなくなっているからだと思います。
――東京五輪の延期による追加費用負担をめぐって、「日本政府が全額負担を約束した」というIOC側の発表を安倍首相が否定しました。
後藤 真相はわかりませんが仮に「中止」にしても、ⅠOCは保険でかなりの費用を回収できると言われています。そのため中止ではなく延期という今回の判断は、あくまでも「日本政府の要望」に応じたものだというのがⅠOC側の認識なのではないでしょうか。
ⅠOC側が数千億円に上る追加負担に「安倍首相が合意した」との見解を示したのは公式サイト上の質問コーナーでした。正式な声明ではなく、日本政府の抗議の後はその部分だけを削除しています。おそらく両者の間に追加負担をめぐる明確な合意はなく、優位な立場のⅠOCがさりげなく既成事実化を図ったのかもしれません。
――一方で「平和の祭典」という側面を持つオリンピックには、一種の「同調圧力」がある気もします。東京五輪に批判的な本を書くことに難しさはなかったですか?
後藤 そうですね、実はこの本も当初は他社で出版する話があったのですが、社内事情で実現しませんでした。
しかし、オリンピックという「錦の御旗」によって社会が思考停止に陥り、強烈な「同調圧力」の下で必要な議論や検証を経ずに物事が進んでいくのは問題です。それは今回の新型コロナ流行と東京五輪をめぐる議論に関しても明らかでしょう。
例えば、緊急事態宣言が発令される前、3月20日から22日の3連休のときに人々の気持ちが緩んだことが、感染拡大を招いたという言説がありますが、当時、日本で一番緩んでいたのは東京五輪組織委員会だったのではないでしょうか。
あの状況下で、福島からスタートさせる聖火リレーを強行しようとし、最後は「車に聖火のランタンを載せて走れば」とまで言いだした。中止になったものの、それが異常なことだと感じないのは恐ろしいことだと思いますね。
●後藤逸郎(ごとう・いつろう)
ジャーナリスト。現職は専門誌記者。1965年生まれ、富山県出身。金沢大学法学部卒業後、1990年、毎日新聞社入社。姫路支局、和歌山支局、大阪本社経済部、東京本社経済部、大阪本社経済部次長、週刊エコノミスト編集次長、特別報道グループ編集委員などを経て、地方部エリア編集委員を最後に退職
■『オリンピック・マネー 誰も知らない東京五輪の裏側』
(文春新書 800円+税)
新型コロナウイルスの流行で、延期が決まった東京オリンピック・パラリンピック。しかし、そこに至る過程でⅠOC(国際オリンピック委員会)は、選手や観客の健康といった課題に道筋をつけないまま、予定どおりの開催に固執。このような姿勢を続けた背景に何があるのか。知られざるⅠOCの複雑な組織体系と不透明なカネの流れに着目し、「平和の祭典」の担い手の裏側に迫る