「私がこの本を書いたのは日本の対策を批判するためではありません。台湾の成功例を、コロナとの戦いのためのヒントにしてほしいと考えたからです」と語る野嶋剛氏 「私がこの本を書いたのは日本の対策を批判するためではありません。台湾の成功例を、コロナとの戦いのためのヒントにしてほしいと考えたからです」と語る野嶋剛氏

アメリカでの感染者が450万人を突破するなど、今も世界各国で猛威を振るう新型コロナウイルス。日本でも全国の新規感染者が1日で1500人を超えるなど、第2波の脅威に直面しつつあるが、この新型コロナ対策に最も成功した国といわれているのが、お隣の台湾だ。人口約2350万人の台湾のこれまでの感染者数は475人、死者はわずか7人(8月3日時点。米ジョンズ・ホプキンス大学)となっている。

「台湾の奇跡」とも呼ばれる感染症対策はどのようにして実現したのか? その秘密を解き明かすのが、元朝日新聞台北支局長でジャーナリスト、大東文化大学特任教授の野嶋剛(のじま・つよし)氏の新刊『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)だ。

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――新型コロナウイルスの封じ込めに見事に成功し、日本が緊急事態宣言の最中にあった4月14日には「感染者ゼロ」を実現した台湾ですが、成功の秘密はどんなところにあるのでしょう?

野嶋 そもそも2003年に流行し、台湾でも大きな被害を出したSARS(重症急性呼吸器症候群)の経験から学んだことが大きいと思います。

SARSの流行で感染症対策の大切さを痛感した台湾政府は、その後、感染症の流行時に緊急対応を行なう「中央流行疫情センター」を設立。同時に、アメリカの感染症対策の研究所CDC(疾病予防管理センター)にも研修のために人を送るなど、感染症対策の知識を持つ人材の育成に取り組んできました。

今回、中国・武漢での異変をいち早く察知して政府に報告した台湾疫病管制署副署長(当時)の羅一鈞(ら・いつきん)氏もそのひとりで、彼のように普段から世界中の感染症情報をウオッチする「感染症探偵」と呼ばれる専門的な役職を設置するなど、17年前のSARSの失敗から、地道に感染症対策に取り組んできた努力が実を結んだといえるでしょう。

――なるほど、昨日や今日の努力、準備ではないのですね。

野嶋 その上で、大きかったのは水際でウイルスの流入を防いだ「世界最速の初動対応」です。前述の羅一鈞氏が「武漢で原因不明の肺炎が広がっている」という情報をつかんだのが、昨年12月31日の午前3時頃のこと。

この情報を受け、台湾政府は直ちに閣僚会議を招集。その日のうちに武漢からのフライトに対する検疫を強化し、WHOに通報、夕方には国民に注意を呼びかけるアナウンスをしています。これだけのことを台湾は24時間足らずでやってしまった。

感染症対策では「初動の差」が大きな違いを生むといわれています。今回のコロナ対応はその好例で台湾政府は年が明けた後も、矢継ぎ早に対策を講じると同時に、国内での感染拡大に備えて医療体制の整備やマスクの自主生産を進めるなど、常に先手先手で対応しました。

――台湾政府の副総統、陳建仁(ちん・けんじん)氏が公衆衛生の専門家だったり、マスク不足による混乱を避けるためのシステムをいち早く導入し、日本でも「台湾の天才IT大臣」などと報じられた唐鳳(とうほう)氏だったり、有能で個性的な閣僚や官僚の活躍も印象的です。

野嶋 台湾の国政選挙の投票率は75%前後もあり、台湾の人たちの主権者意識や政治への関心は非常に高い。そのため政府は常に野党やメディア、世論の厳しい視線に晒(さら)されています。

優秀な閣僚や官僚が多いのも、こうした台湾政治の「緊張感」のなせる業で、政府は常に結果を求められ、失敗すれば次の選挙で交代させられてしまいますから、閣僚人事でも本当の意味での適材適所で、優秀な人材を選ぶ必要がある。

陳建仁副総統(5月に退任)は17年前のSARS流行の際、政府の陣頭指揮を執った人物でもあり、日本で「トランスジェンダーの天才プログラマー」と話題になったIT担当大臣の唐鳳氏は民間出身で、この4年間、政府のIT化を推進したことで国民からも信頼を得ていました。

ほかにも、新型コロナ対策の最前線で指揮官役を務め、連日行なわれた記者会見で対応した、「鉄人部長」こと陳時中(ちん・じちゅう)衛生福利部長など、内閣の人材が豊富な上、彼らが主体的に能力を発揮できる環境が整っているのも大きかったと思います。

――政府の情報発信のやり方が、日本とは大きく違うようですね。日本は経済再生相や厚労相、地方自治体の長に専門家会議(現在は廃止)など、それぞれから情報がもたらされ、少なからず混乱を招きました。

野嶋 台湾の場合は、中央流行疫情センターの記者会見に一本化されていて、毎日午後2時から、先の陳時中氏がその日の状況を詳細に説明し、記者からの質問が途切れるまで何時間も対応していました。

政府に厳しい内容も含めて、記者ひとりひとりの質問に誠実かつ丁寧に対応しSNSなどを通じて積極的に情報を公開したことで、陳時中氏や台湾政府の姿勢は国民から信頼を得ました。この信頼感こそが、台湾のコロナ対策が成功した重要なカギだったと思います。

――台湾の実情を知ると、日本の新型コロナ対策の「マズさ」が浮き彫りになる気がします。

野嶋 そうかもしれません。ただ、私がこの本を書いたのは台湾と比較して日本の対策を批判するためではありません。台湾という成功例を、今後のコロナとの戦いのためのヒントにしてほしいと考えたからです。

最近、新型コロナ対応について「日本は比較的よくやった」という話をよく聞きます。しかし、それは最悪の状態に陥ったアメリカや欧州の一部の国と比較しての話です。

しかし、その視線をアジアに転じれば、台湾を筆頭に、香港、ベトナム、韓国など、素早い措置を講じて、感染拡大を抑えた国がたくさんある。なぜ、そちらと比較しないのでしょうか?

中国とアメリカ、ふたつの超大国の間に立たされた台湾という小さな国が、中国のように強権的な方法ではなく、民主的な方法で「ソフトパワー」を生かしながら新型コロナに打ち勝ち、感染症対策の歴史に残るような成果を出した。

一番の成功例が隣国にあるのです。日本は「台湾には天才IT技術者のデジタル対策大臣がいる」といった部分で関心が深まったのを生かして、さらに全体として、日本の対策は台湾と比べてどうなのか? そこから学ぶべきことはなんなのか? 新型コロナの第2波、第3波に備えて、謙虚な気持ちで考えてみる必要があると思います。

●野嶋 剛(のじま・つよし)
ジャーナリスト、大東文化大学社会学部特任教授。元朝日新聞台北支局長。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。政治部、台北支局長、国際編集部次長、AERA編集部などを経て2016年4月に独立し、中国、台湾、香港、東南アジアの問題を中心に、活発な執筆活動を行なっている。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『銀輪の巨人 ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)などがある

■『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』
(扶桑社新書 880円+税)
新型コロナウイルスの封じ込めに成功した国・地域のひとつとして挙げられる台湾。日本が新型コロナ対策に本格的に動きだした3月から4月には、台湾はいち早く出口モードに入っていた。台湾政府は1月から2月にかけて、社会として「やるべきこと」をやり終えていたからだ。台湾の驚異的なスピード解決のウラに何があるのか? 横軸として対策の全体像と、縦軸としての歴史的・社会的背景から「奇跡の台湾モデル」の全貌に迫る!

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