ベストセラー作家の百田尚樹氏は、過激な発言を繰り返す右派論客の筆頭と目されている。左派・リベラル派にとっては、頭ごなしに否定するか、見て見ぬふりをする相手でしかない。しかしそれでは日本社会の分断が深まるだけではないか――。
『ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』の著者・石戸諭(いしど・さとる)氏は「明らかにリベラル派・左派」でありながら、あえて百田氏本人やファン、編集者、先達に当たる言論人たちを直接取材し、「百田尚樹現象」を分析する手法を採った。
百田尚樹とは何者なのか。そして彼の盟友・安倍晋三が長期政権を終えた今、現象はどう移ろってゆくのか。(この記事は、9月14日発売の『週刊プレイボーイ39・40合併号』に掲載されたものです)
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――百田尚樹氏本人へのインタビューを計5時間以上もなされたとのことですが、取材を経てどんな印象を持たれましたか?
石戸 最大のポイントは自覚のなさです。百田さんはどこからどう見ても強烈な右派論客でもあるわけですが、本人は「そんなことはない、一作家にすぎない」と言う。政治的な影響力についても、考えていないというわけです。
それはポーズではなく、本当に無自覚なんです。影響力がないと思っている人に「自覚してください」と求めるのは非常に難しい。責任を感じていないのだから。ここが百田現象の特徴であり、新しさです。
――本人の自覚はどうあれ、実際には人気と影響力があるからこそ、右派論壇誌に誘われ、第2次安倍政権の応援団長的な存在になりました。本書を読むと右派論客・百田尚樹の誕生と第2次安倍政権発足が密接に関わっていたことがわかります。
石戸 はい、ほとんど重なっていますね。百田さんが2012年の夏に初めて『WiLL』誌に寄稿したときはまだ民主党政権でした。右派論壇のプロデューサー的存在だった当時の編集長、花田紀凱(かずよし)さんからすれば、一番勢いのある作家を呼び込んで安倍再登板の機運を高めたかったのでしょう。
直後、まだ一野党議員だった安倍さんと百田さんの対談が同誌で実現しています。その経緯は本書で取材していますが、さらに百田さんは「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志による緊急声明」の発起人に名を連ねます。安倍さんにしてみれば強力な援軍です。
当初、安倍さんは総裁選の有力な候補ではありませんでした。支持者の顔ぶれも代わり映えがしない。そんななかで、あるときから百田尚樹が名を連ねるようになった。社会的インパクトは大きかったと思いますよ。僕もびっくりした記憶があります。
――本書には「愛国ポピュリズムの現在地」を端的に表す図式が提示されています。「安倍政権を応援する=日本を応援する=愛国」なのだと。逆に、批判するなら「反日」と見なされます。政権支持を愛国と直結させる短絡的な価値判断ですね。その根幹にある安倍政権が終わり、「愛国」の形は今後多様になってゆくのでしょうか?
石戸 どうでしょうね。結果としてより強い排外主義が「愛国」の受け皿になることも懸念されます。次期総理候補の菅(義偉)官房長官には、イデオロギー的なものは何もないと思うんですよね。安倍さんと右派論壇は軽くとはいえ、国家観を共有していました。
ナショナリスト的な顔を持ち、憲法改正をしきりに訴えて期待を集めましたが、菅さんにはできないでしょう。右派の人々がチェックするのは菅さんが中国、韓国にどう臨むかしかなくなる。
中韓への感情的な反発は、実は多くの「普通の人たち」も抱いています。ネトウヨをちょっと薄めたくらいがこの社会で優勢な価値観になっており、百田尚樹現象はそれに支えられてきました。コロナ禍の初期に百田さんが珍しく安倍政権を批判した、と話題になりましたが、要は「中国にもっと強気に出ろ」と、それだけのことなんです。
ですから新総理が中国や韓国に対して少しでも弱気な態度を見せた瞬間に、右派やそれに共鳴する人々は「これは応援できんわ」と見限りかねない。「愛国ポピュリズム」がもっぱら排外主義と結びつくようになる可能性が強まるとすれば、あまりよい傾向ではありません。
――首相が交代するとメディア戦略がどうなるのかも気になるところです。石戸さんは第2次安倍政権の前半期には毎日新聞で記者をされていたわけですが、報道への圧力が強まったといった感覚はありましたか?
石戸 僕は社会部畑なので詳しくはわかりませんが、圧力というより、それまでの首相と比べて出るメディアを選ぶようになったと感じました。新聞各紙のインタビューに順に応じたり、硬派な報道番組に出演して発信したりするよりは、情報番組やバラエティ番組を選ぶ。安倍さんは『笑っていいとも!』に出たり、吉本新喜劇で芸人たちと一緒にずっこけたりしていましたからね。
――まじめに所信を説くのではなく、気分や印象に訴えるのですね。本書で百田氏について指摘される「おもしろさ」を重視する姿勢と通じるようです。
石戸 確かに似ている点があると思います。その結果、新聞やテレビ報道が萎縮したというより、むしろタレントが政治的権威に弱くなったように見えます。「バラエティを大事にしてくださってありがとうございます」みたいな態度が強まっているのではないでしょうか。
もっともNHKに対しては、安倍さんは菅さんと共にプレッシャーのかけ方を考えていたと思いますよ。それこそ百田さんを経営委員に入れてましたね。こうしたやり方は政権が代わっても踏襲されるでしょう。警戒が必要です。
――左派であれ右派であれ、あまりに簡単に敵と味方を分けてしまい、二極化が進んでいることへの疑問が本書の重要なモチーフになっています。この現状に対し、石戸さんは終章で「静寂の中に身を置く」ことを提案されていますよね。
石戸 静寂という言葉で何を伝えたかったかというと、SNSから離れて、自分で考える時間が大事だということです。絶えずSNSに触れてリツイートを繰り返すのは、考えているのではなく反応しているだけです。次から次へと流れてくる情報に反応してゆくと、ただ消耗するだけになる。
だから、SNSを切って考えることが大事になる。生身の人と会って、関係ないことをして過ごす。そういうことにもう一度価値を見いだしていきましょう、と。これじゃあ、なんだか僕が、説教好きな保守のおっさんみたいですね(笑)。
●石戸 諭(いしど・さとる)
1984年生まれ、東京都出身。記者、ノンフィクションライター。2006年に立命館大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部、デジタル報道センターを経て、2016年にBuzzFeed Japanに入社。2018年からフリーランスに。『ニューズウィーク日本版』の特集「百田尚樹現象」にて2020年の「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を受賞
■『ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』
(小学館 1700円+税)
『永遠の0』『日本国紀』などの著作で知られるベストセラー作家、百田尚樹氏。"安倍政権に最も近い作家"といわれ、"保守の星"とされてきた彼は、なぜ賛否両論を巻き起こしながら日本中の注目を集めてきたのか? 百田氏本人への5時間半にも及ぶ独占インタビュー、西尾幹二氏、藤岡信勝氏、小林よしのり氏への徹底取材に加え、見城徹氏、花田紀凱氏らキーパーソンの証言で「百田尚樹現象」の本質を探っていく