近年の外資参入により急速な経済発展を遂げているミャンマー。ノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチー国家最高顧問の存在でも知られるかの国で起きた軍事クーデターには、実は日本も大きな影響を及ぼしていた。
現地事情に詳しいジャーナリストの木村元彦氏が解説する。
■国軍はトランプの振る舞いにならった
2月1日にミャンマーで起こった国軍による軍事クーデター。それに対する在日ミャンマー人たちの動きは早かった。2月3日には約3000人が外務省前に集い、拘束されたアウンサンスーチー国家最高顧問の釈放を求める声を上げ、さらには日本政府がミャンマーの民主主義奪還に協力してくれるよう、職員に文書を手渡したのである。
参加したビルマ民族のミャンマー男性が言う。
「1988年に私たちは当時の軍事政権を倒すためにスーチーと共に立ち上がった(注・翌89年からスーチーは度重なる自宅軟禁状態に)。潰(つぶ)されるたびに立ち上がり、今、また非道な軍部に潰されて再び立ち上がります」
今回、外務省に対しては「日本は官も民もミャンマー政府に対して多大な援助や投資を行なっている。クーデターを起こした国軍と彼らを支える活動の停止と撤退を」と訴えかけ、日本のメディアも大きくこれを取り上げた。
しかし、ほんの1年前、2020年の1月16日に同様の要請が同じ場所で行なわれていたことをどれだけの人が知っているだろうか。思えばそれは今回起きたクーデターの予兆を示していたのかもしれない。1年前、外務省前で声を上げていた彼らは「日本政府は外交や経済の面からミャンマーの国軍に圧力を加えて、民主化に力を貸してほしい」という申し入れを何年も前から繰り返していたのだ。
「彼ら」とは、日本で暮らすロヒンギャの人々である。ロヒンギャはミャンマー西部ラカイン州に暮らすイスラム教徒で、スーチーが国際社会の後押しによって軟禁を解かれ、最高顧問に就いた後もミャンマー政府による度重なる迫害を受けている。17年には国連の調査団が「世界で最も迫害されている」と報告書を上げた民族である。
特に同年8月25日から国軍によって行なわれた「民族浄化」は熾烈(しれつ)を極めた。家を焼かれ、殺害や拉致、集団レイプによって、約80万人のロヒンギャが隣国バングラデシュに難民となって逃れたのである。繰り返すが、軟禁されていたスーチーが解放され、国会議員となり、「ミャンマーは軍事政権から民政に移管した」とさかんに喧伝(けんでん)された12年以降にジェノサイドは行なわれている。ミャンマーは決して民主化などされていなかったのだ。
それは08年に制定された新憲法を見ると明確に理解できる。国会議員の25%は軍人枠とされ、3つの椅子がある副大統領にも軍人枠が設けられている。そして、国軍総司令官に全権が委譲される「非常事態宣言」を副大統領でも発令できるという、いわば"いつでも合法的にクーデターを起こせる制度"である。スーチーはこの憲法の制定を待って、その2年後に解放されたというのが実情だ。
実際、今回は国軍出身のミンスエ副大統領が非常事態宣言を発令し、軍が動いたという筋書きになっており、国軍側は合法だと主張している。
では、なぜ今だったのか。引き金となったのは20年11月の総選挙結果だ。選挙はスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が396議席と圧勝し、国軍系の連邦団結発展党(USDP)は33議席と惨敗を喫した。これについて国軍は「不正が行なわれた」と主張したのである。
推移を見た、筆者の友人の日本外交官はこう話す。
「ミャンマー国軍の選挙の敗北を認めない態度は、米国のトランプ前大統領の振る舞いから学んだに違いない」
実際、ミャンマーではSNS上で「アメリカと同じ投票システムが使用されて(注・事実ではない)数百万票の不正が発覚した。軍も(連邦議会を占拠した)アメリカと同じ行動を起こせ」という投稿がなされ、賛同を集めていた。負けを受け入れたくない国軍はここぞとミンスエに非常事態を宣言させ、ミンアウンフライン最高司令官に全権を握らせたのだ。
話をクーデター前に戻す。
スーチーは国会議員となった後も蚊帳(かや)の外に置かれ、国軍はロヒンギャに対する迫害を繰り返しては、そのノーベル平和賞受賞者を国際社会の批判の矢面(やおもて)に立たせてきた。
国軍がロヒンギャの暮らすラカイン州にこだわるのは、事実上の後ろ盾である中国に、この地を通じてパイプラインを引くためだと言われている。その利権は軍と軍関係企業の下にあるのだ。
12年以降のミャンマー政府の外面は民政、しかし、実態は紛れもない軍政だった。そして、このダブルスタンダードをほかならぬ日本政府も都合よく利用してきた。
例えば、法務省の入国管理局(現・出入国在留管理庁)はミャンマーからの難民申請を却下する方便に使った。90年代から在日ビルマ人難民申請弁護団で、約600人の難民申請を受任してきた渡辺彰悟弁護士は言っていた。
「ミャンマーは明らかに民主化されていない。民主化の顔も見せているけれど、実態は違うわけだから、入管はそこを見なければならないはずなのに、完全にあえて捨象(しゃしょう)し、『民主化されたから政治難民はいない』とする。難民の保護に政治を持ち込んではいけないのが原則なのに、入管はそういう論理を恣意(しい)的に立ててきたわけです」
事実、ロヒンギャ難民は日本では申請してもほとんどが認定されなかった。
■「なぜ日本は動いてくれなかったのか」
こうしたミャンマーの内情を重く見た国連は17年11月、ミャンマー政府に軍事行動(ロヒンギャへの迫害)の停止を求める決議を出した。ミャンマー政府と蜜月にある中国は反対するも、135ヵ国の賛成により採択されたのだが、こともあろうに日本政府はこの採決を棄権した。
さらに丸山市郎駐ミャンマー日本大使は19年に「ミャンマー軍は大量虐殺に関与していない」と発言した。フェイクである。そして、ロヒンギャを「ベンガル人」と言い放った。これは、「ロヒンギャはインドからやって来た違法移民」というミャンマー政府のプロパガンダをそのまま代弁するという国軍へのおもねりである。
昨年1月の在日ロヒンギャの抗議行動は、この丸山発言と、相変わらず迫害を傍観(ぼうかん)している日本政府に対して立ち上がったものであった。デモを主催したアウンティン氏は今年2月1日の軍事クーデター後の展開をこう語る。
「今になって日本の外務省も、日本企業もようやくクーデターに対して抗議声明を出したり、国軍系の企業との提携を止めたりしていますが、なぜもっと早く動いてくれなかったのでしょう。多くのロヒンギャの命が救われたかもしれないのに」
ミャンマーには約440もの日系企業が進出している。ロヒンギャ問題については、EU(欧州連合)もアメリカもミャンマーに対する経済制裁を課すと18年に発表した。しかし、前出の丸山大使は当時、「ミャンマー経済を止めると発表した国々に日本は賛成しません。ミャンマー発展のために日本政府はさらにサポートしていくつもりです」とヤンゴンで継続援助の申し出をして喝采を浴びている。市場欲しさの抜け駆けで、まるで南アフリカのアパルトヘイト時代の名誉白人である。安倍政権はODA(政府開発援助)と民間投資を合わせて8000億円の支援を約束していた。
前出のアウンティン氏はこう語る。
「私は何度も外務省の人に訴えかけましたよ。日本の援助のお金は国軍に流れて、それを資金に中国の武器を買って私たちロヒンギャを殺しに来る。ミャンマーを支援してくださるのはうれしいですが、政権がどういうものか、しっかりと見てくださいと」
筆者も今回のクーデターが起こる以前、何人もの外務省関係者に「なぜ毅然(きぜん)とした態度を取らないのか?」と聞いて回った。答えの大半は「われわれは独自の外交を展開している。ミャンマーには強硬に出るだけではダメ。孤立させずに世界と仲介のできる立場を堅持することが大切なのだ」というものだった。
大阪市立大学大学院で修士号を取ったヤンゴン出身のアウンミャウイン氏はこの見解を一笑に付した。
「日本の外交はカネだけ取られて、利用されていただけやわ。仲介とか言ってさんざん政治や経済交流を重ねてこの結果です。これでわかったと思いますが、国軍は用意周到にクーデターを準備してきたわけです」
その国軍は今、ミャンマー全土で市民に銃を向けて度し難い蛮行を続けている。無垢な人々がすでに400人以上も殺された。日本の外務省がロヒンギャに対する大量虐殺を看過する言い訳にした「国軍への独自のパイプ」なるものは何の役に立っていない。
"最大の投資国"で"最高の友好国"であった日本は、ATMとして軍政に加担してきたと言えよう。実際、日本の官と民が共同で都市開発した事業の土地賃料、毎年2億2000万円が国防省、つまり国軍に支払われていたことをロイター通信社が報道した。
今回のクーデターは日本にとって決して他人事ではない。それをわかっているからこそ、在日ロヒンギャもそれ以外の在日ミャンマー人も外務省前に立つのだ。真の友好国として何ができるか、官も民も今さらながら決断するときである。
■木村元彦(Yukihiko KIMURA)
ジャーナリスト。アジアや東欧の民族問題を中心に取材・執筆活動を行なう