新型コロナのパンデミックは「コロナ禍」という言葉を生み出し、多くの問題を日本社会にもたらしている。一方で、国や自治体によるコロナ対策それ自体が社会や経済にダメージをもたらす「コロナ対策禍」の影響も、深刻さを増しつつある。
なぜ日本の行政はコロナ禍のような災害対策で迷走してしまうのか? そのメカニズムを緻密に分析し、非常時の権力集中に警鐘を鳴らすのが、東京大学大学院教授・金井利之氏の新刊『コロナ対策禍の国と自治体』だ。
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――行政による新型コロナ対策そのものが「禍(わざわい)」になってしまう「コロナ対策禍」を、サイトカインストーム(免疫暴走)の行政版だと評していますね。
金井 本来は、ウイルスに対抗して健康を取り戻すためのはずの免疫機能が暴走して、逆に人の生命や健康を害してしまうことがあります。新型コロナに対する行政の対応も、それにたとえることができます。一種のパニック状態のなか、行政が良かれと思ってやった対策が、逆に悪影響を与える。
最も典型的なのは、経済との関係です。感染症対策で営業制限・外出自粛にしたら景気はあっという間に悪くなりました。昨年の4月から6月期の実質GDPは年率に換算すれば27.8%減で、これはもう人災としか言いようがありません。
――これだけ深刻な感染症の流行ですから、なんらかの対策は必要だと思いますが、行政の対応が迷走してしまっていると。
金井 これはコロナに限らず、日本の行政は先例のない対応が苦手です。最初のうちは「大丈夫じゃないか」という正常化バイアスと、後で責任を取りたくないという意識が働き、「後手後手」になることが多い。
実際、今回のコロナ禍でも、当初は「後手後手」だと批判されました。そうなると今度は慌てて逆ブレを起こし、よくわからないまま、「先手先手」でやろうとする。
そうやって、行政が迷走を繰り返す。「コロナ禍」→「コロナ対策」→「コロナ対策禍」→「コロナ対策禍・対策」→「コロナ対策禍対策・禍」という無限ループに陥り、社会全体が暗闇の中で右往左往し、疲れ果ててしまうという状態です。
――今まさに、緊急事態宣言の真っただ中という地域もありますが、本書ではそうした災害時に進む「権力の集中」に警鐘を鳴らしています。
金井 今回のような危機が訪れると「政府が強力なリーダーシップを発揮すべきだ」とか「対策がうまくいっていないのは政府に権力が足りないからだ」という意見が出てきがちです。しかし、率直に言って、それらは単なる「幻想」にすぎません。
本当に大事なのは「的確な判断ができるか否か」です。的確な判断ができるリーダーなら、権力など集中させなくても「なるほど」と、人は納得してついてきます。逆に「的確な判断ができない人が権力を握ること」ほど危険なことはありません。
ところが、1990年代から、内閣機能強化や官邸主導など、「権力を集中させれば問題は解決する」という幻想が日本を覆っています。今回のコロナ対策でも、政府にもっと強い権限を与えるべきだという話になる。
しかし、首尾一貫性も公平性もない思いつきの判断をする為政者に権力を集中させたら何が起きるのか? まさに典型的な「コロナ対策禍」が起きます。それを安易に許すことによる長期的な悪影響という意味でも、非常に危険な話だと思います。
――一連の緊急事態宣言や、いわゆる自粛要請では、こうした対策の「法的な根拠」についても議論を呼んでいますね。
金井 行政はよく、何かを「やらない」ことの責任を逃れるため「法的権限がない」という理由を使います。しかし、他方で「一生懸命やってます」と見せたがる。そのときには法的根拠など無視します。
だから昨年、安倍前首相は法的な根拠がないのに学校を一斉休校にしたり、東京都の小池知事は「午後8時以降は看板、ネオンの消灯を」と言い出したりする。支離滅裂です。
そうやって「私は頑張ってます」と法的権限もなく思いつきで「やってるふり」を繰り返しておきながら、「法的権限がないので特措法を改正する」と、さらなる権力の集中を求めようとする。要するに、恣意(しい)的で説明のつかない権力発動なのです。
――そうした「権力の集中」が政府と自治体の関係も歪めていると指摘されています。ワクチン接種をめぐる混乱も、その一例でしょうか?
金井 これも災害対策全般に言えることですが、最も重要なのは現場での地道な対応です。それなのに、日本の対策では政権幹部への権限集中を渇望します。その結果「机上の空論」に基づく政策が政府から自治体に降りてくる。
自治体は無批判にそれに従います。首長も思いつきの指示を出します。結果的に現場は振り回される。これは3.11後の復興政策でも、幾度となく目にした景色です。
今、ワクチン接種をめぐって起きていることも、まさにこの構図でしょう。もっと早くから計画すべきだったのに、五輪が目前に迫ってから、官邸が「7月31日までに高齢者の接種を終わらせる」とぶち上げました。政権の判断が遅れたがゆえに、現場に拙速な対処を求めています。逆算すると、一日に100万回打たないと間に合わない計算になっています。
以前の自治体ならば、「もう少し時間をかけて進めたい」と言えたでしょう。厚生労働省の官僚も、「もっと早くから準備しましょう」と進言したでしょう。今はそんなことを言うと、自治体は冷遇され、官僚は飛ばされかねません。
一方で、政府への権力集中に反発して、小池都知事や大阪府の吉村知事など、自治体の首長の「強力なリーダーシップ」に過度な期待が集まりがちです。しかし、それはミニ官邸です。思いつき指示で、現場や事業者や住民を疲弊させています。
本当に必要なのは、為政者の「やったふり」をアピールするための「大言壮語」や「権限の集中」ではなく、現場の実情に即し、可能な範囲でやれることをやるということです。
世論やマスコミ、ネットの評判だけを求めて現場を混乱させるような政治家を求めないほうがよい。そうした政治家に住民が期待するから、結果として自分たちの首を絞めることは、この「コロナ対策禍」を見れば明らかなのですから。
●金井利之(かない・としゆき)
1967年生まれ。東京大学法学部卒業。同助手、東京都立大学法学部助教授を経て、現在、東京大学大学院法学政治学研究科教授。専門は自治体行政学。著書に『行政学講義』(ちくま新書)、『地方創生の正体』(共著、ちくま新書)など
■『コロナ対策禍の国と自治体――災害行政の迷走と閉塞』
(ちくま新書 1034円)
国や自治体が良かれと思ってやったコロナ対策が、逆に混乱を招いてしまう「コロナ対策禍」。臨機応変な対応を得意としない日本の行政は、新型コロナのような危機に直面すると、その対応で迷走を繰り返し、権力を集中させることで問題を解決しようとする。しかし、それがかえって禍となる現状を分析し、あるべき災害行政の姿を検証する