国軍への抗議の意思を示す3本指を立て、取材に応じたピエリアンアウン選手

W杯アジア2次予選の日本vsミャンマー戦の試合開始前、国歌演奏の際に、祖国で起きた軍事クーデターに抗議する意味を示す三本指を立てる行動を起こしたミャンマー代表の控えGK、ピエリアンアウン選手(27歳)が、6月16日夜、チームメイトと乗る予定であった帰国便に搭乗せず、日本に残る道を選択した。関西国際空港の大阪出入国在留管理局(以下、入管)に保護を求め、入管もこれを認めたのだ。

一般市民に軍が銃口を向けて800人以上の犠牲者を出している祖国ミャンマーには、正義も公正も存在しない。ピエリアンアウン選手はテレビ中継で不服従のポーズをとった後も、その真実を世界に知らせて欲しいとして海外メディアの取材に応じていたものの、家族のために帰国を考えていたという。だが、このまま戻れば逮捕されてしまうのではないかという疑念と恐怖から、日々、気持ちが揺れ動いた。

セントラル方式で行なわれたW杯2次予選の最後の試合、6月15日のタジキスタン戦の直後、亡命を決意したピエリアンアウン選手は、日本在住の支援者に保護を求めて宿泊先のホテルから脱出しようとしたが、警備が予想以上に厳しく断念。その後も外部とのコンタクトを携帯電話で取りながら、ロヒンギャ民族の難民認定などを熱心にしてきた空野佳弘弁護士を交えての深夜の話し合いが続いた。

「ミャンマーサッカー協会のゾウゾウ会長から、帰国しても危害は加えないし、逮捕もしないから、帰って来いという電話をもらった。関係者にもお世話になったので心苦しい」「市民を殺している軍の現状は到底許せるものではない」「自分が逃げたら家族が心配だ」等々、葛藤は夜明けまで止まらなかった。

それでも16日の13時過ぎ、空野弁護士にメールで「日本に残りたい」という意思を明確に伝えて来た。現在、日本政府は不安定なミャンマー情勢を鑑みて、ミャンマー人に対して、緊急避難措置として在留、就労を認める措置を打ち出しており、難民認定が下りなくとも在留や就労が可能である。

6月16日から日付が変わった頃、大きな葛藤の末に決断を下したピエリアンアウン選手は、関西国際空港の到着出口から再び姿を現し、取材陣の質問に答えた。

「自分の判断で日本に残ることを決めました。最後まで悩んだのは、私がこの行動を起こすことでチームメイトに迷惑をかけてしまわないかということです」

「私は『私はミャンマーに帰りたくありません。ミャンマーに帰ったら命が危険なのです』という意味の文章を、英語と日本語で準備していました。空港で入管の職員にそれを見せて意思表示をしました」

国家代表のアスリートという属性から、「サッカーを日本でも続けたいか?」という問いには「Jリーグのレベルが高すぎて私は日本ではプロとしてプレーできないと思う」と努めて冷静に分析していた。また、「自分が日本に残ることで何を日本に伝えたいか? 日本国民と日本政府は今のミャンマーの現状をご存じだと思います。将来、私は生まれ故郷に帰りたい。何をすべきか、考えて頂きたい。これからもミャンマーを助けて欲しいのです」とも語った。

ヨーロッパでは古くはハンガリーのプスカシュ、ルーマニアのベロデディッチ、アルバニアのバタなど、サッカー選手の亡命は決して珍しくない。しかし、日本においては代表戦で来日し、そのまま政治亡命という形をとったサッカー選手は、筆者が知る限り、彼が初めてである。

日本外交は莫大な投資でミャンマーの軍閥政治を支えて来た負の過去がある。いつか真の民主化を成しえたミャンマーにピエリアンアウン選手を帰国させられるその日まで、彼の身体と生活を守ることが少なからず日本社会の責務であろう。

事態を知ったJ3加盟クラブ、YSCC横浜の吉野次郎代表は「『ボールで世界平和』を合言葉に様々な活動をしている我々のクラブの理念からすれば、ピエリアンアウン選手を受け入れることも十分考えている。環境面を整える必要があるが、ぜひ一緒にサッカーをやろうと彼に声をかけてあげたい」と語っている。