「他人のために何かをする、他人を助けたいがために何かをすると思えば、必然的に合理的な判断にならざるをえない」と語る古谷経衡氏

第5波の感染が拡大するなか、東京五輪開催に突き進んだ2021年の日本。根拠なき精神論ばかりを訴えて五輪強行の既定方針に固執し続けた菅政権の姿を、旧日本陸軍の無謀な作戦に重ねて「まるで第2次世界大戦末期のインパール作戦のようだ」と批判する声も多かった。

戦後76年を経ても変わらない日本社会の理不尽さや同調圧力に、私たちはどう向き合うべきか? 戦中の日本軍で自らの信念を貫き通した指揮官たちにそのヒントを探るのが、文筆家・古谷経衡(ふるや・つねひら)氏の新刊『敗軍の名将』だ。

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――本書には4人の指揮官が登場します。太平洋戦争で最も無謀な作戦と言われた「インパール作戦」において、上官の命令に逆らい撤退を決断した佐藤幸徳(こうとく)中将と宮崎繁三郎(みやざき・しげさぶろう)少将(のち中将)。

「沖縄戦」で大本営の方針と異なる作戦を実行して善戦した八原博通(やはら・ひろみち)大佐。そして命と引き換えに敵に立ち向かう「特攻」を拒み、独自に戦果を上げた美濃部正(みのべ・ただし)少佐です。彼らにはどんな共通点があるのでしょうか?

古谷 この4人に共通するのは、彼らが軍隊という完全な階級ピラミッド組織で、それも戦場という極限状態の下で、上官の理不尽な命令に抵抗して「合理的な考え方」を貫いた人たちだという点です。

その考え方は「戦争だから死ぬのは仕方ないとしても、自分の部下たちが無駄死にするのは許せない」という、まっとうな正義感や人間性に裏打ちされていた。このふたつを備えていたから、彼らは上官の命に抗して正しい判断ができたのだと思います。

――合理的な考え方ができて人間性を失っていない人が軍の中では少数派だったという事実が、逆に「戦争の狂気」を浮き彫りにしていますね。

古谷 例えばインパール作戦で本当に「狂っていた」のは、無謀な作戦の計画・立案をした司令官の牟田口廉也(むたぐち・れんや)中将です。しかし最終的に処分されたのは、その命に背いて独断で撤退を決断した佐藤中将でした。

軍部が無謀な作戦の中身が明るみに出るのを恐れた結果、佐藤中将は軍法会議にもかけられず、「精神を病んでいた」ということにされてしまった(不起訴処分)。

戦争とは本来、合理的でないと勝てないし、合理的な判断は基本的に「正常な精神」がなければできません。しかし当時の旧日本軍からは明らかにそれが失われていた。

ではなぜ、そうなってしまったのか? 本書で扱った「インパール・沖縄・特攻」という3つの作戦に共通するのは、いずれも「負けが込んできた局面」だったという点です。

そこで、合理的な判断ができない結果、負けが込むのか? それとも負けが込むから合理的な判断ができなくなるのか、果たしてどっちが先なのかと考えました。すると、実は1942年にインパール作戦の原型であるインド侵攻作戦が計画されたとき、牟田口自身は「これはできません」と、明確に反対していたんです。

――つまり、当初は牟田口中将もまともだったと?

古谷 はい。ところがその後、戦況が悪化して日本軍の負けが込んでくると、大本営も南方軍もビルマ方面軍も牟田口も、理不尽で無謀な作戦に突き進む。

そう考えると、やはり最初に負けが込んで、不都合な現実を直視できない結果、合理的な判断ができなくなる。今の日本に置き換えると、経済の不況などが最初にあり、それを直視できない人の心がどんどんおかしくなっていくということではないでしょうか。

日本も、1990年代のバブルが終わった後ぐらいまでは、政治も官僚も今ほどおかしくなっていなかったのかもしれません。しかしその後、日本経済が下り坂になって負けが込んでくると、認知のゆがみが人々を狂わせてゆく。

いわゆる「ネット右翼」が出てきたのが2002年頃で、それから20年近くを経た今ではテレビやSNS、あらゆる面で知性が溶融してガタガタになってきている。

やっぱり貧すれば鈍するで、まず苦境が先にあって、それが長く続くと指揮官が狂ってきて、それにつれて社会やメディアも狂ってくる......ということなんだと思います。

――その意味では、コロナ禍の「東京五輪強行」は、現代のインパールだったと言えるのでしょうか?

古谷 コロナをめぐる混乱、特に東京五輪に関しては端的に言って「インパール以下」ですよね。先に述べたようにインパール作戦でさえ当初は「無理だ」と反対されているんですが、東京五輪は政府や与党の中で真剣に「無理だ、やめるべきだ」って訴えた人はいませんでした。

「どんな犠牲を払ってもやるんだ、突き進めばなんとかなる」という根拠のない精神論で突き進んだ非合理さはまったく同じで、僕はインパールよりヒドいんじゃないかなと思いました。

――その一方で、4人の指揮官は負けが込んでいる厳しい局面でも正気を保ち、合理的な考え方や人間性を失わなかったのはなぜなのでしょうか?

古谷 それは「利他性」という言葉で表せると思います。彼らは自分ではなく、まず他者のことを考えている。自分の立場よりも、部下が無駄死にしないことを優先して判断し、行動しているという点です。

そこにはおそらく、名誉欲や後世の歴史家の評価に堪えうる行動をしようなんて考えもなくて、例えばインパールから撤退した佐藤中将らは、命令違反で死刑になることも覚悟の上で「とにかく自分が撤退しないと部下たちを餓死させてしまう」と決断している。

そうやって、他人のために何かをする、他人を助けたいがために何かをすると思えば、必然的に合理的な判断にならざるをえないし、逆に自分の名誉のためにと考えると、牟田口中将のようになってしまう。

4人は第2次世界大戦の最終局面で自分のためではなく、他者のためにひたすら尽くす奉仕者になっていた。

この、自分ではなく他者のことを優先する「利他性」こそが、厳しい状況のなかでも正気を保ち、合理性や人間性を失わなかったカギだと思いますし、その姿勢を今の日本の政治家や経営者は全員、見習ったほうがいい。

そう考えると、本当は自我を一回殺しちゃったほうがいいのかもしれません。もちろん、それは決して簡単なことではないけれど、自分もそういうふうに生きていきたいと、この本を書きながら思いましたね。

●古谷経衡(ふるや・つねひら)
文筆家。1982年生まれ、北海道出身。立命館大学文学部卒業。時事問題、政治、ネット右翼、アニメなど多岐にわたる評論活動を行なう。テレビコメンテーターのほか、ラジオMCとしてもメディアへの出演多数。著書に『毒親と絶縁する』(集英社新書)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館新書)、『愛国商売』(小学館文庫)など

■『敗軍の名将 インパール・沖縄・特攻』
幻冬舎新書 990円(税込)
太平洋戦争末期のインパール作戦で上官に逆らって撤退を決断した佐藤幸徳中将と宮崎繁三郎少将。同じく沖縄戦で大本営の方針と異なる作戦を実行して善戦した八原博通大佐。特攻を拒み、戦果を上げた美濃部正少佐。なぜ彼らは、軍隊という組織の中で、上官からの理不尽な要求に正論で抵抗し、合理的な判断ができたのか? 「敗軍の名将」の行動から、現代にも通底する非科学的な精神論や同調圧力にあらがうすべを学ぶ

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