「この1年半、コロナ対策の最前線で戦いながら、ITがまったく有効活用されていないことを痛感した。それを多くの人に知ってほしい」。そう語るのは、厚労省の新型コロナウイルス・クラスター対策班のメンバーで、東北大学大学院の小坂 健(おさか・けん)教授だ。岸田首相も最重要課題に位置づけるデジタル化を進める上で、日本がコロナ禍から学ぶべき教訓とは?
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■モバイルWi-Fiで外部とオンライン会議
――2020年に入って、新型コロナの感染が拡大し始めたとき、医療機関と保健所が「ファックス」でやりとりしていると聞いて、そのアナログさに驚いた人も多かったと思います。
小坂 新型コロナのような感染症対策で重要なのは正しい情報とデータの収集で、今はITの活用がその重要な鍵を握ることになります。ところが、私が2020年2月に厚労省のクラスター対策班に加わってまず直面したのは、そのITが有効に使われず、必要な情報やデータがきちんと集まってこないという問題でした。
今言われたように、当初、新型コロナ患者の発生届は、医師の手書きによる届け出用紙を医療機関が保健所にファックスし、それを保健所が入力するという旧態依然のやり方で、某保健所では「ファックスが詰まって......」みたいな話も実際にあった。これではリアルタイムな情報やデータは集まらず、ミスも起こりやすくなります。
――なぜ日本では、それほどアナログな仕組みが放置されていたのでしょう?
小坂 その要因のひとつは、行政機関が利用するネットワークが、外部との接続を厳しく制限していることです。ネットワークには大きく分けて、中央官庁の政府共通ネットワークと、地方自治体のLGWAN(総合行政ネットワーク)があるのですが、セキュリティ上の理由でインターネットへの接続が制限されていて、行政の職員は原則的に支給されたパソコンを外部とのオンライン会議に使うこともできません。
先日も、ある県庁の職員の方々とのオンライン会議がありましたが、県庁側は外部接続専用のパソコン1台と市販のモバイルWi-Fiで接続していました。またある保健所との会議でも、オンラインで使えるパソコンは数十人に1台で、その時間に空いているかどうか......みたいな話をしたこともあります。私が会議に参加することのある厚労省や内閣府も似たようなものです。
――それって「職員のデスクには内線電話しかないので、社外に連絡するときはオフィスに1台しかない公衆電話を交代で使う」みたいなイメージですか?
小坂 そんな感じですが、電話じゃなくITの話なので問題はもっと深刻です。会議の問題だけではなく、例えばクラスター対策班の各自のパソコンは、統計やデータ解析をするソフトを積んでいたりするわけですが、厚労省のパソコンからデータを移行することはできないので、それがまったく使えません。ですから、厚労省が作った図表を見ながら、最初は自分でデータを手打ちして......と、やっていました。
■デジタル活用の障害は「縦割り」と「硬直化」
――行政として「セキュリティ重視」は当然としても、クラスター対策などスピード感のあるコロナ対応が求められるなかでITが有効に活用できないのはつらいですね。
小坂 われわれは発熱した人がどれくらいいるのか、検査をした人がどれくらい陽性なのかといったことをリアルタイムに把握しなきゃいけないのに、それが満足にできていない。
クラスター対策班に入って、すぐにそれが問題だと気づいたので、F社の役員をしていた友人に相談をしたところ、東日本大震災の経験を生かして、コールセンターのオンライン化、発熱がある人の集計ソフトや感染者の報告・濃厚接触者の情報を管理するアプリを2週間くらいで、それも無償で作ってくれました。
――いつ頃の話ですか?
小坂 昨年3月初旬にはできていました。ところが、こうしたシステムの導入には「お役所の壁」が立ちはだかります。
手始めに新型コロナの電話相談窓口にチャットシステムの導入を提案しました。当時、1日数万件の電話対応に追われていたようです。最前線基地に数百人が集まり、怒号が飛び交うような状況でしたが、提案の窓口をめぐってたらい回しにあった挙句に「今は多くの人を雇ってなんとか対応できているから必要ない」という理由で断られてしまいました。
その後、東京都をはじめ地方自治体にも提案しました。クラスターの追跡などで直接コロナ対策に当たる保健所など、現場の担当者はすぐに使いたいと言ってくれるのですが、個人情報保護が大きな障壁となりました。アプリで名前などのデータを集めるとしたら、個人情報保護法にのっとらなければいけないと。
例えば東京都の場合、個人情報の扱いを検討する諮問委員会が開かれるのは年に1回とかで、都でOKが出ても23区にはそれぞれ別の諮問委員会があって......といった調子で、何度も呼ばれて説明に行きましたけど、緊急事態なのにそういう技術を使うことができないのです。
――「個人情報保護」は大切ですが、それ以前の問題として、いわゆる縦割り組織の弊害や、コロナ禍の緊急時でも柔軟に対応できない行政の硬直化がありそうですね。
小坂 それでもシステムのバージョンアップを重ねながら説明を続けていたら、まず宮城県が使い始めて、それ以外にも100ぐらいの保健所で濃厚接触者の調査などに使われるようになったんです。
それでようやく国のほうでもこういうシステムを導入しようということで入札になったら、有識者やコンサルが入ってきて、結局、COCOA(新型コロナウイルス接触確認アプリ)の不具合でも話題になった別の会社が受注することになり、1からやり直しです。
そうして出来上がったHERSYS(ハーシス/新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム)は、感染者の確認後、重症化の有無やワクチンの接種履歴などの情報をすべて医師が入力しなければならないなど、決して使い勝手はよくなかった。
その後、改良を重ねて今ではだいぶマシになりましたが、F社は「国難だから無料で使って」と言ってくれ、すでに宮城県などで実績もあったのに、入札で別の会社が受注したHER-SYSは改修などに補正予算から161億円が計上されていました。
■ゼネコンに発注する公共事業と同じ
――スマホで感染者と接触した可能性をチェックできるCOCOAでは、受注した会社が中抜きした上で下請けに開発を丸投げし、不具合の確認や運用の管理も不十分なため問題が続出。アプリそのものへの信頼不足から十分に活用されないという不幸な状況を招いてしまいましたね。
小坂 コロナ禍という国難に立ち向かう武器としてのITシステム開発も、「ゼネコンに発注する公共事業」と同じような構図になっている。
もうひとつ、日本のデジタル化を進める上での大きな問題が国や自治体への「信頼」の低さで、マイナンバー制度の普及がなかなか進まない根底にあるのも、その問題だと思います。これは国と自治体の関係においても同様で、例えば地方で発生したクラスターの情報を国とは共有しちゃいけないっていうんですよ。
――え、なぜでしょう?
小坂 地方自治体は基本的に「この事業所や飲食店でクラスターが起きました」という情報は事業所やお店の了解なしに公表できないというスタンスなので、情報を国と共有すると勝手に公開しないかと恐れている。そのためクラスター対策班にいても、地方で発生したクラスターの詳細な情報は上がってきません。
にわかには信じ難いかもしれませんが、クラスター対策班も皆さんと同じようにメディアの情報を毎日チェックして、それでクラスター図というのを作るのが仕事でしたし、これは今でもあまり改善されていません。
――そうなんですね......。
小坂 また、先ほどのHER-SYS以外に、医療機関の資材を管理するG-MIS(医療機関等情報支援システム)や、V-SYS(ワクチン接種円滑化システム)、ワクチン接種に関するVRS(ワクチン接種記録システム)といったシステムが運用されていますが、どれも個別に完結していて、連携を前提に作られていません。
これらのデータをマイナンバーでひもづけし、統合して活用できるようになれば、多くの作業が効率化できるだけでなく、データを有機的に結びつけることで、コロナ対策やワクチン接種に関する有益な情報を得ることができる。
例えば皆さんが気にしている感染者のワクチン接種歴や副反応などについても、それらがVRSや医療情報などと統合されていれば小さな労力で生きたデータが集められるはずで、海外ではそうした取り組みが進んでいるのに、日本の現実はそれとは程遠いと感じます。
――日本社会のデジタル化の遅れは、コロナ対策に限った問題ではなさそうですね。
小坂 危機や変化に対して柔軟に対応できない、縦割りで硬直化した行政システムや、本来は合理的であるべき公共事業が政治や利権でゆがめられてしまう構造、そして国に対する信頼の不足といった、日本社会の根本的な課題がコロナ禍であらためて浮き彫りになったと感じます。
だからこそ、この教訓を日本のデジタル化を進めるために生かしてほしい。まずは近く運用が始まる「ワクチン接種証明書」などを足がかりに、自分の健康・医療情報を自分で安全に管理できるようにして、国際的にも通用するシステムになってくれることを期待しています。
●小坂 健(おさか・けん)
医師。国立感染症研究所・主任研究官、ハーバード大学公衆衛生大学院・客員研究員、厚生労働省老健局老人保健課・課長補佐を経て現職。2020年2月から厚労省のクラスター対策班に加わる。