2月4日から始まった北京五輪。米、英、カナダ、豪州、ベルギーなどは、政府関係者を派遣しない外交ボイコットを決めた。その理由は、「中国が新疆(しんきょう)ウイグル自治区などで人権侵害を行なっているから」だという。

"新疆ウイグル自治区"。日本で生活していると、あまり聞き慣れないその場所は、いったいどんな所なのか。東京大学大学院総合文化研究科教授で、現代中国研究が専門の阿古(あこ)智子氏に聞いた。

■ウイグル文化は中国よりトルコに近い

――新疆ウイグル自治区って、どんな場所ですか?

阿古 中国の北西部に位置していて、有名なタクラマカン砂漠や天山山脈があります。中国の省・自治区の中で最大の広さがあり、面積は約160万平方km。これは日本の4倍以上になります。

――自治区だから狭いのかと思ってました。

阿古 これだけ広いので、8ヵ国(モンゴル、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド)と国境を接しています。そのため、軍事的にも非常に重要な場所になっています。

――なるほど。資源は何があるんですか。

阿古 天然ガス、石油、レアメタルなどの鉱物資源があります。特に天然ガスは中国最大の産地です。

――軍事的に重要で、資源が豊富だったら中国は手放したくない場所ですね。

阿古 そうですね。ほかにも「一帯一路」の推進や「国民統合(独立運動阻止)」の観点からも重要な場所なんですよ。

――一帯一路とは?

阿古 一帯一路とは、かつてシルクロードで中国とヨーロッパが結ばれていたように、現在の中国とヨーロッパを陸路と海路でつなぐ広域経済圏構想のことです。新疆ウイグル自治区はその陸路の拠点になります。

――国民統合は?

阿古 ウイグルでは1933年と44年の2度、独立運動が起こり、「東トルキスタン共和国」として独立を宣言したことがあるんです。しかし、最終的に中国の人民解放軍が制圧しました。そうした独立運動を阻止しようということです。

――ウイグル族って、もともとどんな人たちだったんですか?

阿古 ウイグル族はトルコ系の少数民族で、祖先は「チュルク」と呼ばれる中央アジアの遊牧民族です。チュルクはその後、商業活動をするために現在のトルコ付近に住むようになりました。ウイグル族は現在、新疆ウイグル自治区のほかにカザフスタンやウズベキスタン、キルギスなどに住んでいます。ですから、言葉や食べ物などの文化も中国よりトルコに近いですね。

――へー。

阿古 ウイグル語は中央アジアで話されているチュルク語に属する言葉で、現代のウズベク語に近いですし、食べ物もトルコ料理と似ています。ただ、トルコ料理のように魚介類を多用することはありません。

また、ウイグル族は、ほとんどの人がイスラム教を信仰しているので、ハラール(イスラム教で許されている)食材を使った清真(せいしん)料理(ムスリム料理)です。

■資源が豊富で軍事的に重要な場所

――トルコ料理といったら、羊肉が有名です。羊肉のシシカバブおいしいですよね。ちなみにウイグル族の人口ってどれくらいなんですか?

阿古 新疆ウイグル自治区に約1162万人います。ウイグル族の約9割は新疆ウイグル自治区に住んでいるといわれています。

――カザフスタンの人口が約1900万人、キルギスが約650万人なので、ウイグル族が独立して国を造ってもおかしくないくらいの人口ではありますね。

阿古 そうですね。ただ、中国の人口は約14億人です。ウイグル族が1000万人以上いるといっても100分の1以下なので、やはり少数民族なんですよ。ちなみに、14億人の約92%が漢民族です。

――じゃあ、人口的にも少ないし、文化的にも違うから、省じゃなくて自治区にしているってことなんですね。

阿古 中国は、建前としては漢民族を含め56の民族で構成されている多民族国家です。そして、中国の憲法では、人口の多い少数民族には「自らの文字や言葉を使用する権利」「少数民族の幹部を養成する権利」「民族教育を実施する権利」「首長や人民代表主任に少数民族を充てる権利」などの自治権を認めることになっています。

しかし、中国政府は実際にはこうした自治権を認めていません。そして、漢民族が新疆ウイグル自治区にどんどん流入していて、漢民族がビジネスや資源の開発権など重要な利権を握っているんです。

――新疆ウイグル自治区は、資源も豊富だし、軍事的にも重要な場所だし、一帯一路の拠点だし......ということを考えると、そうなりますよね。

阿古 1949年には新疆ウイグル自治区の人口の約76%を占めていたウイグル族でしたが、漢民族の流入などによって、2015年には47%まで減少しました。

――でも、漢民族が入ってきたことで、新疆ウイグル自治区が発展したという面はあるんですよね?

阿古 それは見方によると思います。中国政府の視点だと、「高層ビルがどんどん建ったりして、貧しかった人たちの生活が大きく改善された」というでしょう。

一方で、昔ながらの伝統的な遊牧民の生活が壊された部分もあります。地域の経済規模が大きくなったことが、個人の幸せにつながったかどうかはわかりませんし、貧しい人と豊かな人の格差が広がっている地域もあるわけです。

――じゃあ、漢民族が経済を発展させたことで、逆にウイグル族の生活が苦しくなったと?

阿古 そういう人もいると思いますが、ウイグル族の中にも漢民族とうまくやっている人もいるので、単純に「漢族対ウイグル族」という構図にはならないと思います。ただ、対立している人は多いです。漢族によるウイグル族への弾圧はあまりにもひどいので、それに対して反感を持ったり、悲観的に見ている人は増えていると思います。

――弾圧というと?

阿古 これは私が直接調べたわけではなく、シンクタンクなどのレポートによるものですが、新疆ウイグル自治区では、至る所に監視カメラが設置されていて、例えばお祈りのためにモスクに行くことも許されない。

発言や行動記録、友人関係などから、問題がある人物だと判断されると、強制的に収容施設に送られて、"習近平思想"などを徹底的に学ばせ、社会更生のための職業訓練を受けさせられる人がいるみたいです。

――それは、なんのために?

阿古 中国は国民統合が大事だと考えているので、共産党への忠誠心よりも、イスラム教の信仰を優先されると困るんです。思想信仰の自由が広がれば、今の共産党には大きな脅威になります。特にイスラム教過激派が中国に圧力をかける可能性もある。それを恐れているんです。

――なるほど。

阿古 でも、中国は少数民族の文化や言葉を尊重すると自分たちで決めています。それならば、国民統合は大事かもしれないけれど、多様性を認めて国をまとめなければいけないと思います。

■2014年から弾圧が厳しくなった

――そういった強引なやり方が"ウイグル問題"のベースになっているんですか?

阿古 そうだと思います。

――暴動があったという話も聞きますが。

阿古 収容施設に入れられることへの暴動はないと思います。どうしてかというと、中国政府からものすごい圧力をかけられていて監視状態にあるので、暴動を起こそうにも起こせないんです。

――2014年には新疆ウイグル自治区の区都、ウルムチの駅で爆破事件があったと聞きましたが。

阿古 習近平氏が国家主席になって初めて新疆ウイグル自治区を視察した直後に、ウルムチ駅で爆破事件が起こったたんです。これを習近平主席を狙ったイスラム過激派のテロ事件だと判断して、中国政府は新疆ウイグル自治区の監視を厳しくしました。

今では政治活動や宗教活動をしている人だけでなく、ウイグルの文学をほかの言語に翻訳している大学の先生などの知識人も弾圧を受けています。

――ウイグル族に対して、ジェノサイド(集団殺戮[さつりく])を行なっているというニュースも聞きますが。

阿古 ジェノサイドという言葉は、実際に人を殺した場合にも使いますが、特定の民族の文化や言語などを意図的に消滅させようとする動きのこともいいます。ですから、ジェノサイドはウイグル族の文化や言語などを破壊するという意味でもあるんです。

例えば、中国はひとりっ子政策があったので、中国の全地域で不妊手術が行なわれていました。その後、人口が減ったので、もっと産みなさいという政策に変わったのですが、新疆ウイグル自治区はほかの地域と比べて、不妊手術を受けた人が圧倒的に多いんです。

中国政府に「ウイグル族に子供を産ませないで、種を断絶させる」という意図があったとすれば、それはジェノサイドです。欧米では、そうした中国の人権侵害に抗議して、北京五輪を外交ボイコットしているんです。

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開催中の北京五輪。その陰にこうしたウイグル問題があることも忘れないでおきたい。