1987年5月3日夜、散弾銃を持った目出し帽の男に襲撃された兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局。銃弾を受けた29歳の男性記者が死亡し、42歳の別の記者も重傷を負った 1987年5月3日夜、散弾銃を持った目出し帽の男に襲撃された兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局。銃弾を受けた29歳の男性記者が死亡し、42歳の別の記者も重傷を負った
2月2日、谷光一国家公安委員長に対し「異例の質問」がなされた。35年前に発生し、未解決のまま2003年に時効となった「赤報隊事件」と、旧統一教会との関連について答弁が求められたのだ。昭和犯罪史に残るコールドケースの真相は......。

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第211回通常国会が先月23日に召集されてから、連日の国会論戦に臨んでいる岸田文雄首相は、支持率が低空飛行を続けるなど、難しい政権運営を強いられている。

原油高に伴う物価・エネルギー価格の高騰で国民の不満は高まるばかり。長男で政務秘書官を務める翔太郎氏の外遊中の行動に批判が集まっているほか、経産省出身の荒井勝喜元首相秘書官が、性的少数者(LGBT)や同性婚カップルへの差別発言で更迭に追い込まれるなど〝身内〟の不祥事も続発し、まさに「内憂外患」の状況だ。

そんななか、野党による厳しい質問が集中しているのが、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題だ。安倍晋三元首相の銃撃事件に端を発して露呈した、自民党と同教団との蜜月の背景にはさまざまな疑惑が持ち上がっているが、2月2日の衆議院予算委員会で、とりわけ闇深い問題が取り上げられた。

「今から35年前に発生し、いまだに未解決となっている『赤報隊事件』と旧統一教会との関連について質問があったのです。共産党の宮本岳志衆院議員からの質問を受け、警察行政を統べる谷公一国家公安委員長、さらには警察庁の幹部が答弁に立ちました。

旧統一教会と昭和の事件史に残る大事件との〝接点〟については、事件当時からささやかれており、一部のメディアが取り上げてきたことはありましたが、公の場で語られることはなかった。警察幹部が国会で事件についてコメントを発すること自体も異例で、その内容に注目が集まりました」(全国紙政治部記者)

■言論封殺テロ「赤報隊事件」とは?

ここでいう「赤報隊事件」とは、1987年から90年にかけて「赤報隊」を名乗る何者かが朝日新聞社や政治家らを標的に起こした一連のテロ事件を指す。

「赤報隊」を名乗る一連の犯行では、朝日新聞社の支社や支局への銃撃や爆破未遂のほか、江副浩正リクルート会長の自宅銃撃や中曽根康弘元首相らへの脅迫など、政財界の要人も標的になった。とりわけ世間に衝撃を与えたのが、87年5月3日に兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が散弾銃を持った目出し帽の男に襲われ、記者ふたりが殺傷された事件である。

当時の報道などによると、襲撃があったのは午後8時15分。目出し帽の男は、支局の無施錠のドアから侵入。支局2階にいた記者ふたりに銃口を向け、ひとりに右手の小指と薬指を失い重傷を負わせた。そして、銃撃をまともに受けた当時29歳の小尻知博記者は救急搬送され、翌日未明に出血多量で息を引き取った。

重傷を負った42歳記者が事件当時、上着の内ポケットに入れていたボールペン(右)。被弾して大きく変形している 重傷を負った42歳記者が事件当時、上着の内ポケットに入れていたボールペン(右)。被弾して大きく変形している
犯人は現場から逃走したが、事件から3日後に共同、時事両通信社の東京本社に「赤報隊」を名乗る犯行声明文が届いた。声明文には「天罰をくわえる」と記されており、事件の9カ月前の87年1月に発生した朝日の東京本社への銃撃に続いての犯行であることを示唆していたという。

幕末期に実在した勤皇を掲げる志士集団「赤報隊」を名乗る犯行声明と脅迫文は、朝日の阪神支局襲撃を含めて8件。一連の事件は、警察庁の「広域指定116号事件」に指定され、全国的な捜査が行なわれた。

警察庁は98年に「重点捜査の対象者」として9人をリストアップした。しかし、いずれも事件との関係は確認されず、2003年に全事件が公訴時効を迎え、事件は闇に葬られた。

35年前の「赤報隊事件」に旧統一教会に関わった可能性について、再調査の意向があるか国家公安委員長に質した宮本岳志議員 35年前の「赤報隊事件」に旧統一教会に関わった可能性について、再調査の意向があるか国家公安委員長に質した宮本岳志議員
この未解決事件を巡っては、2009年に週刊新潮が「実行犯」を名乗る男の手記を掲載し、その後、手記の内容が虚報と判明する派生事件も起きた。そんないわくつきの事件について宮本議員は、旧統一教会問題を追及するジャーナリスト、鈴木エイト氏の著書も引きながら興味深い指摘を行なった。

「宮本氏が示したのは、阪神支局襲撃事件での捜査で兵庫県警捜査1課が作成したとされる資料です。鈴木氏が入手し、著書でも言及したものと同じ資料とみられ、そこに書いている内容をもとに旧統一教会と、同教団の関連団体である『国際勝共連合』について『捜査や調査は行ったことは認められるか』とただしたのです」(同)

赤報隊事件の発生当時、リベラルな論調で知られる朝日を主要な攻撃対象としている点などから、思想的な背景を持つ組織的な犯行も疑われた。とりわけ、朝日や系列の雑誌が統一教会による霊感商法を厳しく批判していたことから、事件への関与の可能性を考慮したとしても不思議ではない。

ちなみに、朝日新聞阪神支局銃撃事件の直後には、「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」という脅迫状が、使用済みの薬きょう2個が同封された状態で朝日新聞東京本社に届けられている。同封の薬きょうは事件で使われたものと同じ米国レミントン製で口径と散弾のサイズも同一だったという。もちろん、犯人が騙っている可能性も否定できないが......。

■国会で追及された再捜査の必要性

宮本氏は、資料中のある記述についても言及した。

「宮本氏が取り上げたのは、『政界工作』と題された部分についての記述です。そこには、『日韓親善協会の中に勝共連合のメンバーを送り込み、自民、民社、商工会議所のメンバーを引き込んでいる』と書かれているとし、『自民党本部の職員20人前後の勝共連合のメンバーがいる』とも明かしました。

鈴木エイト氏の著書でも資料のこの記述部分を取り上げていますが、自民党との教団の蜜月を裏付ける参考資料として取り上げたのみで、赤報隊事件との関連についてはさらに突っ込んではいなかった。宮本氏の質問は資料の記述をもとに警察幹部と公安委員長に回答を求めており、より踏み込んだ質問だったといえるでしょう」(前出の政治部記者)

■筑紫哲也にも届いていた脅迫文

宮本氏の国会質問では、さらに赤報隊事件の発生直前の85年5月、朝日新聞社が発行していた雑誌「朝日ジャーナル」に掲載された故筑紫哲也氏のコラムも参考資料として示された。旧統一教会の問題を取り上げた「戦争を知らない子どもたち」と題されたコラムで、《最近、えたいの知れない手紙がよく来る》として、その《手紙》の内容を事細かに著している。

ここにその一部を抜粋して紹介する。

《これ以上おれたちの悪口をいうときさまの子供と女房をブチ殺すぞ。おれは韓国製M16ライフルを持っているし韓国で軍事訓練をうけてきた。おれたちの仲間もみんなきさまを殺したがっている。

いいか、これは決しておどしではない。文鮮明様のためだったら命の一つや二つ捨てたっておしくない奴がおれたちの仲間には百人以上いるんだ。(中略)いっておくが警察はおれたちの味方だ。おれたちの操り人形だ。おれたちには岸元首相がついている。まず筑紫哲也のガキとその女房(中略)から殺してやる。それがいやなら次の週の朝日ジャーナルに謝罪記事を出せ》

手紙の末尾は、《アカサタンを殺すことだけが生きがいの文鮮明様の使徒より》と結ばれている。

教祖である《文鮮明》の名前を持ち出していることから、《手紙》の差出人と旧統一教会との関係を疑わせる。読む者に明白な生命の危険を感じさせる内容であり、行間の節々から脅迫の意図がにじんでいる。

もちろん、この手紙が実際に筑紫氏に届いたものなのか、真相は定かではない。すでに物故者である筑紫氏に事の真偽を確かめる術もないが、生前のジャーナリストとしての実績を顧みれば、《手紙》がまったくの創作とも断じることはできないはずだ。

警察当局が作成したという捜査資料、銃弾によるテロが実行された赤報隊事件を連想させる物騒な手紙...。宮本氏はこれらの資料をもとに、谷・国家公安委員長に「もう一度調べるべきではないのか」と迫り、「赤報隊事件」の再捜査を求めたのだ。

谷氏は「公訴時効成立後に捜査を行わないというのが原則」としながらも、「犯人が自ら名乗り出た場合など特段の事情がある場合には、警察として事実確認などを行うことはあり得る」とも述べ、真相解明にわずかな期待を抱かせた。

35年の時を経て、昭和の闇に葬られた連続テロ事件が白日の下に晒される時は来るのだろうか......。

●安藤海南男(あんどう・かなお)
ジャーナリスト。大手新聞社に入社後、地方支局での勤務を経て、在京社会部記者として活躍。退社後は警察組織の裏側を精力的に取材している