アメリカ合衆国とカナダの国境付近から侵入した中国の高高度偵察気球、いわゆる"スパイ気球"。2月1日(現地時間)、米バイデン大統領は即座に「撃墜せよ」という命令を下した。偵察気球は全長約60mに及び、重さ1トン超であったため、地上への被害が懸念され、戦闘機F-22ラプターが領海のサウスカロライナ州の沖合で撃墜したのは4日となった。
ミッションは成功し、今後、回収された破片から搭載されていた装置の解析が進むだろう(発表されるかどうかは不明だが)。しかし、発見時より高度が下がってきたとはいえ、通常の戦闘機では接近すら困難な高度約1万8000mの標的を簡単に撃墜できたわけではなく、それまでに米軍が用意周到な作戦を練ったことがうかがえる。
撃墜任務に当たったF-22ラプター2機は、第一次世界大戦でドイツの観測気球を撃墜した米陸軍のエースパイロット、フランク・ルーク・ジュニアに因(ちな)んでコールサイン「FRANK01」、「FRANK02」と名付けられた。では、米国ではなく日本に置き換えてみると、このようなミッションは可能なのか?
このミッションに不可欠なのは、撃墜するという「意思」と「実行力」を伴う手段だ。2020年6月に宮城県仙台上空で同様のものが確認された際には政府や防衛省は"問題視"せず、事態をスルーした。直後の記者会見では河野太郎防衛大臣(当時)が「安全保障に影響はございません」と答え、日本に戻ってくる可能性について質問されると、「気球に聞いてください」と呑気な答弁をしており、危機意識が欠如していたと言われても仕方がない。
政府は気象庁や自衛隊などの関係各所に、同様の気球を上げていないか問い合わせはしただろうが、翌年9月には青森県八戸でも類似した気球が目撃された。この際も政府は問題視しなかった。2回目の偵察気球が飛来していても、前回同様それを撃墜するという発想、つまり「意思」そのものがなかったのだ。
米国が回収した装置の今後の分析にもよるが、低軌道を飛ぶ偵察衛星ではわからない軍事施設の情報、あるいは軍事的な電波の収集などが目的だったとすれば事態は深刻だ。中国側としては、米国本土のICBMの地下サイロの配列(中国では北西部甘粛省の砂漠地帯に約120基を新たに建設中)を分析したり、偵察気球に対し防空体制を各国がどのように取るのかという、偵察衛星では得られないデータも欲しかっただろう。このために偵察気球を活用することは軍事的なメリットもあったはずだ。
事実、中国空軍は2019年、上空に飛ぶ「外国製の動力のある無人の偵察気球」を戦闘機のミサイルで撃墜に成功したと喧伝している。当然のことながら、中国自身もこれらの偵察行為にナーバスになっており、ここ10年来、宇宙やサイバー空間をはじめとする軍事的な専門部隊を拡充させてきた。高高度の偵察気球などは偵察衛星を補完すべく、官民挙げて熱心に力を注いできた軍事的開発の結果だろう。
日本に飛来させたときは、青森県にある米軍の三沢基地の情報収集、同県の車力にある米軍の「Xバンドレーダー」の電波収集、あるいは当時、イージスアショア配備として建設が予定されていた、秋田県の新屋演習場の「AN/SPY-7」レーダー配備に対する詳細な地形データを収集していたのかもしれない。
では、日本にまた飛来してきた場合、物理的に撃墜することは可能なのだろうか? 磯崎仁彦官房副長官は6日の記者会見で、過去に日本上空で確認された飛行物体について「米国における事案との関連性も含め、引き続き分析を進めたい」と警戒監視に万全を期すとの考えを示した。政府は、気球が許可なく領空に入れば、国際法上、航空機による領空侵犯と同様に対応する方針を示し、「必要な場合には緊急発進(スクランブル)を含めた措置を取る」と表明した。
ただ、現在の自衛隊法では、外国の航空機が領空侵犯をした際に、防衛大臣は自衛隊に対し、機体を着陸させることや、領空から退去させるため必要な措置を講じさせることができるが、この法によりすぐさま撃墜できるかどうかはハードルが高いかもしれない。偵察気球や、近年、南西諸島に数多く飛来しているUAV(無人航空機)は無人であるため、緊急発進してもこちらの意図を理解できないからだ。
また同法の定める弾道ミサイル等に対する破壊措置は、「落下により人命または財産に重大な被害が生じると認められる物体」が対象であり、偵察気球への適用は当初より想定されていない。法的な整備も十分ではない上に、総理大臣をはじめとする政治家の判断がなければ、自衛隊がすぐさま対抗措置を取ることは困難だ。
では、これらの「決断」が下されたとして、米国が行なったような自衛隊の「実行力」を伴う物理的な対応は可能なのだろうか? 戦闘機取材の経験が豊富なカメラマン、布留川司氏はこう言う。
「現在、アメリカ空軍の戦闘機の中で、機体スペック値で高度約1万8000mまで上昇できるのは、エンジンをふたつ積んだF-15イーグルとF-22ラプターだけです。高高度で空気密度が低下すると、エンジン推力が低下するからです。ミサイルを搭載する場合、ステルス戦闘機であるF-22は機内のウェポンベイ(武器庫)にミサイルを収納できるため、空気抵抗が少ないという利点もあります。F-22が選ばれた理由は、『高高度での迎撃でそれを一番確実に行なえる機体』だったからだと思います。
また、航空機が高高度まで上昇するときには、『ズーム機動上昇』という方法があります。これは機体を水平飛行で加速させてから急上昇する飛行方法で、水平飛行で稼いだ加速力を上昇力に変えるもので、わかりやすく言えば全力で走ってからジャンプする走り幅跳びのような感覚です」
残念ながら、わが国はF-22を保有していない。F-15J、F-2、F-35戦闘機が配備されているが、ツインエンジンなのはF-15Jのみだ。
「日本のF-15Jの原型であるF-15Cも、機体スペック値では約1万8000mまで上昇できると言われています。しかし、任務のために空対空ミサイルなどを搭載した場合は、その数値は落ちます。また、仮に機体が能力的に満たしていても、空自が今回の気球撃墜のような高高度迎撃任務を行なえるかは未知数です。同様な高高度飛行の訓練を行なっているかはわかりませんし、その状況でパイロットの生命維持を担う装備品がF-15Jにあるかも不明です」
では、その高高度にわが国の戦闘機が達することができたとして、物理的な撃墜手段としての機銃やミサイルなどの装備はどうだろうか。1998年にカナダ空軍のF/Aホーネット2機が制御不能になった気象観測用気球を撃墜すべく、1000発以上機銃弾を撃ち込んだが、完全撃墜はできなかったという事例がある。今回の事例はミサイルしか選択肢がなかったと思われ、目標に命中させるその誘導には大別して赤外線誘導方式とレーダー誘導方式がある。
「今回、レーダー誘導ミサイルよりも射程が短いAIM-9Xサイドワインダーをわざわざ使ったことを考えると、気球が太陽に照らされた部分を捉えることができる赤外線画像誘導のほうが確実だと考えたのでしょう。
ミサイル先端のシーカーとよばれる誘導装置は、第4世代と言われる赤外線画像(IIR)方式で、目標を熱源ではなく画像として捉えるわけです。AIM-9Xは2015年からブロックⅡという改良型の生産が始まっており、こちらは射程が2倍近く延長されて、自衛隊が保有する同世代の04式空対空誘導弾よりもスペック的に上回る部分があるようです(AIM-9Xは自衛隊も導入し、順次F-35に搭載されている最中)。
レーダー誘導では、目標からの反射波をコンピューターで解析処理して、目標として認識させる必要がありますので、特に地上と比べ出力の弱い戦闘機搭載のレーダーが、気球のような目標を捉え誘導できたかどうかはわかりません」
今回、F-22に注目が集まったが、高高度の偵察気球を撃ち落とすという通常ではない作戦には、アメリカ軍が愛称"ドラゴンレディ"ことU-2高高度偵察機(実用上昇限度2万4000m)や、支援のためのF-15、多くの空中給油機を投入し、追尾のための地上のレーダーサイトも監視・誘導を行なったことは指摘しておきたい。言い換えれば、米国の「意思」と「実行力」を伴う組織があっての総合力が発揮できた成功だった。同様なイレギュラーな事態が再び起こったとき、わが国が即対応できるかは未知数だと言えるだろう。