兵庫県明石市長になって12年がたつ今年、3期目を務め終えるタイミングでの政治家引退を表明している泉 房穂(いずみ・ふさほ)氏。「5つの無料化」などの子供施策は明石市から日本全国に広がっている。4月に控える統一地方選挙で、さらにその〝やさしい街づくり〟が広まるはずだと話す彼に12年間を振り返りつつ、今後の展望を直撃した。
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■東大、NHK、弁護士、国会議員、そして市長
市長になってから12年がたつ今年、3期目を務め終えるタイミングでの引退を表明した明石市長の泉 房穂氏。1月末に発売された新刊『社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ』(ライツ社)では市長になる以前の人生、そして明石市長としてどのように市民と向き合ってきたかを語っている。そんな泉氏にこれまで、そしてこれからについて直撃した。
――まずは、これまでの市政に関して。泉市長の半生が伏線回収のように現在の施策に結びついていると感じました。
泉 明石市が特に注目され始めたのはここ数年やけど、私がやってることはほとんど数十年越しやからね。例えば、私にとって障害者福祉っていうのは4つ下の弟の存在から始まっているから。
弟は脳性小児まひで生まれて、一生起立不能と診断されてね。当時から少数派を無視するような冷たい社会をどうにかしたいとずっと思っていたので、もう50年以上、この問題について考えているんです。
――そこから猛勉強して東京大学に入学するワケですね。
泉 最初は経済学を勉強していたんです。当時からお金の回し方に関心が強かったのでね。でも、数字ばっかりで学びたいことが学べず、教育学部に転部して教育哲学を学んだんです。
そこで、世界の中で日本だけが、社会で子どもを育てずに親に責任転嫁していることを知って、ほかの国に比べて半分程度しかない教育予算を倍増しないとマズい、という論文を書きました。それが40年くらい前のこと。
――そして卒業後はNHKに入局します。
泉 社会の理不尽さを世の中に広く知ってもらいたいと思ってたんやけど、学んだのはマスコミがいかにろくでもないかだけ。それでもマスコミ対策はへたくそやけどね(笑)。
――その後はテレビ朝日社員や衆議院議員になる前の石井紘基氏の秘書を経て、司法試験に合格し弁護士になります。
泉 弁護士時代は社会的立場の弱い方々に寄り添ってきたんやけど、弁護士にできるのは、すでに起きた後に裁判所で後始末をすることだけ。未然に防げないことに限界を感じて国会議員になり、「議員立法」を使って必要性を感じていたことを法律化しました。
法律や制度、つまりこの世のそもそもの仕組みを変えなければ解決できない問題が多いと感じていたんです。
例えば、離婚後の養育費。弁護士時代に、日本には子どもを守るルールがないと感じていて。2003年に国会議員になって最初のうちにした質問が、養育費についてやってん。でも当時はまともに取り合ってもらえず。
そして市長になって14年に養育費に関する取り組みを始めたら、翌年には「厚生労働白書」で紹介されたり、法務省が明石市をモデルにしたパンフレットを全国の自治体に配布したりと、やっと国でも養育費の議論が始まってね。
――やはり現在の市政には泉市長の半生が詰まっていると感じます。
泉 当時から今につなげようとしていたワケではないけど、ずっと世の中を良くすることを考えていたんちゃうかなあ。どの問題も私からしたら、昨日今日の話ちゃうからね。
■明石市の施策が失敗しない理由
――一貫した哲学で打ち出す施策が高く評価されました。12年間を振り返って、その理由をどう分析しますか?
泉 理由はふたつあると思っています。ひとつは、成功事例があるから。「全国初」と銘打っているものも多いですが、僕がゼロから考えたものはほとんどありません。ほかの自治体やほかの国をまねしてんねん。子ども医療費の無料化の際も津々浦々、相当見て回ってん。市長さんや区長さんに「どうでっか、金かかりまっか?」と聞きに行ってね(笑)。
満1歳までのおむつの無料配布も滋賀県東近江市の施策をまねして、そこに子育て経験のある配達員の相談支援も加えて提供した形やし。給食の無料化(中学校)や養育費の立て替えも韓国が先んじていたので、もうすぐ日本でも一般的になるやろうと思って導入しました。どれもそれぞれの地域で成功しているので、失敗するはずがないんです。
――では、ふたつ目は?
泉 ニーズがあるから。私の考えのベースには「わからない」があるんです。僕がほっぺたをつねっても、その痛みは僕しかわからないでしょ。痛みはそれを感じている本人にしかわからないんです。
だからコロナ禍では街に出て歩き回って市民の声を拾っていました。そんな中、学生やその親御さんから「コロナ中退」の悩みが寄せられてね。
――コロナ禍の影響で仕事に支障が出て、入学金や授業料を支払うことができず、学生が高校や大学の中退を余儀なくされる問題ですね。
泉 本人が望まないのに強制的に学生生活を諦めさせるなんて黙って見過ごせませんやん。すぐに記者会見を開いて、明石市内から通う学生に、市が前期分の学費を肩代わりして、学校に納めることを発表しました。
スピード優先で、上限50万円を無利息、保証人不要の貸与制度としました。ところがそこにクレームが来たんですよ。
――クレーム!?
泉 関西の私大「関関同立」の学生から、「50万じゃ足りません!」って。だから3日後にまた記者会見を開き直して「すみません! やっぱり60万円にします」って発表して。
そしたら次は理系学生から「こっちは90万円です!」って。理系って高いな!って驚きながら、大学院生とかも考慮しつつ最終的に100万円まで拡充しました。
――すぐに意見を聞き入れて柔軟に対応したのですね。
泉 そこがうちの特長やねん。国って間違っても開き直るやんか。でも私は「あ、ごめんね!」ってすぐに修正する。なぜなら「わからない」がベースにあるから。わからないことは人に聞く、見に行くっていうのが大きいんやと思います。
■統一地方選挙で日本が変わる?
――続いて、これからについて。4月に4年に一度の統一地方選挙があり、明石市長選も行なわれます。そのタイミングで次の市長へバトンタッチするワケですね。
泉 僕としては、次の市長候補を市民と一緒に応援し、当選させる決意です。市長を選ぶのは市民。市民が選びたいと思う方に立候補していただけるようにベストを尽くしたいと思っています。そして、この統一地方選挙が日本変革の一歩目になるかもしれないとも思っています。
――それはなぜですか?
泉 ここ3ヵ月くらいで一気に、明石市の施策、特に子ども施策の無償化や所得制限の撤廃が多くの自治体で取り入れられ始めました。兵庫県内だけでなく、福岡市や東京都品川区などにも広がっています。
内心「来た来たー!」って思ってますよ。それはやっぱり統一地方選挙があるからやろね。「明石市をまねします」と言わないと勝てなくなったんですよ。兵庫県内の市長立候補者のほとんどが「明石市をまねします」って言ってんねん(笑)。
昨年の兵庫県西宮市長選挙なんか、民主党系の現職の市長も、保守系と維新の候補者も全員が「明石市をまねて、子ども医療費を完全無料化します」って。日本維新の会の吉村(洋文)大阪府知事も(医療費助成の)所得制限の撤廃を言い出したからね。
――党を超えて明石市の施策が支持されているんですね。
泉 だから90年代にヨーロッパが方向転換したように、日本も全国的に変わっていくと思いますよ。一気にパタッと変わるのは難しいけど、第1段階は始まった気がするな。自治体の議会でも「なぜ明石市にできているのにうちではできないのか」って質問もされているみたいやし。
ツイッターを始めてから、たった1年でこんなに変わるからね。ここまで大きな動きになったのも、「いいね」の数が積み重なったから。私のツイートに「いいね」することも政治活動やからね。ちゃんと政治が変わるんやから。市民にとって「声を上げたら政治は動かせる」と希望を感じるきっかけになっていればうれしいね。
■コロナ禍で露呈した日本のあしき文化
――地方自治体が方向転換し始めていますが、なぜこれまではなかなか変わらなかったのでしょうか?
泉 日本には3つの独特な文化があってね。国が上で自治体は下だから国から指示を待つべきという「お上(かみ)意識」。隣の自治体と足並みをそろえるべきという「横並び主義」。これまでの歴史に答えがあるという「前例主義」。これらでやってきたんですよ。新しい施策も隣の市がやってないからやらない、みたいな。でもコロナ禍で皆の考えが変わってん。
――コロナ禍で?
泉 国は何も答えを出さないし、感染状況は自治体ごとでバラバラだし、前例がない事態に陥った。だから、そうした旧態依然とした仕組みから脱却すべきだって皆が思ってから、急に明石の施策がホメられるようになってん。
それまで「独裁的」って言われてたのが「決断力がある」になって、「丁寧さに欠ける」っていうのが「スピード感がある」になって。僕からしたら「一緒やん!」ってツッコみたくなる(笑)。
――なるほど。コロナの影響で自治体に求められることが変わったと。
泉 明治維新以降の人口も財源も右肩上がりだった時代にはそれでもどうにかなったんやけどね。そういう時代の〝エリート〟といえば、国から設計図とパーツが届いて、設計図どおりにキレイにプラモデルを組み立てられる人材だった。
ところが現在は国からパーツも十分に届かない。そうなれば自分で工夫するしかなくなる。なんなら設計図もないし、そもそも何をつくればいいかの指示も与えられない状態。それも自分で考えなきゃいけない時代なんです。右肩下がりの現代では、そういう工夫ができる人が優秀な人材なんやと思います。
――これまで公務員といえば、安定したお役所仕事という印象でしたが、公務員にも変化が起きている、と。
泉 そうなんよ。それでも明石市役所で働きたいという希望者は年々増えていて、21年には一般職員の応募者数が過去最高になりました。こんなキャラの濃い市長やから誰も働きたくないやろって思ってたんやけどね(笑)。
ほかの自治体は受けずに明石市だけ受ける人や、民間企業で働いていた人が会社を辞めてまで来ようとしてくれる。中には東京や北海道から移住してきて働いている人もいます。
――また、専門職の積極的な採用にも力を入れています。
泉 弁護士資格を持っている職員から社会福祉士、精神保健福祉士、臨床心理士、保健師、手話通訳士など、数多くの人材を採用しています。
自治体は市民を総合的にサポートできなければなりませんから。正規職員として採用し、給料を支払っています。福祉職はかなり専門的なのに、日本では福祉を担う人材をおろそかにして安くこき使ってるからね。
――それはなぜでしょう?
泉 日本が、国民に向き合うような政治、行政の発想をまだ持っていないからやろうね。日本はいまだに公共事業に多くのお金をつぎ込んでいます。
OECD(経済協力開発機構)加盟国で比較すると、17年、日本はGDPの7.3%。同じ島国のイギリスや日本より少し国土が広いフランスよりも多い。一方で、同年の子ども関連の公的支出は、イギリス3.2%、フランス2.88%に比べ日本はわずか1.56%。
実はヨーロッパ諸国は1990年代の景気後退を受けて、行政国家が家族に介入しないと社会が成り立たないと気づいて、ハード整備から舵(かじ)を切ったんです。特に最も少子化が叫ばれていたフランスは、子どもの数が多い家庭ほど支援が手厚くなるようにしたところ、ヨーロッパの最高水準の出生率にV字回復させたんです。
問題点もありますが、そういった事例から少子化は予算を増やせば解決するとわかっているのに、〝異次元の少子化対策〟を検討し続けている日本が不思議でなりません。
日本はバブルが崩壊しても何も変えていないんです。韓国とは80年代までほとんど同列やってんけど、87年に大統領の直接選挙制が導入されてから一気に民主化が進んだ。大統領になるためには国民のニーズをとらえて、国民のほうを向かなきゃ。だから韓国は養育費の立て替えとか給食の無料化がやられているワケ。
日本の場合、与党の有力者に担がれたら首相になれるからね。国民の支持が落ちたところで別に辞めなくてもいいワケやん。結局、国のトップが国民を見て政治をしているか、周辺の有力者を見て政治しているかの違いが大きいんですよ。
あとあえて言うと、一番の敵は大マスコミ。大新聞社と大テレビ局やね。彼らは相変わらず日本はお金がないって前提に固執するんだけど、日本国民の税負担率って48%とほかの国並みに負担しているのよ。
消費税はヨーロッパとかと比べると低いけど、日本には介護保険や医療保険制度があるから。それらを足すと日本のほうが高いねん。それほど負担してんのに、生活はちっとも良くなってない。間違えないで普通にやれていれば、バブル崩壊以降の日本でも給料上がってたはずなんですよ。
これほど間違え続けるのも相当難しいってぐらい国は間違えている。マークシートで全部5を塗り潰すよりも間違ってるから(笑)。
――最後に、そんな日本でも、泉市長は希望を持っているのでしょうか?
泉 クサいけど、私は、そこは諦めてないわ。子どもの頃にこんな社会で死にたくない、せめて少しはやさしい社会にしてから死んでいきたいと本気で思ったし、今も思い続けてるし。これまでも職業のラベリングは違えど、世の中を良くするために命を燃やしてきたからね。
だからこれからも政治に関わり続けますよ。やるべきことはまだたくさんあるんで。残りの期間も漫然と過ごすワケにはいきません。さらに市民のためにできることをやり遂げることで責任を果たしたいと思っています。
●泉 房穂(いずみ・ふさほ)
1963年生まれ、兵庫県明石市出身。82年に明石西高校を卒業、東京大学に入学。教育学部卒業後、NHKに入局。石井紘基氏(後に衆議院議員)の秘書を経て、司法試験に合格。97年から弁護士、2003年から衆議院議員。11年明石市長選挙に無所属で出馬し市長に就任。柔道3段、手話検定2級、明石タコ検定初代達人
■『社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ』
今年1月に発売された新刊『社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ』(ライツ社)では、市民目線の政策がどのように生まれ、社会を変えてきたのかを語っている