撮影/高橋定敬撮影/高橋定敬

「昭和の妖怪」と呼ばれた政治家・岸信介の孫である安倍晋三元首相が凶弾に倒れてから、約8カ月。彼の実像に迫る映画『妖怪の孫』が公開中だ。今回、本作の企画プロデューサーを務めた元経産官僚の古賀茂明氏に話を聞いた。

2015年にテレビ朝日系「報道ステーション」で、「I am not ABE」を掲げた古賀氏にとって、安倍晋三元首相とは何者だったのか? 歴代在任最長総理となったこの政治家が日本に遺したものとは何だったのか? 改めて問いたい。

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■数々の"まさか"に襲われた映画

――なぜ企画プロデューサーを引き受けることになったのでしょうか?

古賀 もともと、この映画のプロデューサーは『パンケーキを毒見する』や『新聞記者』など政治映画を数多く手がけてきた河村光庸さんでした。ただ、20226月に河村さんは心不全で急逝してしまいました。

そこで以前から河村さんにアイデア出しを協力したり、企画作りのための取材に同行していたりしていた私が急遽、「企画プロデューサー」として映画作りを手伝うことになりました。

実は、死去の前夜に河村さんから電話をもらいました。普段の彼は長電話で『妖怪の孫』に関するアイデアをぶつけてきたり、それに関連する政治的な問題についてこちらに質問を連発したりで、それこそしゃべり出すと1時間、2時間と止まらない。ところが、この日は20分で電話を終えてしまったんです。今、思うとよほど体調が悪かったんでしょうね。

なぜ私に白羽の矢が立ったのかというと、故・安倍晋三首相を批判的に扱った映画ですから、批判の声は大きいはず。抗議や上映妨害があってもおかしくない。その時に防波堤役となる"打たれ強いやつ"として選ばれたみたいです。

2022年6月11日に72歳で逝去したの河村光庸氏(撮影/高橋定敬)2022年6月11日に72歳で逝去したの河村光庸氏(撮影/高橋定敬)

――仕事は大変でしたか?

古賀 私より、内山雄人監督や配給プロダクションの「スターサンズ」関係者のほうがずっと大変だったと思います。

『妖怪の孫』は、完成にいたるまで本当に数々の"まさか"に襲われた映画でした。

まず制作陣の要だった河村さんが急死。関係者の誰もが『この映画、どうなるんだろう?』と途方に暮れていたその翌月7月、安倍さんが銃撃されて死亡してしまった。その前から撮影は進んでいましたが、企画内容の大きな見直しを迫られました。

さらに2か月後の9月、この映画のスポンサーとして支援してくれていた『KADOKAWA』の角川歴彦会長が五輪汚職疑惑がらみで逮捕されてしまった。

――キーパーソンが次々と......。

古賀 会長の逮捕でKADOKAWAはスポンサーから撤退してしまったし、安倍さんの死去によって、与党はおろか、野党の政治家までもが事前に好感触を得ていたのに出演を取りやめる事態になりました。この時ばかりは、さすがに僕も映画の完成は難しいかもしれないと思いましたね。

ただ、同じくスポンサーになっていた松竹が踏ん張って制作を支え、封切館として新宿ピカデリーなどの主要な映画館を押さえてくれた。それでようやくクランクアップにこぎつけ、全国公開できることになったんです。

©2023「妖怪の孫」製作委員会©2023「妖怪の孫」製作委員会

■希望を描くことの難しさ

――映画は満足のいく出来に仕上がりましたか?

古賀 生い立ちや持病との闘い、下関の荒んだ現状など、多面的な"安倍晋三像"を描いた作品になりました。また、現役官僚や統一教会問題を追及してきたジャーナリストの鈴木エイトさんの証言など、安倍政治を検証する材料もたっぷりと盛り込まれています。観客はそれらを通じて日本の現状を知る手がかりを得られるはずです。

――映画制作に参画したことで「安倍晋三」という政治家への認識に変化はありましたか?

古賀 安倍さんと安倍政権は日本の凋落と分断を決定づけた政治家であり、政権だったという思いを改めて強くしました。失われた30年という言葉があるように、日本は安倍政権以前から停滞モードにありましたが、安倍政権はアベノミクスや女性活躍といった一見、目新しく見える政策で国民の目を眩ませながら、その停滞をさらに加速させたと思っています。

また、官僚組織やメディアに圧力をかけて政策や世論を政権に有利な方向に誘導することで、人々の間に深刻な分断を持ち込んでしまった。秋葉原の街頭で『こんな人たちに負けるわけにはいかない!』と声を荒げた安倍さんの演説はその象徴でした。

そして、今も私たちは"アベ的なるもの"、この映画のタイトルを借りて言えば、『妖怪』のような得体の知れないものに支配されているように思えてなりません。

多くの官僚が黙り込み、公に奉仕するという本来の仕事をしなくなっている。人事権をテコにこうした状況を思い切り進めたのが安倍政権でした。

政権批判をしなくなったマスコミ、「政治を変えよう」という気運が萎んで諦めが広がっているように見える市民運動、原発再稼働や防衛費倍増の動きに声を上げなくなった国民。これらひとつひとつが、日本を閉塞状況に追い込んでいる。

――映画『妖怪の孫』にそれを打破する処方箋になりますか?

古賀 はっきり言えばNOです。それほど現在の日本の分断と凋落は深刻だということなのでしょう。

若い人は日本以外の選択、たとえばワーキングホリデーなどを活用して海外で働くということを考えてもいいかもしれません。実際、オーストラリアやカナダなどで働けば、単純労働でも月収6070万円になると、日本脱出を実行する若者が急増しています。

とはいえ、できれば希望の端緒のようなものは何とか提示したい。だから、内山監督はどんなラストシーンでこの映画を締めくくるか、かなり悩んだと思います。

でも、この映画を観れば、現在の日本の惨状を認めること、そしてこれまでのやり方が間違っていたと認めることに繋がる。それによって日本が少しでも良い方向に進むスタート台になればと祈っています。

3月16日に都内で開かれた公開前夜祭の舞台挨拶の様子。内山雄人監督(左)と鈴木エイト氏(右)3月16日に都内で開かれた公開前夜祭の舞台挨拶の様子。内山雄人監督(左)と鈴木エイト氏(右)

古賀茂明(こが・しげあき) 1955年、長崎県生まれ。経済産業省の元官僚。産業再生機構執行役員、内閣審議官などを歴任し、霞が関の改革派のリーダーだったが、当時の民主党政権と対立して2011年に退官。『日本中枢の崩壊』(講談社)、『日本を壊した霞が関の弱い人たち 新・官僚の責任』(集英社)ほか著書多数。新著「分断と凋落の日本」(日刊現代)を4月に刊行予定。

『妖怪の孫』
新宿ピカデリーほか全国順次公開予定

企画:河村光庸 
監督:内山雄人 
企画プロデューサー:古賀茂明 
ナレーター:古舘寛治 
アニメーション:べんぴねこ 
音楽:岩代太郎

上映時間:115分