ここのところ連日のように、ウクライナ東部・バフムト近郊の激戦の模様が伝えられている。
このバフムト市は東部・ドンバスの交通の要衛。市の東側には南北に川が流れ、現在、ワグネル傭兵部隊が一日あたり30mの前進を5カ月間続けており、5km前進した結果その川の東岸に達した。そこを渡河(とか)しても西岸には岸の幅が最大800mの空き地があり、市街地に立て籠るウクライナ軍(以下、ウ軍)からの火器での攻撃が予想される。
バフムト市の西側は台地を形成しており、そこにウ軍の補給路となっている2本の道路が走っているが、その南北よりロシア軍が迫り、道の長さは4kmまで縮小している。ここで何が行われているのか。元陸自中央即応集団司令部幕僚長の二見龍氏(元陸将補)に聞いた。
「ウ軍は市内に2~4個旅団、市外の南北に2~4個旅団ずつ計6~12個旅団、最大4万2000名の大兵力を投入しています。そこにロシア軍はそれ以上の戦力を投入していますが、総兵力は不明です」
この状況を踏まえて、バフムトを東方から攻める民間軍事会社・ワグネルとウ軍の攻防から戦局を読み解いていこう。
ロシア軍は1組10名、5組で総勢50名の突撃兵が一つの陣地を目指す突撃を繰り返している。その大勢は戦死するなか、最後の数名で陣地を奪取する戦法で戦っているという。
「数名の兵士が突撃するとウ軍が射撃を開始し、火点がどこなのかが判明します。そこを砲撃して潰します。その繰り返しで5km進撃する間に約5万人の死傷者が出たとの報道がありますが、これは陸上自衛隊の50個の普通科連隊が壊滅している計算となります。これを5ヵ月間やり続けているのがワグネルのやり方です」(二見氏)
この状況下でウ軍はこの先、どう防戦していくのだろうか?
「損害を度外視した攻撃を仕掛けてくるワグネルを止めることは容易ではありません。無人ドローンから手榴弾を一個ずつ落とす攻撃方法に加え、私ならばまず敵が進撃する方向に鉄条網や地雷原などで障害物を作ります。
ワグネル突撃隊はその障害の前で止まります。そこに弾幕という30m×100mの火力集中地域を複数設定します。弾幕の位置は事前に測量をしているので、弾幕地域へ正確に砲弾を指向できます。そこに複数門の105mm榴弾砲を一分間に6発、計50発撃ち込んで綺麗に耕します。その火集点の左右に逃れたワグネル兵に対しては、迫撃砲で仕留めます。
切り札のM777・155mm砲からは、70km先まで精密着弾が可能な600万円のM982エクスカリバー弾を撃ち込みます。ワグネルの戦車、装甲車を片っ端から狙い撃ちにします」(二見氏)
さすがにこれでワグネルは全滅か。
「いいえ。障害物の阻止線に到達したワグネル兵はまだ、横一列に遮蔽物の影に伏せています。これを自軍陣地内に擬装掩蔽された射撃陣地から、突撃破砕射撃と呼ばれる機関銃の連射で斜め、真横から倒していきます」(二見氏)
ワグネル兵は5ヵ月間、これを繰り返して川の東岸まで到達したとは...。
「次に彼らは渡河しやすい浅瀬の近くの河岸に集合します。この時、一個中隊150名が集結した所を再び、空中で炸裂する105mm榴弾砲で射撃します。砲弾破片の豪雨で渡河を企図する兵を壊滅させます」(二見氏)
渡河に成功しても、数百メートルの草地が広がるが。
「そこに隠れやすい遮蔽物の溝、穴、建物が作られています。そこにワグネル兵が砲撃から逃げて飛び込んだならば、すでにIED(即席爆発装置)として仕掛けた対戦車地雷が次々と爆発します」(二見氏)
やがて戦場が夜を迎えると...。
「サーマル装置を付けたウ軍狙撃兵が、ワグネル偵察兵を次々と狙撃します。そして、ウ軍工作班が草地の壊れた遮蔽物に新たにIEDを仕掛けます。この繰り返しです」(二見氏)
そして、生き残ったワグネル兵が市街に突入する。1月28日のCNNの報道によると、ワグネルのプリゴジン総帥は「中心部に近づくほどより多くの戦車が現れる」と言っている。
「戦車はあらかじめ射撃陣地を数か所作り、そこに機動して目標を建物毎吹き飛ばし、対戦車兵器に狙われないうちに移動し、他の陣地から撃ちます。だから、多くの戦車が現れる事になったとプリゴジンは発言していたのでしょう。
戦車の車載機関銃は300m先のバレーボール大の的をも撃ち抜けます。連射を受ければ一個分隊10名をなぎ倒します。やられてみないと分からない怖さです。
ワグネル兵の後続部隊が市街地へ入ってくる道は決まっていますから、その横に仕掛けてある指向性散弾地雷を炸裂させ、部隊を潰します」(二見氏)
NATO(北大西洋条約機構)はこの攻防戦での損害に関して、ロシア軍はウ軍の5倍に達していると発表している。ワグネルでは働きたくないものだが、指揮官はこんな状況下で、最前線の兵士たちにどんな言葉をかけるのだろうか?
「あまり難しい話はしないほうがいいです。『ここで一か月、晩飯を食え』と私ならばいいますね。下がるなってことです」(二見氏)