カリフォルニアでケビン・マッカーシー米下院議長と会談した蔡英文総統。対米関係を重視する蔡氏だが、台湾では「疑米論」も広がっているカリフォルニアでケビン・マッカーシー米下院議長と会談した蔡英文総統。対米関係を重視する蔡氏だが、台湾では「疑米論」も広がっている
来年1月に予定される総統選挙を前に、台湾では対中政策が大きな争点となっている。3月末には民進党の蔡英文(さい・えいぶん)総統の訪米と、国民党の馬英九(ば・えいきゅう)元総統の訪中がほぼ同じタイミングで行なわれ、与野党は互いに対立姿勢を鮮明にしている。そこに中国の思惑も重なるなか、台湾の民意はどこに向かうのか。中国人ジャーナリストの周来友が解説する。

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中国との関係について「現状維持」を掲げる民進党の蔡英文総統は、3月29日から中南米への訪問を開始し、その前後の経由地として米国本土にも訪れ、4月5日にはマッカーシー米下院議長とも会談しました。

民進党として米国訪問はあくまでも非公式であるとしながらも、台米関係の強化を目指し軍事圧力を強める中国を牽制する狙いがあります。

一方、最大野党・国民党所属の馬英九前総統は3月27日~4月7日の日程で中国を訪問しました。国民党側は政治的な活動ではなく、先祖の墓参りや中国現地の学生との交流が目的であると発表しています。

台湾では総統経験者の訪中は今回の馬前総統が初めてで、中国共産党としては「一つの中国」を国内外に印象付けるまたとないチャンスです。蔡総統の訪米という不都合な事実をかき消すように、馬前総統の訪中は中国国内でも、大々的に報じられました。

重慶抗戦遺址博物館を訪れ、慰霊碑に献花する馬英九全総統。「日本人が憎らしい」とも発言した重慶抗戦遺址博物館を訪れ、慰霊碑に献花する馬英九全総統。「日本人が憎らしい」とも発言した
訪中予定終盤の4月4日午前、重慶抗戦遺址博物館を見学した馬前総統は「日本人が憎らしい。日本人を許せないのは一般市民を爆撃したことだ。日本はその後、米軍による空襲や原爆によって報いを受けることになった」と発言。

このことは中国メディアのみならず日本や台湾でも大きく伝えられました。国民党と共産党は戦時中、「国共合作」で対日抗戦を共に戦った過去があるため、当時の日本への感情は中国と台湾が共感できる事象のうちのひとつです。

■馬前総統が中国に落とした"爆弾"

この発言だけをみると、馬前総統は中国と一蓮托生のようにも見えます。そもそも彼には、総統時代に、国民党政権としても前例のない親中政策をとってきた過去もあります。

ところがその2日前、馬前総統は、彼の訪中を台湾統一への国際世論づくりの機会にしようとしていた中国の期待を裏切る、とんだ爆弾発言をしていたことは、日本ではあまり報じられていません。

4月2日、中国湖南大学では馬前総統と現地学生との討論交流会が行なわれました。その際に現在の中台関係について「我々の定義では我々の国家は台湾地区、大陸地区に分かれているがいずれも中華民国である。中華民国は1997年に憲法を修正し、台湾・澎湖・金門・馬祖および大陸は中華民国の国土であると明記されている」と発言したのです。つまり「中国も台湾も中華民国だ」という主張です。

これは台湾の国民党が踏襲してきた「九二共識」に乗っ取ったものですが、「中国は台湾の一部だ」といっているようにも聞こえる大失言です。このとき現場にいた共産党関係者はさぞ肝を冷やしたことでしょう。

当然のように、今回の馬前総統の発言は中国では全く報じられていません。当日の馬前総統の様子については、湖南省長沙市内の夜市を見学した馬前総統の様子について、中国現地メディアは「湘潭の子供が帰ってきた! 同郷人との熱い交流」などと報じ、現地市民の歓迎ぶりを伝えた程度です。湖南省湘潭県は馬前総統を含め、馬一族の本籍地であるとされているため、中国と台湾の一体感を演出したかったのでしょう。

中国では一切報じられなかったこの発言に関して、馬前総統の訪中に対する批判や懸念が渦巻いていた台湾では大々的に報じられています。「よくぞ中国の鼻を明かした」と馬英九を評価する声も上がったようです。

■台湾で広がる「疑米論」

ただ、台湾の人々の多くが台湾独立を望んでいるかというと、そうとも限らないようです。現在、台湾関連の報道ではよく「疑米論」という言葉を耳にします。実際に台湾有事が発生した際、アメリカが果たして台湾のために具体的な軍事支援をしてくれるのか、というアメリカに対する不信感が広がっていることを意味する言葉です。

中国側が台湾世論を誘導するために仕掛けている一種の"情報戦"との指摘もありますが、ウクライナ戦争でのアメリカ側の対応も受け、1979年に起こった「米台国交断絶」の歴史を持つ台湾では、「疑米論」を現実問題として冷静に捉える人も一定数存在します。そうしたなか、アメリカ一辺倒を離れて中国に接近しようという世論が存在することも事実なのです。

実際に、昨年11月に行なわれた台湾統一地方選挙では、台湾の首都・台北市長には中国との関係を重視する国民党の蒋萬安氏が当選するなど、経済的に中国との関係改善を望む台湾市民の世論が反映される結果となっています。

さらに中国側は最近、台湾総統選挙に合わせるかのうように、武力統一に関するトーンを大幅に下げるなど、台湾に対し懐柔的な対応も見せています。また、武力統一に踏み切る条件として中国は「台湾による独立宣言」と「台湾での他国の軍隊駐留」が行われたときであると主張しています。

来年の総統選挙で、どんな民意を示されるのか。イチ中国人としても、台湾の人々にとって最善の結果となることを願っています。

周来友/ジャーナリスト。中国浙江省紹興市生まれ。1987年に私費留学生として来日し、司法通訳人を経て現職。翻訳・通訳派遣会社も経営している周来友/ジャーナリスト。中国浙江省紹興市生まれ。1987年に私費留学生として来日し、司法通訳人を経て現職。翻訳・通訳派遣会社も経営している
●周来友 

ジャーナリスト。中国浙江省紹興市生まれ。1987年に私費留学生として来日し、司法通訳人を経て現職。翻訳・通訳派遣会社も経営している