紛争の解決をミッションに、アフリカ東部のソマリアを中心とした紛争地でテロ組織の投降兵や受刑者などの脱過激化と社会復帰支援に取り組んでいる永井陽右さん。2月末に彼が上梓した『紛争地で『働く』私の生き方』(小学館)は現在、彼が取り組んでいる活動を紛争地の最前線にいる現場からの視点で綴った一冊だ。
30年以上内戦状態が続き、地球上で最も危険な場所と呼ばれるソマリア。永井さんは一体なぜその地で長年にわたって活動を続けてきているのか。話を聞いた。
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――最新刊『紛争地で「働く」私の生き方』を拝読しましたが、驚きました。紛争最前線に暮らす人々や政府軍部隊とのやりとり、永井さんが営む投降兵リハビリ施設での生活風景、刑務所内でのカウンセリングの様子など、世界で最も危険な地域のひとつであるソマリアで奔走する永井さんの仕事ぶりがこと細かく描かれています。
永井 正直、書きすぎかなと思う箇所もありますし、写真は一部モザイクをかけました。ただディテールを描けるのは書籍ならでは。今の仕事を始めた18~19歳から10年余り経ち、いっぱしの大人となったいまの自分を顧みたかったし、ギリギリまで書きました。
――特に印象に残ったのが、永井さんのバイタリティ。テロ組織の支配領域にも関わらず、わざわざ市長や長老に協力を取り付けに行ったり、刑務所では過激な思想と持つ受刑者たちがいる中で共に食事をしたり。読み進めながらそこまでやるのか......と思わず言葉を失いました。
永井 私の仕事する相手は命懸けで日々を過ごしている人たちばかり。安全な場所から主張するだけでは、反発心を持たれてしまう。自らが危険な場所に赴き、その姿を見せることが重要なんです。またそれこそ対話の通用しないテロリストであっても人間同士。やり方次第では可能性があると思うんです。だから私は刑務所へ出かけて混じって飯を食べるし、投降者の施設では寝食もともにします。
――例えば、施設で寝食をともにする場合、そこにスパイが紛れていたら。そう考えるだけで恐ろしいです......。
永井 もちろんプロとして危機管理は十分に徹底しています。でも確かに......難しいですよね。先日も施設でテレビの取材を受けていたら、部屋の片隅で我々に向けスマホを向けるヤツがいて。
スパイ容疑で情報機関が再度の取り調べしたところ、そのスマホにテロ組織の支配領域への交信記録がありました。アクティブな紛争が続いている環境ですからつくづく気は抜けないです。
――危険極まりないというか。
永井 もちろんです。みんながやらないようなことだというのはわかります。でもそれを承知でやっていますから。不安にかられてもミッションモードに入っているし、使命感が勝ちますね。
――永井さんのようなお仕事をされる方は他にいるんですか?
永井 細かい要素で切り抜けばいくつか海外にはありますが、投降のアウトリーチからリハビリテーション、そして社会復帰まで一気通貫でというと極めて珍しいです。また、投降兵のみならず受刑者や拘留者も対象者として捉え取り組みを行うというと私の知る限り他にありません。また、文民として軍や情報機関と日々連携しているのでこうしたことも珍しいですね。
――本には書かれていませんでしたが、恐らく各所に話をつけるまでの苦労は相当あったと思います。
永井 苦難と葛藤で一冊書けますよ(笑)。最初はどこに行っても門前払いでした。それこそテロリストがたくさんいる、ソマリアの刑務所なんて何が起こるかわからないし、入ること自体不可能。何度も断られ、金よこせとか、脅迫めいたことまで言われたし。
――日本人の若者が一体なぜ? と思うでしょうし......。
永井 そうそう。本当の目的はなんだ?って(笑)。でも諦めず何度も出かけるうち、少しずつ話ができるようになった。自分が若造だったので、気を許してくれた部分もあったでしょうね。
――改めて伺いますが、そもそも永井さんはどんな経緯で現在の仕事に就いたのですか?
永井 大学へ入学する直前、東日本大震災が起こってボランティアへ出かけたんです。すると東北のため、全国の人から集まる支援がすごくて。
一方で同じ頃、ソマリアのことを知ったんですけど、そっちは年間26万もの人たちが亡くなっているのに誰も触れない。そのコンストラストが気になってしまって。多くの人が死んでいるにも関わらず、見向きもされていないんですからね。
そこでソマリアに人道支援活動をすべくNPOを訪ねたら、誰もが「ソマリアだけはやめておけ」と反対するんです。そんな何もしない大人に怒りと失望を覚え、ソマリアの悲劇的な状況ををなんとかするのが自分のやるべきなんじゃないかと心に思いました。
そして実際に動き始めたところ、テロ組織の存在と終わらない紛争がソマリアの問題なんだとわかりました。なんとか紛争を解決しなくちゃいけない。そのためには、テロ組織から縮小させていくことが必要じゃないかと考えるようになったんです。だったら自分たちの力で投降者を増やしていこうと。そして、武器を置いた人が新たな人生を選べられるようにして良い循環を構築するのだと。
――やれる自信はあったんですか。
永井 自信より、やるしかないと思っていました。結局、政府軍にせよテロリストにせよ、お互いに論理はあるんです。その上、自分たちの仲間や家族を殺されれば、怒りに駆られない人はいない。
でもだからといって、そのままでいいわけはない、武力を武力でない形でいかに対処できるか。いまも正解はないですけど、そのために自分ができることをやるしかないと。
――そうは言っても恐怖や苦悩はありますよね。本書の後半部分にはそれらが赤裸々に吐露されていて、なんとも心に迫りました。特に苦しかったのは?
永井 電話の着信は辛かったです。投降者用のフリーダイヤルの電話越しに「殺すぞ」って数えきれないほど脅されるんです。電話が鳴る度、ビクビクしちゃって。
あと、電話越しに監視されていることを示されるのも辛かったです。「今日は刑務所にいたね」「2回ミーティングしてたよね」みたいな。もう周りの誰も信用できなくなりますよ。
ただある時、それらは吹っ切れましたけどね。脅迫があって当然の仕事をしてるんだし、ビビってばかりでは相手の思うツボだなって。
――誰もが思うでしょうけど、永井さんは一体なぜそこまで苦しいお仕事をやってるんですか?
永井 いつの頃からか対象者、現場スタッフ、寄付くださる方々など関わる人の数が増えていっている。もう自分ひとりでやっているわけじゃないからというのはあります。ただ、根底にあるのはやはり18~19歳から変わらない青臭い使命感ですね。「誰もやらないのなら俺がやる」って。自分もいまは年を重ねたので、当時、反対した大人たちのこともわかります。でも「俺は吐いた唾は飲まねぇぞ」って意地も強くなっていますね。
――本の中で永井さんは「若者であれば社会を良くする主体者であり、明日のリーダーである」と書いています。本文では随所で「若者」の言葉が出てきますし、ご自身は若者の味方であるという意識が強くあるのでは。
永井 そう、すごくありますね。テロリストに関する問題でも、例えば子ども兵であれば、国際法的にもしっかりケアする体制が整っています。しかし、本来最も人数が多いはずの10代半ば以上の若者にそれはありません。
そもそも私は、これまで数々の国際サミットや国際会議などに参加して、世の中の未来を担う若者の重要性を実感し続けてきました。でもテロ組織などの若者は、若者としては認識されていないんです。そこには大きな違和感を感じていますね。彼らだって若者なのです。
――そういえば以前、テレビにご出演した時に、今後の目標はまさに今おっしゃったような武力紛争に関わる若者への新たな国際規範の制定だとおっしゃっていました。そして実現の可能性は50%だと。ズバリ、いまは何%でしょう?
永井 はっきりとは言えないですが、絶対に何がしかの形で実現すると思います。いままで自分はやると決めたことは、何があってもやってきました。きっとこの先も変わらずやるはずです。
■永井陽右(ながい・ようすけ)
1991年生まれ 神奈川県出身
NPO法人アクセプト・インターナショナル代表理事。主にソマリアやイエメンなどの紛争地にて、テロ組織の投降兵や逮捕者などの脱過激化と社会復帰支援を実施。テロ組織との交渉および投降の促進、国連機関や現地政府の政策立案やレビュー、国際規範の制定などにも従事。またソマリア政府刑務所当局において、暴力的過激主義対策に関する特別顧問、国際人道法の専門研究機関であるGeneva Academy of International Humanitarian Law and Human Rightsにおいて客員フェロー、イエメン政府とフーシ派間の捕虜交換に関する調停委員会のメンバーも務める。
■『紛争地で「働く」私の生き方』
永井陽右(小学館)
価格/1870円(税込)
ソマリアやイエメンといった紛争地の最前線において、テロ組織からの投降兵や受刑者を脱過激化し、社会復帰へ導く永井さんの日々を綴った一冊。常に仲間の死や絶望との隣り合わせとなる過酷な環境の中、永井さんは一体なぜ、これほどまでに危険な仕事を続けるのか? その心の内が明かされている。