約半年間の戦線膠着を経て、ウクライナ軍がついに今年初の大規模攻勢をスタートさせた。
前回のような奇襲作戦ではなく、東部と南部で両軍が激しく戦闘を繰り広げているが、"本命"はおそらく南部。欧米から供与された戦車や歩兵戦闘車も投入するウクライナ軍が、今回の作戦で目指す「ゴール」はどこか? それは戦争の行方にどう影響するのだろうか?
■半年かけて構築した攻撃と守備が激突
ロシアの侵攻開始以来、常に戦況分析を提供してきた米戦争研究所は、ウクライナ軍(以下、ウ軍)が6月4日に大規模な反転攻勢を開始したと発表。ゼレンスキー大統領も10日、詳細は明かさなかったものの「すでに始まっている」とその事実を認めた。
昨年秋に北東部ハルキウ州と南部ヘルソン州でウ軍が一部の領土を奪還した後、冬から春にかけて戦線は膠着(こうちゃく)。ウ軍はその間ロシア軍(以下、露軍)の圧力に耐えながら、米欧からの供与兵器の訓練や作戦の構築を行ない、満を持しての大反攻となる。
かつて米陸軍ストライカー旅団戦闘団で作戦立案を担当する情報将校を務めた、元米陸軍大尉の飯柴智亮(いいしば・ともあき)氏はこう分析する。
「ウ軍が露軍に占領された全地域を自力で奪還することは、現状では難しい。地政学的に見て、最も優先したい目標はクリミア半島の完全奪還ではないかと私は考えています。東部での作戦はあくまでも"奪還するふり"の陽動で、本命はクリミアでしょう」
NHK大河ドラマ『どうする家康』の攻城戦になぞらえて表現するなら、「本丸」はクリミア半島。その入り口につながるヘルソン州からザポリージャ州南部のアゾフ海沿岸地域が、本丸を落とす前に奪還する必要がある「二の丸」だ(地図参照)。
ウ軍の大反攻といえば、昨年9月にハルキウ州の大部分をわずか数日で電撃的に奪還した成功例が記憶に新しい。しかし、今回はあのように敵の虚を突く奇襲作戦は望めず、露軍が半年かけて築いた1000㎞に及ぶ防衛線とのガチンコ勝負となる。
しかも、ウ軍の攻勢の先鞭(せんべん)となる威力偵察が本格化し始めた6月6日には、ヘルソン州のカホフカ水力発電所のダムが破壊され、下流域両岸約600㎢が浸水した(破壊したのは露軍との説が有力だが、特定はされていない)。
元陸上自衛隊中央即応集団司令部幕僚長の二見龍(ふたみ・りゅう)元陸将補はこう言う。
「ダムの決壊により、ウ軍はクリミア半島への最短の攻撃経路――つまりヘルソン州西部からドニプロ川を渡河して進軍するルートを、当分の間は使えそうにありません。一方、露軍はドニプロ川東岸に展開していた兵力をザポリージャ方面に回すことができ、当然、こちらの守りは堅く、厚くなります」
ここまでの戦況から見えている「主攻撃軸」は、「二の丸」を横断する露軍の補給線を分断するための南向きの攻勢だ。この戦線に投入されるウ軍の決戦兵力を、二見氏は次のように推定する。
「ウ陸軍の最強戦力はNATO(北大西洋条約機構)装備の6個旅団。ドイツのレオパルト戦車とイギリスのチャレンジャー戦車計180両、ドイツのマルダー歩兵戦闘車とアメリカのブラッドレー歩兵戦闘車計600両を擁する、兵力2万4000名の打撃旅団です。
ウ軍はまず南部戦線のいろいろな場所に手を出し、露軍戦力を分散させながら、前線よりもかなり奥にある露軍の指揮所や弾薬燃料庫などの兵站(へいたん)施設、予備部隊集積地を砲撃。
次に、中間地帯にある露軍砲兵陣地、戦車・装甲車集積地を砲撃しました。そして、主陣地の線がどこにあるのか探るための偵察攻撃を開始しましたが、15日現在では主攻撃は未着手です」
しかし、すでにレオパルトやブラッドレー、フランス製の軽戦車AMX-10RCが撃破された事例もある。戦車同士の正面戦闘では分が悪い露軍は、対戦車ヘリによる攻撃や、ドローンによる偵察・砲撃誘導を駆使してウ軍の進軍を妨害しているのだ。
ドローンの戦術に詳しい、元航空自衛隊那覇基地302飛行隊隊長の杉山政樹元空将補はこう語る。
「これはまさに、開戦当初にウ軍が大きな戦果を挙げた戦法です。ウ軍は戦車の安全な運用地域を確保するために、露軍ドローンへの対処を行なわざるをえない。全体の進撃速度を調整し、ドローンが飛行する低高度空域の航空優勢を獲得してから本格的な進撃となるでしょう」
■アゾフ海沿岸まで出れば進軍が加速する可能性も
対戦車ヘリやドローンの攻撃を防ぐための"地ならし"を経て、ウ軍の主攻撃が始まるタイミングは、順調なら本誌が発売される6月19日前後からになると前出の二見氏は予測する。
「まずは露軍の主陣地を潰す砲撃です。自衛隊の作戦計画では3日間かけて行ないますが、ウ軍は今回、おそらく4日から10日間ほどかけるでしょう。1日で戦車を20両潰せれば、10日で200両、2個戦車連隊を撃破できます。
その後の主攻撃軸は、ザポリージャから真南のメリトポリに行くか、南東のマリウポリ方面に進軍するかのどちらかで、守る露軍もまだ見極められていないはずです」
ウ軍打撃旅団は、露軍の守備を突破してアゾフ海沿岸まで出られれば、道路や鉄道の要衝などを押さえてロシア本国からクリミアまで続く補給路を断つ。そして、東側に向けて旧ソ連製戦車を中心とする守備部隊を張りつけ、主力の打撃旅団はクリミア半島の入り口を目指して西進――。これが主攻撃軸の進軍シナリオだという。
「アゾフ海沿岸までウ軍打撃旅団が達するのは、最もうまくいくケースで7月上旬。ただ、その先の西進は加速する可能性があります。北向きにつくられた露軍の防衛陣地は、真横からの攻撃に脆弱(ぜいじゃく)だからです。
もし防陣が崩れて露軍が一斉に敗走を開始すれば、クリミア半島の入り口まで10日間ほどで到達できるかもしれません」(二見氏)
ただし、すでに見えている露軍の守備の堅さ以外にも、不確定要素がある。露軍がザポリージャ原発を占拠し、砲兵陣地として聖域化していることだ。もしウ軍が快進撃を見せた場合、原発を"人質"にして脅しにかかってくる可能性もある。
「原発災害は欧州全体に関わる問題になりますから、露軍が心配をあおればあおるほど、"人質"の価値はハネ上がります。また、前線での戦いにおいても、ウ軍は原発を障害として回避し、安全を確保しながら孤立化させなければなりません。
とにかく重要なのは、情報戦に踊らされることなく冷静に対応し、ロシアとは決して取引をしないことです」(二見氏)
ともあれ、半島の入り口まで到達できれば、本丸・クリミアは一気に落城......となればいいのだが、話はそう単純ではない。
「クリミア半島につながる陸路は細く、隘路(あいろ)となっているため、ここから戦力を流しているときに空爆を食らうと一網打尽になります。しかも、この辺りにはウ軍の"防空の傘"も届かない。ですから、陸上兵力が半島に進軍するには戦闘機による航空支援が欠かせないのです」
■F-16を投入できれば戦況は一変する
しかし、すでにウ空軍はかなり消耗が激しく、戦力はおぼつかない。各国の航空戦力に詳しいフォトジャーナリストの柿谷哲也氏はウ空軍の現状をこう語る。
「報道から推定できるウ空軍の残存機数は、まず開戦前に50機あったMig(ミグ)-29がポーランドからの供与分含め残り40機弱。Su(スホーイ-)27、Su-30は10機撃墜されており、合わせて残り20機程度。共に当初30機あったSu-24は10機未満、Su-25も15機まで減っています」
この機数で今、ウ空軍は何をしているのか。前出の杉山氏はこう言う。
「最前線近くまで行くと露軍の地対空ミサイルS-400に簡単に撃ち落とされるため、ウ陸軍への航空支援はまったくできていません。例えば、Mig-29は上空で待機しながら、無人機や巡航ミサイルを撃ち落とす防空任務に当たっていると思われます。
今の戦況は、本来ならイギリスから供与された長距離ステルス巡航ミサイルのストーム・シャドウを使って進軍を助けるべき場面です。しかし、ウ空軍にはストーム・シャドウを搭載して展開できる航空戦力がなく、週に数発も撃てていないのが現状です」
となると、頼みは欧米からの供与が決定し、パイロットの訓練が間もなく始まるF-16戦闘機だが......。
「すでに別の戦闘機で経験のあるパイロットの場合でも、F-16を乗りこなすには米軍の標準的な教育で約10ヵ月かかる。また、整備士の訓練にも1年ほどかかります。
さらに、F-16を運用するためにはウ軍基地の滑走路をソ連式の継ぎ目の多いコンクリートから、米空軍基地のような滑らかな滑走路に改修する必要もある。これらのことを考えると、F-16が本格的に配備可能になるのは来年5月頃になりそうです」(前出・柿谷氏)
実際、ウクライナのレズニコフ国防大臣もNHKの単独インタビューで、「F-16は今回の作戦には参加できない」と明言している。
つまり、次の冬の泥濘(でいねい)期までをリミットとする今回の反攻作戦は、南部においてはクリミア半島の入り口が「ゴール」。露軍の堅い防御を突破してそこまでたどり着いたとしても、その先はおそらく来春以降になるということだ。
ただし、F-16が投入された後は状況が一変する。前出の杉山氏が解説する。
「来年になれば、F-16を組織戦闘のネットワークに入れることができます。対レーダーミサイルHARM(ハーム)を搭載して露軍の対空レーダーを破壊したり、ストーム・シャドウでロシア国内の軍事拠点を潰したり、ロシア領内の上空からクリミア半島へ長距離ミサイルを発射しようとする露空軍機をAMRAAM(アムラーム)ミサイルで撃墜したりと、多様な攻撃が可能になるでしょう。
さらに、空対艦ミサイルで露海軍の黒海艦隊を撃滅する、マーベリックミサイルで露陸軍の戦車、装甲車を狩るような使い方も考えられます」
ならば、来年にはいよいよクリミア半島を奪還し、東部も含めた完全勝利が見えてきてもおかしくない? しかし、杉山氏はこう指摘する。
「F-16を手に入れたウ軍がネットワークを生かした組織戦闘を始めれば、ロシアは戦争に負けることになります。そうなったときに懸念されるのは、プーチン大統領が核のボタンを押すこと。
もちろんウクライナ国民としては全領土の奪還が絶対条件だと考えているでしょうが、少なくともロシアと西ヨーロッパ諸国は、そうなる前にこの戦争の"落としどころ"を探る方向に動いてもおかしくないと私は思います。アメリカにしても、プーチンにボタンを押させるような事態にはしたくないというのが本音です。
そして、ゼレンスキー大統領もそのことはおそらくわかっているでしょう。今回の反攻作戦はまだ空軍力という重要な駒がない中で、どこまで行けるかわからない形でスタートしていますが、政治的には『戦争の終わり方を探る』タイミングでもあるわけです」
軍事的にも政治的にも、「ゴール」を見極めるための重要な反攻作戦が今、進んでいる。